池波正太郎原作の 『仕掛け人 藤枝梅安』。悪人相手の人殺し(仕掛け人)のと言ってしまえばそれまでだが、針医者と爪楊枝職人の複雑な人生を織り交ぜながら淡々と過行く時間を描いている。その合間に登場する梅安の手による料理は、素材のシンプルさと手軽さか、自分でも作れるような気がして、しかしながら期待した味に仕上がらないのは、自分のセンスの悪さなのか味覚の貧弱さなのか。
この梅安の仕掛け人シリーズは、梅安が自宅を新築し始めるころに絶筆となって突然終了する。その頃の池波正太郎の随筆の中で、『豆腐も昔のような味が無くなった』 と、今の大量生産の豆腐の味を嘆く部分がある。さらに、豆腐だけではなく、その嘆きが色々な食物や、季節感の無くなった現在の食卓に及んでいたように記憶している。
さて、そんなところで紹介するのは、高崎で三代続いている豆富屋さん。ずっしりとした厚揚げ。今日は焼いてビールのつまみにして、明日は煮物に。油揚げは三枚購入して、今日は一枚をチンゲン菜とみそ汁に。寄せ豆富は薬味を刻んでそのまま。主菜は牡蠣と肉とにんにくの芽を炒めたものなので、副菜はあっさりと。 ちなみに厚揚げは午前中に売り切れてしまうこともあるので要注意です。
2017年11月15日水曜日
2017年11月14日火曜日
イスラムについて (7)
前橋に外国人向けの日本語学校があるせいか、最近コンビニや外食チェーンのレジに外国人が多くなった。ベトナム、インドネシア、中国、スリランカ、ネパール等々。
その中で、セブンのレジにヒジャブ(Hijab)を被った女性が深夜勤務をしているのが目についた。これがもし日本人がスカーフを被っているのであれば、当然ダメだと思われるのだが、イスラム教の経典に基づく宗教的な理由となれば、服務規程(就業規則)によって規制することも想定外であって、へたをすると人種差別などと言われる恐れもあってはあのままでというのが順当なところなのかと思う。
ただ、このヒジャブは 『宗教的シンボル』 として、公の場所では着用禁止とされている国もあり、何より日本では異様と感じる人や、無礼と感じる人もいるかも知れない。日本は比較的宗教に寛容ではあるが、宗教経典が法律的役割を担う、または経典そのものが法律という国もあるはずで、日本はたまたま宗教に寛容であることで、相容れない価値観を受け入れざるを得ない状況に追い込まれているということも言えるのではないだろうか。
その中で、セブンのレジにヒジャブ(Hijab)を被った女性が深夜勤務をしているのが目についた。これがもし日本人がスカーフを被っているのであれば、当然ダメだと思われるのだが、イスラム教の経典に基づく宗教的な理由となれば、服務規程(就業規則)によって規制することも想定外であって、へたをすると人種差別などと言われる恐れもあってはあのままでというのが順当なところなのかと思う。
ただ、このヒジャブは 『宗教的シンボル』 として、公の場所では着用禁止とされている国もあり、何より日本では異様と感じる人や、無礼と感じる人もいるかも知れない。日本は比較的宗教に寛容ではあるが、宗教経典が法律的役割を担う、または経典そのものが法律という国もあるはずで、日本はたまたま宗教に寛容であることで、相容れない価値観を受け入れざるを得ない状況に追い込まれているということも言えるのではないだろうか。
映画 関ケ原
予想通りと言っていい退屈感。感動も何も残らない珍しい映画だった。司馬遼太郎の作品を映像化することは難しいらしく、かつてNHKの大河ドラマに取り上げられた 『竜馬がゆく』 などの視聴率は、多分当時の最低を記録したように覚えている。
戦闘シーンなどは、ディカプリオの主演したギャングオブニューヨークの喧嘩シーンの方が迫力があったように思え、眠さに耐える映画であることが残念だった。空前のスケール(HP)というのはあんなものではないだろう。
何が悪いのかは断定できないが、原作の三冊を読めばわかるのではと思う・・・・無理だよな・・・・・って。 二度とこんな映画を作らないことを願うだけ。
戦闘シーンなどは、ディカプリオの主演したギャングオブニューヨークの喧嘩シーンの方が迫力があったように思え、眠さに耐える映画であることが残念だった。空前のスケール(HP)というのはあんなものではないだろう。
何が悪いのかは断定できないが、原作の三冊を読めばわかるのではと思う・・・・無理だよな・・・・・って。 二度とこんな映画を作らないことを願うだけ。
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