紹介する二冊の本は、1970年前後に連載されたもので、すでに50年近い年月が経過しているが、 韓国を考える時、この2冊を入門書とすることが一番いいのではないかと思われる。
その著者の韓国に対する態度は、冷静で激することもなく、朝鮮半島出身の友人に対する暖かいまなざしと理解は、私のような凡人(凡人以下ではあろうが)には及びもつかない。ここは今起きている両国の問題に冷静にとは思っても、執拗で理不尽な要求には辟易とするものがあることは否定できない。
そんなことを考えながら読んでいたら、以前からの疑問が一つ氷解した。いつの頃か朴正熙大統領は、ボクセイキ大統領からパクチョンヒ大統領になり、金大中大統領は、キンダイチュウ大統領からキムデジュン大統領と呼ばれるようになった。今まで疑問にも思わず読んでいた大統領の名前、日本式に漢字の読んでしまうと失礼に当たるのかと思いきや、漢字の故郷中国の毛沢東主席はモウタクトウ主席であり、鄧小平主席はトウショウヘイ主席のままであり、今までにクレームがあったとは思えない。
なんのことはない、九州に住む、牧師の崔(サイではなく、チェと読む)さんが、『日本で放送される韓国人の姓名は韓国音でよむべきだ』と、訴訟にまで持ち込んだらしい。(耽羅紀行以下同じ) そして、キンダイチュウ大統領は、キムデジュン大統領となった。
さて、韓国の人々は知っているのだろうか。なぜ中国の人々は毛沢東主席をモウタクトウ主席と読んでも何も言わないのかを。以下続く。