この言葉は三波春夫が言った言葉で、実は本人の意図とは別な使われ方をしていると何かの本で読んだことがある。その三波春夫は、『この言葉を盾に悪態をつく客は、様をつけて呼んでもらえるような人たちではない(Wikipedia)』とまで言っている。
実は夜の街でこの言葉を盾に傍若無人に振る舞う人たちには、ある共通した要素がある。威張る(I)そしてせこい(S)。イスラム国をISというが、夜の街のISもさほどにひどいものがある。
なぜ威張るのか、どういう人が威張るのかを観察してみれば、学歴や社会的な地位は関係ないことがわかってくる。弁護士、医者、役人、国会議員、資産家、会社の社長役員と呼ばれる人々の中でも知性の低い、危機感の足りない、要はバカな人間がよく威張る。
こんな言葉がある。『威張られても、立場の違いが我慢を強いる。言葉を返せぬ無念、人前で恥をかかされた恨み、それらは脳裏を離れることなく忘れることはない』人の恨みと言うものは恐ろしいと思えば、余程に万全な策を講じるか謙虚に生きるしかない。
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