常陸国 出雲大社は、平成4年島根県の出雲大社より分霊鎮座。平成26年単立の宗教法人として独立。写真の拝殿は、諏訪大社本宮の脇拝殿様式を取り入れている。 (配布されているチラシより抜粋)
ちなみに島根県の出雲大社は、北緯35度24分。大国主命の御子神、建御名方神 (たけみなかたのかみ) を祀る諏訪大社は北緯35度53分。 常陸国出雲大社は茨城県笠間市にあり、ほぼ北緯36度に位置する。
この神社の独立の経緯は報道などでも取り上げられたが、永谷園、神社本庁、島根県の出雲大社 (出雲大社教も含む) の間で、どのような協議があったのかは正確には知らない。
ついでというわけではないのだが、出雲大社に始まって、神社本庁などの記事をこの数日読み続けていると、神社の各付けや出雲神話や群馬県の神社の祭神、さらには物部氏にかかわる記事にまで範囲が広がって、収拾がつかなくなってきた。
大きなお世話ではあるのだが、この大注連縄、6t近くあって5~6年に一度は架け替えると思ったが、単立の宗教法人として、また出雲の出雲大社を離れて、継続することは可能なのだろうか。また、出雲の出雲大社と神社本庁の仲が悪いというか、神社本庁が出雲大社を目の敵にしているということが事実なのか、事実とすればその理由は何なのだろうか。
ついでに群馬県、正確には上毛野国の一宮は貫前神社。この物部氏の祭神が一宮ということと、物部氏の本拠地が、大阪の渋川と言うことと群馬県の渋川市は、何か関わりがあるのか。磯部の物部氏も気にかかる。伊勢崎には大国神社という創建の古い神社も存在している。出雲とか物部氏とかがしばらくは頭について眠れない。
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