2017年2月22日水曜日

台湾

 台湾は、今一番行ってみたい国の一つ。台北から台中、台南と南下して、花蓮などの東海岸の都市を訪ねながら北上して台北へ戻るルートを鉄道、それも普通電車で急がずに行ってみたい。

 どうしても立ち寄りたいのが、八田與一の業績烏山頭ダムとその慰霊碑。それと鄧麗君のお墓。あとはゼーランジャ城などなど。

 朝鮮半島と同じように日本の統治下にあった国であり、反日運動や抵抗運動もありながら、長い戒厳令の明けた後の急速な民主化と経済発展は 政治形態の変化とともに国家というものを考える格好の教材と言っては台湾の人々に失礼ではあろうか。
 

 

日本農業実践学園 (1)

 水戸市内原にある農業の専門学校。久しぶりにその母校のホームページを見て、懐かしさと変わってゆく姿に時間の経過を感じる。すでに卒業してから17年の月日が過ぎようとしていることに驚くとともに、伝統の行事も続いていることに少し安堵したり、この学校で過ごした楽しい日々を思い起こす。

 HPの沿革によると、昭和2年(1927)開校 、今年で90年を迎える。初代校長は加藤完治先生。戦中戦後を通じて、内原訓練所という名前で記憶している農家の方もいらっしゃるかもしれない。水田、蔬菜、特用作物、養豚、酪農、製茶、果樹など数部門に分かれて高等科、本科、研究科の生徒たちが農業の基本を学びそれぞれの夢に向かって日々を過ごしていた。

 春先、10月生の私たちにはちょうど中間期にあたるのだが、3月8日は恒例の『筑波強歩』。かつては筑波行軍と言われていたらしいが、戦後GHQの査問があったりして現在の強歩という呼び方に変わったらしい。当日の午前0時に学校を出発。早朝に筑波山山麓に到着し、朝食の後に山頂を目指して 登り、昼頃には下山。昼食と休憩をはさんでまた学校への道を歩き始める。総行程21時間90kmに及ぶ。到着は午後9時前後で、昨年は25名が参加して23名が完歩。天候によっては相当ハードで、私たちの時には、夕方6時くらいから雪が降り始め、学校到着時には10cm以上の積雪で生徒たちは雪だるまのようになって歩いていた。

 この学校は、創立者の加藤完治先生の事績で満蒙開拓と深いつながりがある。今となってはその時代を語る人達もいないだろうが、海外青年協力隊の研修などで在籍する人も多いなど、時代とともに違う役割を担っていることは間違いない。


   

2017年2月4日土曜日

河津桜

散歩道の河津桜。この一週間、暖かい日や北風の強い日が交互に訪れ、この木だけは複数の花が開き始めていた。

 今日は風が少しあるものの、30分も歩けばうっすらと汗ばむほどで、花を見るとさすがに春の息吹を感じる。

 靖国神社の開花宣言は、ソメイヨシノの標本木が5~6輪咲いた時をいうので、これはまだ本格的な開花とは言えないようで、まだ何度かの寒い日を超えてからということになりそうだ。

 これから河津桜が咲き揃い、エドヒガン桜が咲き、ソメイヨシノが咲く頃が一番いい季節なのかもしれない。春が待ち遠しい。

カーリング

 初めてこの競技を見た時には、ただただ笑ってしまった。大の大人が氷の上で、デッキブラシでゴシゴシと氷を磨いているような、そのコミカルな動きが笑いを誘った。

 テレビ中継を見ていて思ったのは、競技中の選手の会話が無線機を通じて聞こえていることが効果的だということ。他の競技ではありえないし、指向性のあるマイクを通して聞こえる場内の声に混じったものとも違う。

 ルールは未だによくわからないのだが、氷上のチェスと言われるほど深いものがあるらしい。ストーンの重量は20kgで、あれほどのスピードでぶつかっても割れないのは余程特殊な石だろうということで、しばらくはWikipediaでお勉強・・・・・

 15世紀にスコットランドでということで、ゴルフのようなセルフジャッジ。フェアプレイ精神。コーチ、監督との相談も限られているところは、ラグビーのような基本的な姿勢も。イギリスってのはすごいなぁと思う。スペインの無敵艦隊を破り、制海権を握って海洋進出を進め、大英帝国として地球上の大半を傘下に収める英国の国民性の基本をこの辺に見てしまう。

 などと考えながらまたテレビ中継を見ているのだが、よくわからん。