2019年12月27日金曜日

李登輝という人

 先日NHKのドキュメンタリーで、カンボジアの現状が紹介されていた。中田厚仁氏の殺害に関わることや、クメールルージュ統治崩壊後のカンボジア人民党議長、カンボジア王国首相フン・セン氏の動向を記録している。

 フン・セン首相は親中派で、もしやと思えば・・・やはり・・・プノンペン市内の中心部には、フン・セン首相の業績レリーフが彫られたモニュメントが立っていた。首相府ももちろん中国の援助で建てられている (Wikipedia)。独裁化が進む方が、中国にとっては便利であるということは言うまでもない。カンボジア救国党を解体したあたりから、この国の民主化は一歩、また一歩と後退していった。権力を持つということの恐ろしさと言うのだろうか。

 その権力というものを考える時、当時(1990年代であろうか)、総統という地位にあった李登輝総統は、司馬遼太郎の『よくそんな座におつきになりましたね』という質問に対して、『権力を自分にひきよせるのではなくて、まして自分が権力そのものになるのではなくて、ここ(机の上)に置いて、いわば権力を客観化して、・・・つまり実際主義 (プラグマティズム) でもって、権力から役に立つものだけをひきだせばいいと思っているんです』と答えている。

高橋真梨子



2019年12月26日木曜日

前橋を考える(4) 都市の景観

 ポルトガルの首都リスボンを訪れた時、友人の持っていたガイドブックを見ながら目当てのホテルに向かった。夕方、そのホテルと思われる場所にあったのは、通りに面した外壁だけ。本当に外壁だけで、後ろはその外壁の倒壊を支える建設資材と空き地。日中はともかく、暗くなって街灯が灯ったとしても反対側の歩道から見る限り建物は存在しているように見える。

 スペインのマドリッドも同じで、通りから見える外観は重厚で歴史を感じさせる石造りの建物であっても、一歩ドアを入ると近代的な銀行であったりする。ヨーロッパはどこもそうらしく、第二次大戦の空爆で壊滅的な破壊を受けたドイツのドレスデンの街並みも、気の遠くなるような作業を経たとみえて中世以降の威容が回復されている。他方、区画によっては近代的な建物もビジネス街には成長していた。

 ヨーロッパの街づくりの中心は教会であり広場であるが、その植民地となるとまた話は違って、街を政治商業地区と工業地区、住宅地区と区画したりする。もちろん、その他にスラムと言われる先住民の区画も存在する。日本では戦国時代以来の城や寺院を中心とした街づくりがなされるが、城さえあれば、寺院があればということでもないらしく、その地域の城主の人気や家臣団の頭脳の差が街並みに出るようだ。

   徳川氏による江戸の街づくりは少し違っていたようで、『江戸にまっすぐな道はない、という。関八州の広野の端、海辺の漁村に平城を構えた家康は、攻め手を防ぐ要害の代わりに土地の起伏や地形に合わせた掘割に沿って町並みを作った。そのため、切絵図では整って画かれている道が、実際にはうねりくねって方角の感覚が微妙に狂う。・・・池宮彰一郎 最後の忠臣蔵』

   街並みを作るということは、『意志』が必要だということを言おうとしている。その意思を感じられない前橋。

セイコーファイブ 

 再びこの時計の話し。およそ30年ほど前にエジプトのポートサイド、スエズ運河の入口の町で買ったセイコーファイブ。値段もこれくらい。ひっくり返しても、どこにもメイドインジャパンとは書いていない。

 このセイコーファイブを、今から20年ほど前に自動洗濯機で洗濯。この時は水戸の中澤時計店に依頼して、オーバーホールに1万円。それからしばらくして、今度はSEIKOのロゴマークがポロリ。文字盤のカレンダーのところに引っかかって、針の進行を妨げる。しばらく放置していたのだが、倉賀野に直してくれるおじさんがいるということで持って行ったら、20分くらいだろうか、おじちゃんは裏蓋を開け、リューズも引き出して、文字盤を出してアロンアルファ・・・小さなピチッ!という音がして見事にはまった。1500円。

 さらに今回は、SEIKOのロゴの下にある『5』がポロリ。またその倉賀野のおじさんの所へ。かみさんのグッチの時計の電池切れも一緒にお願いして、1600円。手順は前述のSEIKOのロゴの時とほぼ同じ。最後のピチッ!と言う音も一緒。手前で見ていて、詰めていた息がフーッと抜ける。今時、こんな修理を目の前でしてくれる職人肌の人はいないだろう。多分、最低でも作業料3千円から5千円が相場ではないだろうか。

 SEIKO 5 は、永遠の名作、と思うのだが。


2019年12月1日日曜日

葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古沢巌

 お勧めです。


桜を見る会

 何とも無粋な話ばかりで面白くない。春爛漫の桜の木の下で、田舎者が悦に入り、オラが総理と歓談する。そんな場に呼ばれたことを吹聴し、記念撮影をして孫子の代までの自慢話。ついでに総理のおっかぁが呼んだ仲間も一緒に。日本の首相のレベルはその程度かと嘆く。

 よほどまずいと思ったのか、官僚の書類処理の迅速さは、シュレッダーの処理能力も手伝って、超高速。腐った官僚を処理する能力は低いのだが、また運の悪い数人がどこかへ飛ぶんだろうなぁと思う。

 そんな所へ、中曽根元首相の訃報が届く。地元群馬県に住む者として、この人はすごいなぁと思ったことが一つ。地元の後援者の一人が、『中曽根さんはすごいんだけんど、地元にはあんまりやってくれねぇんだ』と言ったこと。

 政治家が、本来の政治家として生きることの難しさを感じるとともに、明治維新から日本を作り続けた長州政権の領袖でさえあの程度かと思うと、先が思いやられる。