平清盛の異父弟、薩摩守忠度。吉川英治作、新平家物語(新潮文庫)鵯越の巻に、『熊野育ちの美丈夫である。黑糸おどしの鎧に、赤地錦のひたたれ、白月毛の駒、遠雁の紋を打った鞍にまたがり、兜はかぶらず烏帽子姿・・・・』 源平一の谷の合戦の場においても眼につく風貌の持ち主と語られる。
歌人藤原俊成に師事した歌人としても知られ、千載和歌集の『詠み人知らず』、さざなみや 志賀のみやこはあれにしを むかしながらの やまざくらかな は忠度の作として知られている。
一の谷の合戦で坂東武者、岡部忠澄六弥太に討ち取られた際には、その箙から出てきた、ゆきくれて このしたかげを やどとせば はなやこよいの あるじならまし という歌で忠度の身元が割れている。武勇もさることながら、歌人としても優れていることは、後の勅撰和歌集に10首以上の歌が取り上げられていることでも明らかである。
さて、その薩摩守忠度の墓、遠く坂東の地岡部にあるのは、一の谷で忠度を討ち取った岡部忠澄が慰霊として建てたもの。一の谷以降の恩賞と名声による一族の繁栄に対する感謝の念もあったのだろうか。
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