安倍元首相の桜を見る会の最終的な顛末は、小渕優子の政治資金規正法違反の流れを見れば、容易に想像がつく。小渕優子は、1億円以上の収支記載漏れがありながら、平然と議員を続けている。勿論、その責任を取って有罪になったり、公職を辞めた人間も多い。政治屋の得意技、秘書がやったことで、私は知らなかったとなるだろう。
小渕優子、元々父親の小渕恵三は郵政族、急逝した際に跡継ぎをと誰もが思ったが、実子は女性二人。周りの親戚一同は、NTTドコモの未公開株を大量に保有していて、身綺麗で親の後を継げるのは政治経験のない小渕優子くらいということで、情けない話だが消去法で選ばれた国会議員。周りを譜代で固めたという点では、安倍元首相とは似た者同士。起こす事件やスキャンダルにも相似性が感じられる。
さて話は飛んで、今からもう40年以上も前の話し。ある地方の小さな市。この市の市会議員を振り出しに、県会議員から元の出身市長に進んだ政治家がいた。農閑期になると地元の農家の人々は、新宿コマ劇場の観劇や温泉に出掛ける。主催するのは不動産の会社だったり、旅行会社などなど、いずれもその政治家との『付き合い』のある会社で、表向きは現場見学会だったりお得意様へのご招待で、もちろん無料である。しかし招待された人達は、誰が実際にこの旅行の代金を支払っているかを知っている。当然の権利のようにそのもてなしを楽しんでいるのだが、これがある日なくなるとしたら、この議員の得票は他者へと移動するだけだ。暗黙の了解の上に成り立っている観劇会や温泉旅行。その景色の不気味さには誰も気づかない。
さてさて、再び話は飛んで、豊臣秀吉最晩年の醍醐の花見。この醍醐の花見の5か月後に秀吉はこの世を去る。同じ花見でも本当の天下人が主催する花見と、イモが『募った』花見ではこうも違う。花見に行った山口県民は、その卑しさにも気付くべきだと思うのだが、所詮田舎というものは、こんなものかも知れない。
小渕優子の他にもう一人、群馬県が生んだ故中曽根首相への評価は少し違う。ある自民党県連の幹部が、ある日ボソッとつぶやいた。中曽根さんは国家には多大な貢献をしたが、地元にはあんまりと言うより何もしなかった。ここに故中曽根首相の凄さと田舎の政治に対する視点を見る。
県会議員や市会議員ならば地元のために働くのは当たり前だが、いやしくも国会議員と名の付く人間が、地元などという小さなものにサービスしなければならないような状況は、田舎だからという一言で済ませられるものではない。
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