群馬県高崎市と前橋市の境にある上野国分寺の跡。写真は七重搭跡の基壇上から講堂の基壇を撮影。ここから東に数キロのところに、国分尼寺跡もある。
駐車場から伽藍に向かうと、ガイダンス施設 『上野国分寺館』 があり、受け取った資料からこの伽藍の盛衰が読み取れる。天災の大きなものは、818年(弘仁9年)の地震(M7.9)、1108年の浅間山の大規模な噴火。人為的なものは939年(天慶2年)の平将門による上野国府の占領(この62年後に平重義が金堂に十一面観音像を奉納していることから、壊滅的な破壊はなかったのではと思われるが)と、1180年(治承4年)の足利俊綱による国府焼き討ちなど。
また同じ資料には、1030年の 『上野国交替実録帳』 から、この時期には多くの建物施設がこの頃までに失われ衰微しつつある状況がうかがえる と記されている。ただ七重搭の記載がない所からまだ残存していたのではないかと推定している。
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