難しい定義なのだが、粋(いき)とは、『運命によって諦めを得た媚態が、意気地の自由に生きるのがいきである』・・・・・意味がわからん。この言葉の定義は何と無粋であるのか。粋はあくまでも粋であって、感じるものであって、定義づけに意味はない、と思う。
江戸時代、吉原は粋を競い、野暮は嫌われた。何を売春屈がその存在と、ありようを語ることが出来るものかというのが当然の主張なのだが、その売春屈の存在が、文化や当時のファッションに与えた影響は大きく、隠された悲劇よりもことさらに文化の昇華に光を当てることは正しくはないとしても、粋と野暮の境界線を探る方法論の一つとして見逃すことは出来ない。そして吉原を題材とした時代小説の中で粋と野暮の境界を伺い見ることも手段としては興味深いものがある。
粋と野暮の境目はどこにあるのか。その答えのカギは、見栄と張りとストイックであること。一つ間違えると、滑稽の域に達するという悲劇が陥穽として存在することも忘れてはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿