2021年9月30日木曜日

綿貫観音山古墳


 綿貫観音山古墳は、その貴重さからしては知名度も低く、遺物が持ち去られた墳丘はあまりに寂しく感じられる。

 前方後円墳という名前からすると、この少し右側にこの墓の正面があるがずなのだが、残念ながらこの前方部に行こうと思う人は、まず後円部の近くにある入り口、駐車場に車を置いてということになる。

 実は後円部の中段に石室の開口部が見え、その未盗掘の石室から大量の国宝に指定された遺物が出たのだから、こちらをメインとした展示という考え方なのかも知れない。

 今日は前方部の側道から古墳を見に来たのだが、立派な黒御影石の石碑が見えたので近くに寄ってみると、このあたりの区画整理事業の完成記念碑らしい。ついでに墳丘は春先に山焼きをしたのちは草が伸び放題で、決して保存管理状態が良いとは言えない。(なお、ここまで書いた数日後、墳丘は草刈りが行われた)
 
 さてこのままほったらかしにするとどうなるか、6世紀後半から今の今までこの姿であったとは考えられないが、葺石などは見られなかったとなると、樹木が繁茂していない理由がわからない。まぁ韓国慶州のように古墳を常にきれいにとまでは言わないが、もう少し何とかならないかと思う。

 この古墳は日本でも数少ない未盗掘墓であり、出土している遺物もまた全て国宝に指定されるほどの古墳である。国の史跡指定だけでは補助も少ないか無い可能性もあるにしても、無理のない形で維持保存を望みたいと思う。



ソニーとパナソニック 経営の馬鹿神様

 ソニーとパナソニック、その株価はパナソニックがソニーの10分の1。そのソニーのほぼ10年くらい前の株価は今の10分の1。何が起きているのかは別にして、それは当然の帰結だということを少し掘り下げてみたい。

 パナソニックの創業者松下幸之助は、経営の神様と言われていて、晩年彼自身もそう言われることに嫌な顔はしなかったようだ。それだけでも馬鹿というにふさわしい人間であったと思う。松下幸之助はある時、彼の絶頂期と言ってもよい時期に、こう言った。『うちにはなぁ、ソニーちゅうええ研究所がおましてなぁ・・・』

 ソニーが作った新製品、それをパナソニックの社員が買ってきて、分解してその良し悪しを検討し、パナソニックブランド、当時は松下電器の製品として新しく売り出す。これを強力な販売力で売るものだから、人は勘違いをして彼を経営の神様としてあがめるようになる。

 その勘違いによる弊害は、後の松下政経塾において開花する。馬鹿神様を信奉する信者は有名国立大学等を卒業した頭脳優秀なる人間たち。かつてマニフェストという公約を掲げて民主党を立ち上げた人間たちで、あの野田首相を生んだ。その野田は、『マニフェストというものがあります。私はそれを命がけで達成する』と街頭でぶち上げた。そして今もこそこそと生きている。松下政経塾は野田がその一部ではなく、それが全てだ。その後の日本を検証すれば、松下政経塾出身者による無能無策ぶりが今の日本を作り、歴史を改竄し、国家の財産を使って地元の花見会を開催するような馬鹿首相を許すような状況に追いやった。

 パナソニックは、今経営の再建に取り組んでいる。下がった株価を上げて時価総額を押し上げる試みに精力を傾けるより、本来の物作りの心意気をソニーに頭を下げて学ぶべきではないだろうか。そして、松下幸之助の神格化と政経塾の看板をソニーに献上して処分することが、将来の日本の為ではないだろうか。