教育勅語、大日本帝国憲法、明治への回帰は、権力者がそれほど憧れるものなのだろうか。『降る雪や明治は遠くなりにけり』と詠った草田男は、その遠くなった明治に何を思ったのだろうか。明治の時代は、大正昭和と元号を変えても太平洋戦争の終戦まで引き継がれる。
日清・日露の戦争を勝ち抜いた大日本帝国は、その国力の凄さの陰に、江戸時代からの怖ろしいほどの格差社会が存在していた。その格差社会に対する反動は、226事件の根底にもあり、最終的には太平洋戦争の後の財閥解体と、農地改革によって幾分の緩和を見たと言って良い。
失われた特権の回復は、戦後の昭和、平成の歴史と言っても良いくらいに執拗に追い求められ、その一端が戦後憲法の改正論議であり、税制の改革による貧富の差の拡大とも言える。明治から昭和の初期まで、貧しさから女衒に娘を売り渡す地方の現状の中で、今の貨幣価値で換算すれば数億円にも上るボーナスを半期ごとに受け取っていた三井財閥の総帥は、国利、民福を無視したとして暗殺される。
その三井財閥の総帥の孫、團伊玖磨の『パイプのけむり』。この人達の豊かな生活は戦後も続く。歴史は繰り返すと言われるが、繰り返してはいけないし、繰り返さないという誓いの言葉は、原爆の慰霊碑にも書かれているのだが・・・。
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