2017年1月31日火曜日

隣国、韓国 1

 トランジットの往復も含めて、韓国への入国は数回に及ぶ。初めて行った時はソウルから入国して高速バスで釜山、慶州の仏国寺ではイギリスのサッチャー首相とすれ違うという幸運にも恵まれた。釜山からソウルへは、特急セマウル号。慌ただしい数日の旅は、移動と食事と宿の手配である程度の労力を消耗して終わってしまう。

 その後日本への留学生と知り合うことでその留学生の実家を訪れたり、亡くなった留学生の父親の墓参りに訪れたり、もちろんその家族を日本に招いたりして交流が深まった時もあったのだが、それもいつの日か消えてしまった。

 拭い去れない価値観の違いと簡単に言っていいものか、加害者と被害者の違いと言われてしまうと返す言葉もなくなってしまう。100年、200年、300年と歴史を遡られては、互いに未来を語る機会さえ失われ、400年も前の豊臣秀吉の侵攻から最終的には日本の文化は1000年以上も遡り我々韓国が伝えて今の日本があることに感謝と畏敬の念を抱けと言われても、我々凡夫には無理としか言いようがない。

 では近い所で日韓併合による太平洋戦争までの弾圧や、日本軍の残虐さについてはどうかとなるのだが、言われているだけでは悔しいので、じゃあベトナム戦争の時の ライダイハンはどうだと聞くと、そんなことは知らないとくる。小さいころから偏った情報を繰り返し繰り返し頭の中に叩き込まれていることを感じるのは私だけではないと思う。だからと言って日本の侵略を正当化するものではないのだが・・・・・

 侵略者は未来志向という言葉を使いたがり、過去を忘れようとする。これは李明博大統領の時代に、韓国政府を批判したベトナム政府の言葉である。(Wikipedia ライダイハンから)

 

2017年1月22日日曜日

イスラムについて 3

 イスラム教徒は酒を飲まない・・・・・飲まないわけではないが、戒律では飲めないわけで、この辺りは豚肉を食べてはいけないということと同列には語れない。

 エジプトではビールを作っていると聞いたのだが、ステラという銘柄で、これは輸入ではないのかとは思ったのだが、エジプトのキリスト教徒と一緒に飲んだ時にそう言われた。深酒はどこでも良くはないが、別れた後このキリスト教徒は街をふらついていたらしく、警察に連行され数日そこで過ごしたらしい。こうなると、法律なのか戒律なのかよくわからない。

 簡単には言えないのだが、イスラム教は人間は弱いものだというところに根差しているようで、衆生本来仏なりという仏教や、人は罪深いものであるというキリスト教との違いであるように思う。だから、人間は弱いから酒を飲むと飲まれてしまうから酒はいけないということになるのか。

 酒でなければ、 はらせぬ憂さがある。酔うことで、心の澱を流す。これが、酒の役割だと儂は思っておる。胃の腑を温め、食欲を増し、そして気分を昂じてくれる。それが酒の効能だと、奥祐筆立花併右衛門は語る。(上田秀人 奥祐筆秘帳)

 

 

2017年1月19日木曜日

地球タクシー ロンドンを走る

 NHK BSの地球タクシー ロンドンを走るは面白かった。ロンドンタクシー(クラッシックな黒いタクシー)の運転手(キャビー)になるには、過酷な勉強が待っている。通常でも3年から4年はかかると言われているが、ちなみに日本の東京で運転手を目指すと、地理試験などを経てほぼ三か月で一人前として街中に放り出される。地方に至ってはほぼ一週間。

 そのロンドンでも格安なタクシーが業界を侵食し始めていて、キャビーのような難しい試験もない、道も知らない、有名な建物の由来も英語さえ出来ないドライバーがいるというのでちょっとびっくり。日本でも似たようなもんだと言うと失礼かもしれないが、道など知らなくてもナビがある。配車システムは格段の進歩を遂げて、知らない街の知らない家までも案内してくれる。都内のタクシーの配車係はタクシーの経験なんかいらなくて、経験としては通販のテレホンアポインターが最高だろうか。またスマホ配車の迅速さは時代の変化の速度をも感じさせてくれる。ナビの進化で人間が退化するという言い方も出来るが、必要のない苦労はしなくてもいいと解釈するか・・・・・。

 この番組ですごいなぁと思ったのは、キャビーではない運転手の中で、バングラディシュからきたドライバーかな・・・・・英語は十分話せるし、雰囲気もいい。何よりも母国に、子供たちの為に病院を作りたいという夢。こんな夢を持っている日本人のドライバーなんていないだろうし、何でもあるもんなぁ日本は・・・・・。まぁキャビーでも同じようにバングラディシュのドライバーのような壮大な夢を持っている者はいないだろうと思う。

 タクシーに乗ると、その国のその町の品位というか、民度の高さがわかるような気がする。まぁ大英帝国の品位なんか奴隷制度で豊かになった国の成れの果てという意見もあろうが、キャビーの操るロンドンタクシーはタクシーの理想像ではないかと思う。

 

2017年1月16日月曜日

狐狸庵先生の本

 久しぶりに狐狸庵先生、遠藤周作の本を読んだ。下旬に公開される映画にも行こうということになっているので読んだのだが、ちょっとこの暗さは辛いかなぁ。

 神道というのは宗教ではないという説を聞いたことがある。では宗教とは何かというと、教祖、経典、戒律等々が揃っているものらしいのだが、それは西洋の宗教学であって、基督教の矛盾を覆い隠す為に、また基督教の絶対優位性を確立するために出来上がった学問による分類ではないかなどということも言われている・・・・・らしい。

 神道を沈黙の宗教と言ったのは誰なんだろう。九州は宇佐八幡、この神様は饒舌なようで御宣託をなさるらしいが、日本の他の神様は沈黙を守り続ける。どうせいこうせいとは言わない。だからというか、必然的に神道からこのような小説は生まれない。


 

2017年1月14日土曜日

大相撲初場所

 小学校に上がる前後から、本場所が始まる前には必ず大相撲の番付が送られてきていた。当時の横綱というと大鵬、柏戸の時代で、他の力士のしこ名はというと、ほとんど覚えていない。送り人の名前は春日野清隆。それが栃錦という稀代の大横綱と知るのはまだ先の話で、相撲に対する興味もなかった。

 宮城県黒川郡大和町にある、陸上自衛隊大和町駐屯地、 昭和31年に開設されたこの駐屯地に栃錦を初め春日野部屋の一行が訪れ、横綱土俵入りや巡業形式の興業を行ったことがあって、栃錦が戦車に乗った写真が記憶の中にある。

 この春日野部屋との交流は、後に父親と栃錦が江戸川区にいたころから続いていたことを知ったのだが、相撲というものはどうにも異次元の世界にしか見えなかった。

 時代小説を読むようになってからだろうか、相撲とその伝統を意識して見るようになったのは。日本人の横綱不在が続いているが、モンゴルの人達が席巻している今の状況を苦々しく思うことはない。ナーダムでもわかるように、モンゴルは相撲の発祥地ではないかと思えることもあって、本家帰りしているのだろうかというくらいに思っている。日本人がその競技に精神性を持たせ、築き上げ磨き上げたた伝統と歴史は学ぶ所が多いと思えるが。

 一つ気になるのが遠藤、照ノ富士、逸ノ城の三力士。故障が多いのと一時期の勢いが無くなってしまった力士達だが、その勢いのある時に同じ会社のCMに登場したというのは偶然なのだろうか。

2017年1月12日木曜日

今欲しいもの

 今何が欲しいかと聞かれれば、金!と即答するだろうが、金があればどうするかと重ねて聞かれれば、答えは自分の浅はかさを思い知るだけのものとなりそうだ。以前読んだ伊集院静の随筆大人の流儀に、ばくち打ちがダメな理由が滔々と書かれていたのだが、ばくち打ちでなくてもそれは当てはまる。要は自分のことしか考えていないということなのだが、自分のことで精一杯と考えれば決して悪いことではないとも思えたとしても、やはりそれは大人の人間ではないということなのだろう。悲しいことにこの年になって、自分のことばかりで他人の為に生きたことなどないと思えるのはちょっと辛い。

  禅宗の僧侶が友人にいて、その生活を若い時から少しずつ垣間見ていると、物を持たない、所有しないということに凄さを感じてきた。妻もいない。僧堂の中で修業を積み、その僧堂で20年を過ぎたころに琵琶湖のほとりの小さな寺の住職となった。檀家が少ないので年収は36万円。米や野菜など日常の食材や水道光熱費は檀家持ちと聞いてはいたが、貧しさは感じられずその飄々とした生き方には尊敬の念さえ覚えたものだ。

 一度身の回りの物と最低限の食器など残して全ての物を捨てたことがあるのだが、5年10年と経つうちにまたまた荷物は増え、簡単には引っ越しもままならないようになってしまった。それからさらに10年、さてと引っ越しでもするかと思った時には、20年前の状況よりもさらに悪化していることを悟り、いかんなぁとは思っても取り返しはつかない。豊かさとも言えないし、無駄と思うのも癪に障る。 もう一度、使わないものいらないものを整理して、ちょいと身軽になってみるか・・・・・

 

 

暇つぶし・・・・・上田秀人、奥祐筆秘帳

 時間があっても難しい本を読むのは辛いとき、やはり時代小説に手が向いてしまう。 この小説、何度か読み返すうちに主人公が修業する剣術道場の主、大久保典膳の教えとその生き方に魅かれるようになった。付箋など付けていけばきりがないのだが、大久保典膳の言葉に付箋を付け始めるとチクチクと自分の生き方の非違を咎められるような部分があまりに多すぎるのに気づく。

 長編もこれくらいまでだろうか、佐伯泰英の居眠り磐音あたりになると長すぎて、12か13巻くらいで飽きてしまった。

 

2017年1月6日金曜日

ラジオ英会話

 入院したばかりに英会話はしっかり中断してしまった。日常的に英語を使うわけでもないし、必要に迫られていないためもあってなかなか上達もしない。かえってコンビニにいるベトナム人に簡単な会話を習う方が進展が早い。

  とばかり言ってられないので、今日はこんな本の紹介。著者は白熊の写真家としても有名な女性。日本語も堪能なので、日本人の感性に対しても理解があると思われる。


イスラムについて 2

 入院していて久しぶりに麻酔から目覚める時と、病室での目覚めを経験した。アザーンが響く。その声で朝を知る。カイロのICUもカーテンで仕切られたベットの上で目を覚ました。ここはどこだろうかという問いに答えるようにアザーンが響く。

 不自由な身体を動かして周りを観察しようにも、暴れたせいかベルトなどで縛られている。下の方から衣擦れのような音が間断なく聞こえるのだが、その音の正体がよくわからない。やがて視界の中に人が立ち上がるのが見えた。お祈りだ。不寝番の医者が小さな敷物の上で朝の祈りを捧げている。メッカはあの方角か、などと思う。

 本当なのか、5人の信者の前で信仰の告白をすればイスラム教の信者になれるとかで、十人近い人の前でわけのわからない言葉を言わされ、よ~しこれでお前もイスラム教徒・・・・・ということで、異教徒は入り込めないモスク (今は違う言い方をするのか) の礼拝にも参加することになった。悪いことに、(いいことなのか) ラマダンの時期。日の出から日没まで断食。日の出前に知人の家に行き朝食を摂り、日没までは余程のことがない限り水さえも飲まない。当然の如く、午後にもなると動くことさえ嫌になってくるし、考えるのは飲み物と食べ物のことばかり。木陰のカフェにでも行きたいが、シーシャ(水パイプ)もだめ。

 ラマダン明け、実際は3週間ほどであったラマダンの経験は、普通のイスラム教徒の生活を知る上でいい経験であったと思う。これほど宗教が身近にあるという経験は日本ではなかなかできない。一緒に同じ苦痛だけでなく、食事の楽しさも、断食明けの達成感のようなものまで一緒に味わう。