入院していて久しぶりに麻酔から目覚める時と、病室での目覚めを経験した。アザーンが響く。その声で朝を知る。カイロのICUもカーテンで仕切られたベットの上で目を覚ました。ここはどこだろうかという問いに答えるようにアザーンが響く。
不自由な身体を動かして周りを観察しようにも、暴れたせいかベルトなどで縛られている。下の方から衣擦れのような音が間断なく聞こえるのだが、その音の正体がよくわからない。やがて視界の中に人が立ち上がるのが見えた。お祈りだ。不寝番の医者が小さな敷物の上で朝の祈りを捧げている。メッカはあの方角か、などと思う。
本当なのか、5人の信者の前で信仰の告白をすればイスラム教の信者になれるとかで、十人近い人の前でわけのわからない言葉を言わされ、よ~しこれでお前もイスラム教徒・・・・・ということで、異教徒は入り込めないモスク (今は違う言い方をするのか) の礼拝にも参加することになった。悪いことに、(いいことなのか) ラマダンの時期。日の出から日没まで断食。日の出前に知人の家に行き朝食を摂り、日没までは余程のことがない限り水さえも飲まない。当然の如く、午後にもなると動くことさえ嫌になってくるし、考えるのは飲み物と食べ物のことばかり。木陰のカフェにでも行きたいが、シーシャ(水パイプ)もだめ。
ラマダン明け、実際は3週間ほどであったラマダンの経験は、普通のイスラム教徒の生活を知る上でいい経験であったと思う。これほど宗教が身近にあるという経験は日本ではなかなかできない。一緒に同じ苦痛だけでなく、食事の楽しさも、断食明けの達成感のようなものまで一緒に味わう。
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