坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝と言う剣術の熟練者である。事実かどうかは目録しか見つかっていないためわからないが、長刀の目録以上の実力者であったことは間違いないらしい。
誰との会話かは忘れたが、たしか司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中で龍馬は、これからは剣術ではなくて銃だという相手に、これからはこれさ!といって『万国公法』を持ち出した という。この万国公法、キリスト教社会の思想を反映しているということで、東アジアでの受容に異論もあったことだと理解はしているが、いわゆる国際法というものに龍馬が注目していたことは間違いなく、日本の未来を模索していた龍馬にとっては、国際社会で通用する国家の理想像を知る手掛かりであったと思う。
さて本題は、韓国徴用工訴訟の問題。日本人にとってはまたかと言う思いが強い。なにがまたかと言うと、また金を取るために解決済みの問題を掘り起こす。払ったところでまた解決していないと難癖をつける。また繰り返す。要はどこまでも終わることなく問題を出し続ける。慰安婦問題も同じで、国際法上では解決済みとなっていようがお構いなしと言う部分。
サッカーの国際試合で、政治的なスローガンを掲げて顰蹙をかったサポーター、最悪の国連事務総長と言われ、歴代の事務総長(ちなみに国連事務総長は、開発途上国から選ばれる)とは違って中立性を維持しなかった潘基文は、自国の大統領選挙でもフライイング的に選挙活動を行った。このサポーターの動きも徴用工問題でも慰安婦問題でも、要は成文化されてはいないマナーとか、ルールとかあいまいな部分を含めて、国外に出た時に顰蹙を買うことを知らないという恥ずかしさを感じていないのだろうと思う。
日本も同じで、事大主義にその国の命運をかけるしかない国が、他国の権威や軍事力をあてにして尊大な態度をとるというのはどうにもみっともない。それも他国の権威や軍事力が、果たして有事に役に立つかどうかの検証もなされないままというのも怖い。
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