エジプトの案内書を読んでいたら、ルクソールの町から西岸の王家の谷へ至る道は、今はナイル川に橋が架かり、団体客もバスでそのまま行けるようになったらしい。初めて行った時は、ホテル前の貸自転車を借りて、観光用のフェリー (民生用もある) に乗って、船着き場の近くにあるチケット売り場で自分が行きたいところのチケットを購入してから向かった。
ナイル川を背に、メムノンの巨像の前で一休み。突き当りを右折して走ると、道路の左側は遠くにハトシェプスト葬祭殿を見ながら砂漠が続き、右側はナイル川まで緑が続く。葬祭殿を過ぎると大きく左に曲がりながら登りとなり、両側が岩山の道をひたすら走る。突き当りが王家の谷。ここから自転車を抱えて岩山を登りきると、眼下のハトシェプスト葬祭殿に戻ることができる。近道といえば近道だが・・・。
面倒なことや嫌なニュースばかりの日本での生活、ナイル川から吹き寄せる風にあたりながら走った感覚は、遠い過去のものとなっている。アラブの春を超えたエジプトは、今どうなっているのだろうか。
2019年9月2日月曜日
2019年9月1日日曜日
貝原益軒 養生訓
こういう本を読みながら笑っているというのは、家人には異様に映るようで、確かに笑いながら読むような本ではないはずなのだが・・・
この書に従って生活すると、人間はどうなるのか。考えるだけで怖ろしい。
その巻第二総論下に、『華佗が言に、人の身は労働すべし。労働すれば穀気きえて・・・』と、またまた三国志の曹操に関わる華佗が出てくる。岩波文庫の養生訓には、和俗童子訓も併載されていて、これは江戸時代の教育論として広く庶民の間に読まれたらしい。この養生訓、健康長寿を保つための心構え、食餌法を述べて現代においても示唆に富む書となっている。(表書きから抜粋)
さて、この養生訓に従って生活をしてみると、面白くもなんともない人間ばかりで、活気というかどうしようもない人間ばかりになってしまいそうな気がする。あの食生活では、相撲取りもアスリートも出来ない。酒を飲んで大騒ぎもなければ、美食のレストランがはやることもない。とにかく大人しくしていることが最善という感じで、若さも何もない年寄りばかりの世界が現出しそうだ。手遅れとは思っても、高齢者になってから、暇つぶしに読むには笑えて楽しいかもしれない。あ、養命酒はいいと思います。 (笑)
この書に従って生活すると、人間はどうなるのか。考えるだけで怖ろしい。
その巻第二総論下に、『華佗が言に、人の身は労働すべし。労働すれば穀気きえて・・・』と、またまた三国志の曹操に関わる華佗が出てくる。岩波文庫の養生訓には、和俗童子訓も併載されていて、これは江戸時代の教育論として広く庶民の間に読まれたらしい。この養生訓、健康長寿を保つための心構え、食餌法を述べて現代においても示唆に富む書となっている。(表書きから抜粋)
さて、この養生訓に従って生活をしてみると、面白くもなんともない人間ばかりで、活気というかどうしようもない人間ばかりになってしまいそうな気がする。あの食生活では、相撲取りもアスリートも出来ない。酒を飲んで大騒ぎもなければ、美食のレストランがはやることもない。とにかく大人しくしていることが最善という感じで、若さも何もない年寄りばかりの世界が現出しそうだ。手遅れとは思っても、高齢者になってから、暇つぶしに読むには笑えて楽しいかもしれない。あ、養命酒はいいと思います。 (笑)
金持ちと貧乏人
韓国の文在寅大統領は、両親が北朝鮮からの避難民であり、極貧の幼少期を送っている。 (Wikipedia)
かつて、首都圏の市議会議員から県会議員、出身地の市長を歴任した政治家に話を聞いたことがある。その政治家が言うには、『貧乏な人が政治家になるということは、大変なことなんだ。首都圏とはいえども一地方都市、こんな小さな町の市議会議員になったとたんに数々の誘惑が押し寄せる。案件によっては、今までの年収の数倍の金額が目の前にちらつく。手を出せばすぐ届くところで・・・』
今、評論家としてテレビなどに出演している杉村大蔵などは、衆議院議員に当選した時に、『新幹線の、それもグリーン車にタダで乗れる』と言ってアパートの一室で喜んだほどに、議員とは貧乏人にとって夢のような世界なのだ。前述した政治家は、その地方都市では一番の資産家でもあり、地盤の強固さはもとより、潤沢な資金を保持していたからこそ言えるのだとは思うが・・・
また三国志に戻る。劉備は故郷の涿県で筵 (むしろ) 織りを生業としていた。中山清靖王劉勝の後裔にあたるとは言っても、貧しい生活をしていたわけだが、劉備を支えていたのは天下を取り、漢王室を立て直したいという志。志を維持するものは血筋かよとも思うが、貧乏なうえに、誇れる血筋もないとなると・・・どうなるのかなぁ。
文在寅大統領の経歴を読み、行動、表情を見ていると、ソウルに住んでいる韓国人留学生の知人を思い出す。『日本に住んで生活して、その苦しさや悔しさを忘れずに生きてみろ』と最初に会ったころに言ったことは、すでに忘れているだろう。歴史認識について議論をすると、最終的には全てを日本の統治が壊したと激高するところに落ち着く。日本の統治30数年を語る人は多いが、李朝の統治500年を語る人はいない。
貧乏と金持ち。また話題が逸れてしまった。
かつて、首都圏の市議会議員から県会議員、出身地の市長を歴任した政治家に話を聞いたことがある。その政治家が言うには、『貧乏な人が政治家になるということは、大変なことなんだ。首都圏とはいえども一地方都市、こんな小さな町の市議会議員になったとたんに数々の誘惑が押し寄せる。案件によっては、今までの年収の数倍の金額が目の前にちらつく。手を出せばすぐ届くところで・・・』
今、評論家としてテレビなどに出演している杉村大蔵などは、衆議院議員に当選した時に、『新幹線の、それもグリーン車にタダで乗れる』と言ってアパートの一室で喜んだほどに、議員とは貧乏人にとって夢のような世界なのだ。前述した政治家は、その地方都市では一番の資産家でもあり、地盤の強固さはもとより、潤沢な資金を保持していたからこそ言えるのだとは思うが・・・
また三国志に戻る。劉備は故郷の涿県で筵 (むしろ) 織りを生業としていた。中山清靖王劉勝の後裔にあたるとは言っても、貧しい生活をしていたわけだが、劉備を支えていたのは天下を取り、漢王室を立て直したいという志。志を維持するものは血筋かよとも思うが、貧乏なうえに、誇れる血筋もないとなると・・・どうなるのかなぁ。
文在寅大統領の経歴を読み、行動、表情を見ていると、ソウルに住んでいる韓国人留学生の知人を思い出す。『日本に住んで生活して、その苦しさや悔しさを忘れずに生きてみろ』と最初に会ったころに言ったことは、すでに忘れているだろう。歴史認識について議論をすると、最終的には全てを日本の統治が壊したと激高するところに落ち着く。日本の統治30数年を語る人は多いが、李朝の統治500年を語る人はいない。
貧乏と金持ち。また話題が逸れてしまった。
2019年8月30日金曜日
櫻守
台湾にある烏山頭ダムと飛騨の御母衣ダムに共通する、ロックフィル工法を調べていると、御母衣ダムを造る時に移植された、『庄川桜』の話しが載っていた。 (Wikipedia) その当時で樹齢400年以上のエドヒガンザクラ (アズマヒガン)。
さらに、帰雲城 (かえりくもじょう・きうんじょう) という幻の城があったことも。この城は、天正13年 (1586年) の天正地震で帰雲山が崩落し、城主内ケ島一族や家臣、領民も含めて他領にいた数人を残して埋没、全滅。未だに城の場所は特定されていないだけでなく、内ケ島氏の領内に金山があったことから、埋蔵金伝説があるなど、歴史へのロマンも広がる。
埋蔵金はまた後日、本日はその御母衣ダムにまつわるエドヒガンザクラ移植の話を題材にした、水上勉の小説、『櫻守』。このブログでも書いた埼玉県北本市のエドヒガンは、樹齢200年程度。開花寸前にはつぼみが淡いピンク色に染まり、開化の後は白い可憐な花をつける。
さらに、帰雲城 (かえりくもじょう・きうんじょう) という幻の城があったことも。この城は、天正13年 (1586年) の天正地震で帰雲山が崩落し、城主内ケ島一族や家臣、領民も含めて他領にいた数人を残して埋没、全滅。未だに城の場所は特定されていないだけでなく、内ケ島氏の領内に金山があったことから、埋蔵金伝説があるなど、歴史へのロマンも広がる。
埋蔵金はまた後日、本日はその御母衣ダムにまつわるエドヒガンザクラ移植の話を題材にした、水上勉の小説、『櫻守』。このブログでも書いた埼玉県北本市のエドヒガンは、樹齢200年程度。開花寸前にはつぼみが淡いピンク色に染まり、開化の後は白い可憐な花をつける。
2019年8月14日水曜日
香港の戦い
香港で若い人たちが戦っている。彼らは天安門のことも知っている。警察は、軍隊は、本来庶民の生活を守るために存在しているはずなのだが、日本にいてもその歴史を見れば、そうでないことを誰でも知っている。
99年間の時間を経て、香港は中国に返還された。豊かな人々は、その時に合わせて国外に脱出した。香港はすでに共産主義社会の物となっている。一国二制度という幻想は次第に潰れかかっている。普通選挙などない。自由だった場所が、一党独裁の国に返還と言う名のもとに飲み込まれていくのか。
集会に参加している若者が警察と衝突し、こん棒で力一杯殴られて引きずられていく映像に、何とも言えないやるせなさを感じる。がんばれとも言えないし、これ以上頑張るなとも言えない。自由を守るということは、これほどに凄惨なものかと思う。
99年間の時間を経て、香港は中国に返還された。豊かな人々は、その時に合わせて国外に脱出した。香港はすでに共産主義社会の物となっている。一国二制度という幻想は次第に潰れかかっている。普通選挙などない。自由だった場所が、一党独裁の国に返還と言う名のもとに飲み込まれていくのか。
集会に参加している若者が警察と衝突し、こん棒で力一杯殴られて引きずられていく映像に、何とも言えないやるせなさを感じる。がんばれとも言えないし、これ以上頑張るなとも言えない。自由を守るということは、これほどに凄惨なものかと思う。
2019年8月13日火曜日
韓国についてどう思いますか?
と聞かれると困るのだが、では韓国へ行ったことがあるかと問われれば、ある。初めての時は、ソウルから慶州まで高速バス。翌日仏国寺で、イギリスのサッチャー首相とはちあわせ。僧侶とボディーガードに囲まれて、参道を降りてきた。サインしてもらえば良かったなぁと今になって思う。釜山からセマウル号でソウルに戻って、帰国。その次は、韓国人留学生の自宅を訪問。地下鉄3号線?のスーユー駅から徒歩5分。お母さんがキムチを作ってくれて、味見・・・これが美味しい。あの当時、朝鮮総督府跡はあったのか、良くは覚えていない。観光らしい観光はなく、夜の居酒屋、犬の肉・・・ま、日本でも食べたことあるし・・・。帰りにお父さんが、『またきてください』と日本語で・・・3回目はそのお父さんのお墓参り。次は留学生のトラブル等で、その次は、ドイツまでのトランジットで数日、二か月後帰りに数日。その次は今度こそ観光をということで、釜山から慶州仏国寺、セマウル号で大田、ソウル。アマチュア無線の知り合いのタクシー運転手(模範タクシーではない普通のタクシー)には、青瓦台の近くまで連れて行ってもらったり、日本語を話せない通訳とお互いかたことの英語で色々案内してもらったり・・・という程度。知り合いの留学生が、帰国出国の際に軍に届けをしていることが平和ボケしている自分には異様に映り、時に警報が鳴って、交通が止まるという休戦中の国の緊迫感を味わったこともある。
今では差別用語となっているのかどうかはわからないが、群盲象を評すという諺がある。ニュースを見て、本を読んで、観光でちょろりと行ける所だけ行って、少しばかり現地の人と話をしたりで、どうこう言えるものではないのだが、日本を敵視した時の発言が舌鋒鋭くなって、その会話の中で使われる単語が言い方が、想定問答集の答えように同じとなると、教育に問題があるのではと思ったことがある。日本の教育がいいとは思わないのだが。
今韓国についてどう思うかと問われると、色々なことが頭をよぎる。日本のビールは飲まない!なんていうのを聞くと、おいちいよ!って言ってあげたいし、まぁとにかく軟弱なことを言うと、『それは加害者だから言えることだ』とこれも想定問答集のように答えが返ってくる。『侵略者は未来志向と言う言葉を使いたがり、過去を忘れようとする』ものらしい・・・が、この言葉は、実はベトナム政府が、韓国政府(李明博政権のときかな)に対して言った言葉なのだ。別に、一緒じゃねぇかというつもりは、・・・少しはある。
儒教の体系はほとんど知らないが、こんな話がある。江戸末期、アメリカに行った日本人が一番驚いたことは、電気でもないし、蒸気機関でも、武器を含めた最先端の技術でもない。 いい年をした大人がボール遊びをしたり、台所に立って歓迎の食事の手伝いをしたり (もちろん使用人もいて、それなりのことはしているのだが) することだったという。武士の心得としては、あくまでも若い頃から老成することを最善とすることで、支配階級の人間としての基準は、日本も儒教であったことは間違いない。しかし、そこは日本、学問としては受け入れたが、それ以外に庶民を含めた生活規律としては取り入れなかったように思える。良いか悪いかの問題ではなく。
冊封について語られることは少ない。新羅、高句麗、百済の時代は唐、豊臣秀吉の加藤清正の侵攻を止めたのは明、朝鮮戦争の休戦に至る時は中国共産党軍。中国の影響を無視しては半島の安定はなかったわけで、かといって、漢民族以外のより民俗的には近いはずのモンゴル、女真族の冊封には親近感を持ちえないという複雑な感情があるのだろうか。
仏教寺院を破壊したのは、清正であり、朝鮮民族の文化を破壊したのは倭であると言われるが、元(モンゴル)については、あまり騒がないのはなぜだろうか。儒教の下で破壊された仏教寺院も多いはずだが・・・などなど、他国のことを考えるのは、このところの韓国と日本の関係悪化があるからと、暇なせいでもある。韓国はどこへ、もちろん日本もそうなのだが、どこへ向かおうとしているのか。自由ということは言葉では簡単だが、制約のない自由は計り知れない怖ろしさもあり、かといって独裁国家の恐ろしさもある。民主主義も形ばかりと言う民主主義は、偽善国家と言っていい。政権維持のために、選挙を見据えて政策を作り、怒りの矛先を他者に向けて自省を怠ると、大事な基盤を失っていくこともある。
今では差別用語となっているのかどうかはわからないが、群盲象を評すという諺がある。ニュースを見て、本を読んで、観光でちょろりと行ける所だけ行って、少しばかり現地の人と話をしたりで、どうこう言えるものではないのだが、日本を敵視した時の発言が舌鋒鋭くなって、その会話の中で使われる単語が言い方が、想定問答集の答えように同じとなると、教育に問題があるのではと思ったことがある。日本の教育がいいとは思わないのだが。
今韓国についてどう思うかと問われると、色々なことが頭をよぎる。日本のビールは飲まない!なんていうのを聞くと、おいちいよ!って言ってあげたいし、まぁとにかく軟弱なことを言うと、『それは加害者だから言えることだ』とこれも想定問答集のように答えが返ってくる。『侵略者は未来志向と言う言葉を使いたがり、過去を忘れようとする』ものらしい・・・が、この言葉は、実はベトナム政府が、韓国政府(李明博政権のときかな)に対して言った言葉なのだ。別に、一緒じゃねぇかというつもりは、・・・少しはある。
儒教の体系はほとんど知らないが、こんな話がある。江戸末期、アメリカに行った日本人が一番驚いたことは、電気でもないし、蒸気機関でも、武器を含めた最先端の技術でもない。 いい年をした大人がボール遊びをしたり、台所に立って歓迎の食事の手伝いをしたり (もちろん使用人もいて、それなりのことはしているのだが) することだったという。武士の心得としては、あくまでも若い頃から老成することを最善とすることで、支配階級の人間としての基準は、日本も儒教であったことは間違いない。しかし、そこは日本、学問としては受け入れたが、それ以外に庶民を含めた生活規律としては取り入れなかったように思える。良いか悪いかの問題ではなく。
冊封について語られることは少ない。新羅、高句麗、百済の時代は唐、豊臣秀吉の加藤清正の侵攻を止めたのは明、朝鮮戦争の休戦に至る時は中国共産党軍。中国の影響を無視しては半島の安定はなかったわけで、かといって、漢民族以外のより民俗的には近いはずのモンゴル、女真族の冊封には親近感を持ちえないという複雑な感情があるのだろうか。
仏教寺院を破壊したのは、清正であり、朝鮮民族の文化を破壊したのは倭であると言われるが、元(モンゴル)については、あまり騒がないのはなぜだろうか。儒教の下で破壊された仏教寺院も多いはずだが・・・などなど、他国のことを考えるのは、このところの韓国と日本の関係悪化があるからと、暇なせいでもある。韓国はどこへ、もちろん日本もそうなのだが、どこへ向かおうとしているのか。自由ということは言葉では簡単だが、制約のない自由は計り知れない怖ろしさもあり、かといって独裁国家の恐ろしさもある。民主主義も形ばかりと言う民主主義は、偽善国家と言っていい。政権維持のために、選挙を見据えて政策を作り、怒りの矛先を他者に向けて自省を怠ると、大事な基盤を失っていくこともある。
2019年8月12日月曜日
酒と煙草
酒で失敗した政治家を挙げると、後味の悪さでは故中川昭一農水相が筆頭に挙がるのではないだろうか。酩酊状態の現職大臣が、記者会見で醜態をさらした。それでも正三位旭日大綬章。落選した選挙で、断酒宣言をした(Wikipedia)くらいだから、酒の害は十分認識していたことと思われる。
深夜に飲みに出て、飲食店の女性に暴行した疑いで逮捕され、処分保留で釈放された埼玉県の幸手市長、これは単なる田舎者。こんな市長を選んだ幸手市民のレベルの低さは計り知れないと言われてもしようがない。公職にあるということは、そういうことではないだろうか。知事公舎に女性を連れ込んだどこかの知事も似たようなものだが・・・。
かつて自民党に、二階堂というおじさんがいて、高そうな葉巻を吉田茂のようにくゆらせていた。こちらは従二位勲一等旭日等価旭日桐花大綬章。その吉田茂の孫の麻生太郎も葉巻大好き人間。それがどうしたと言われても困るのだが、煙草、葉巻、パイプで失敗したという話はなかなかない。
明治天皇の時代、皇居に参内した蜂須賀公、来客用に置いてあった煙草を余分に取ってポケットへ・・・明治天皇に見られて、『出自は争えぬな』という意味のことを言われたらしい。(なんの本に書かれていたかは不明)。 豊臣秀吉が若いころに所属していた?野盗の頭、蜂須賀小六が先祖の蜂須賀公、恥を漱ごうとしたらしいが・・・。煙草の失敗と言うとこれくらいしか思い浮かばない。だから・・・なんなのだ・・・。
深夜に飲みに出て、飲食店の女性に暴行した疑いで逮捕され、処分保留で釈放された埼玉県の幸手市長、これは単なる田舎者。こんな市長を選んだ幸手市民のレベルの低さは計り知れないと言われてもしようがない。公職にあるということは、そういうことではないだろうか。知事公舎に女性を連れ込んだどこかの知事も似たようなものだが・・・。
かつて自民党に、二階堂というおじさんがいて、高そうな葉巻を吉田茂のようにくゆらせていた。こちらは従二位勲一等旭日等価旭日桐花大綬章。その吉田茂の孫の麻生太郎も葉巻大好き人間。それがどうしたと言われても困るのだが、煙草、葉巻、パイプで失敗したという話はなかなかない。
明治天皇の時代、皇居に参内した蜂須賀公、来客用に置いてあった煙草を余分に取ってポケットへ・・・明治天皇に見られて、『出自は争えぬな』という意味のことを言われたらしい。(なんの本に書かれていたかは不明)。 豊臣秀吉が若いころに所属していた?野盗の頭、蜂須賀小六が先祖の蜂須賀公、恥を漱ごうとしたらしいが・・・。煙草の失敗と言うとこれくらいしか思い浮かばない。だから・・・なんなのだ・・・。
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