2020年12月25日金曜日

映えるという言葉

  この映えるという日本語を、ばえる と読まれると、その言葉を口にした少女までが汚らしく見えるのはなぜだろうか。私の老いと言われればそれまでで、返す言葉もないが。

 軽井沢は、地元の人は かるいさわ と発音するが、普通は かるいざわ という。さわと言う方が爽やかな風を感じて、あの初夏から梅雨にかけて湿度が高くじめじめとして、また陽ざしが少なく、冬も厳しい住みにくい場所さえも、夏の一時期の高原の爽やかさに包まれているように感じられる。

  ただ単に濁音が汚らしさを感じさせる訳ではないのだろうが、ちなみに、赤ちゃんの命名についての明治安田生命の人気ランキングを見ると、男女とも濁音が混ざる名前は8位の女児ツムギちゃんがあるだけで、20位までは男女共でもこのツムギちゃんだけという結果がある。

 和歌もそうかと思う。Wikipediaで濁音を見ても、答えは見つからない。日本語の清濁をただ濁音だけを取り上げて語るほどの事はないのだろうか。ハケに毛があり、ハゲに毛はないというのも意味はないようで。

 

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