2020年10月22日木曜日

目の力 眼力と言うのか

 こんなことを書くと今の時代にはセクハラと言われるのだろう。とは思うのだが、小池百合子東京都知事の毎日の会見を見ていると、どうにも色々と考えてしまう。家内と同じ歳の68歳。

  記者会見で口紅を忘れたと、恥ずかしそうにしている百合子さんは、本当にかわいかった。2歳年下の私が言うのもどうかと思うが、女性のかわいらしさを久々に見たような気がする。

 比較するのは悪いが、片山さつき議員がいる。この方はもちろん頭はいいのだろうが、かわいらしさがない。彼女の唯一の正しい判断は、せこい舛添と離別したことだろう。髪型の趣味も悪い。美人百花の撮影に応じていることから、本人は自分を美しいと思っているようだが、まぁこれは勘違いというか、美ということへの勘違いと言うべきではないかと思う。とにかく暖かさを感じないのは、何かに対しての渇望感か絶望感なのか。

 森まさこ法務大臣、本名三好雅子 (Wikipedia) って 、どういうことなんだろうか。あの自信の無さはどこからくる印象なのか。小便博打の検事に対し、法務大臣として何をしたのかよりも、この人は何のために弁護士となり、国会議員を目指したのか、改めて聞いてみたい。それほどに個人の確固たる意志と言うものを感じない。

 最悪なのが稲田朋美。以前もこのブログで書いたのだが、この人の答弁は一昔前の老人政治家と同じ話し方であること。前節の母音を引っ張り、文頭につなげる・・・というとわかりづらいが、『私は、あー弁護士で、えー国会議員なんですけど、おー買い物が、あー大好きで、えー・・・・』てな具合。防衛大臣という重責を果たせず、毅然とした姿勢も見せず、国民をなめるなと言いたくなる議員だ。もちろん、人間的な魅力も女性らしさも感じない。

 別に女性だからどうこういう訳ではない。小池百合子さんの胆力は、マスク越しに見るその目にも現れている。最近の国交大臣、名前を知る気も起きないくらいの弱弱しい視線。あらぬ方を見ているのか、誰の事を思っているのか。修羅場というほどではないのだが、苦しい時期を自分一人で乗り切った者に備わる胆力。その胆力は視線に現れ、相対するものを射すくめる。小池百合子さんの視線にはそれを感じる。

 

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