2021年3月25日木曜日

独裁国家と民主主義の国または民主主義を標榜する国

  国家というものがあって、公正な選挙制度があって、民主的であること・・・この民主的であるという定義が難しいのだが、簡単に見分ける方法と言うと・・・日本で言えば、安倍政権打倒とか、菅政権打倒、安倍のおっかーを証人喚問に引き出せ!とか民間人が発言しても、秘密警察や自衛隊に引っ張られることがない・・・

 そうである国とそうでない国。世界が大きくこの二つのパターンに集約して、冷戦時代のように対峙して軍拡競争や、対立を強める。もちろん最終的には戦争しかないのだが、次の大戦ではどの国も大きな損害を被る恐れがあり、代理戦争的な局地戦争さえ慎重にならざるを得ない。

 今、韓国はかつての李承晩や朴正煕の時代に戻ろうとしているのか、その時代と窮屈な国家が好きなのか、『そうでない』国を目指しているように感じられる。長い歴史の中で、中国にヘコヘコしていた時の方が、他国にでかい顔をしていられた記憶が消えないのかと思われる。正に東方礼儀の国の再現である。

 ミャンマーはよくぞ軍部が政権を手放したと思っていたら、あっさりと中国側に転んでしまった。しばらくは暗黒の時代に逆戻りとなり、人々の顔から笑顔が消えるだろう。

 香港はもう後戻りはできない。周庭さんが無事に娑婆に帰ってこられるか、精神を破壊されてくるか、それだけが心配ではある。嫌ならばあの大国相手に戦うか逃げるしかない。台湾は黙っていると同じ道を歩み、日本もじわじわと追い詰められてゆく。

 人種差別だとかヘイトスピーチという言葉はあるが、きれいごとばかりではろくでもない奴らの非合法な手段には対応できない。 

 中国やロシアの仲間になりたいか、欧米の仲間になりたいかの選択期間はそれほど短くはないように感じられるのだが・・・

 

笑えない 内村航平君の発言

  オリンピック東京大会の開催で揺れる今、当初の東日本大震災からの復興をアピールする大会から、いつの間にか人類のパンデミックに対する勝利がテーマとなりそうな勢い。

  その大会で金メダルが確実視されている体操の内村航平君が、いかにも向こう受けしそうな発言をした。『どうしたら開催できるかを考えよう』という、いかにも前向きな発言ではあるのだが、答えはワクチンと治療薬ではないだろうか。

 観客を無くし、声援を無くしてまで開催する意義はどこにあるのだろうか。さらに事務局のドタバタ劇や老害としか言えないような政治家の醜態は、パンデミックに対する日本の先進国とは到底言えない状況を世界にさらしている。

 内村航平君の発言は、太平洋戦争時代の日本の軍部の発想そのままに国民の我慢だけを強いて、無理な戦いに臨ませようとする不合理さを思わせる。ついでに言うのであれば、オリンピックに出場してメダルを獲得した人が、人格的にも優れているというような政治家やオリンピック事務局中枢への登用。柔道の山下などは、森の発言をうすら笑いで聴いていたような男である。少なくとも、最低限の学習をした後でやってほしいと思わせることが多すぎる。 

 オリンピック、今回はやめましょう。僅かなアスリートがいくら努力を重ねたとは言え、他の圧倒的多数の国民を危険な状況に追い込む必要はどこにもない。