すっかり影の薄くなった希望の党だが、自分の中に未だに燻っているのは、旧民主党への思いだ。騙されたという思いは、細川新党以来の感覚だろうか。何かはわからないが、もしかしたら日本は変わるかも知れないという淡い期待、漠然とした期待という方が的確なのかも知れないが、ものの見事に打ち砕いたのが細川新党であり、民主党政権であったと思っている。
ふと気になって細川護熙という肥後細川家の御当主の今を検索してみると、茶人、粋人として今を生きておられるようで、多分この人の中では、自分の無能さが国民の希望を打ち砕いたという罪の意識など存在し得ないのだろうと思われる。
さて、旧民主党だが、民進党であろうと立憲民主党であろうと、顔ぶれは民主党と変わることなく、淡い期待を打ち砕いた張本人たちが看板を変えて中央の政界に居座っていることは許しがたい。その許しがたい者たちに、希望の党という隠れ蓑を貸した小池百合子は、姿は変えても同じ穴の貉であったと思えば諦めもつくのかも知れないが、その小池百合子も細川護熙の日本新党結成メンバーとあれば、諸悪の根源はこのあたりかとも思える。
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