2019年9月27日金曜日

曼殊沙華 白花

   園芸用と思っていた曼殊沙華の白花、いつもの散歩道に咲いていた。以前、赤いヒガンバナが咲いていたので記録を撮り、Wikipediaで調べたことはあるのだが、園芸用に作ったものを誰かが植えたのだろうか。

 いずれにしても、この花は赤いものだと思っていた。球根に毒があるためか、小さい時に触ろうとしただけで怒られた記憶がある。Wikipediaには、稀に色素形成異常で、白みがかった個体もあると書かれてはいるが、白みがかったというよりもきれいな白色をしている。

2019年9月17日火曜日

デオコ・薬用ボディクレンズ

 三連休の最終日、家内の買い物に付き合って、近くの薬局とスーパーを目指して出発。薬局ではこのボディソープを含めて3点の買い物だったのだが、いつもの場所にこの製品がないのでもう一つの店舗へ。そこにもないので別な薬局へ行ってみると、そこにもない。他のボディーソープと違い、特売の対象になることもなく、どちらかと言うと値段も高めの設定だったこともあり、売れないから消えたのかと思ってはみたものの、違う店も含めて3店舗から一気に消えたことで、トラブルでもあったのかと思って帰ってから調べてみると・・・

 発売元のロート製薬のHPでも消えている! さらに検索を進めると・・・数か月前、今年の5月あたりに、『まるで女子高生のような匂いをまとえる』とブログに書かれたことで、おじさんたち!に売れている・・・という記事が。この製品は、女性用の加齢臭対策のボディーソープなのに。全くなんということだ!女子高生の匂いがどんなものかは知らないが、他の物のついでに買ってきたことがあって、『このおじさんも、いい年をして・・・』などと思われていたのだろうかと愕然・・・

 さらに今日も調べていると、ロート製薬の製品情報ページから、アマゾンへ・・・確か600~700円だったものが、高いところで1400円! 送料を安くするために3個買って、そうすれば1個934円・・・カートに入れる寸前に気付いた・・・! 私の名前で買うと、おじさんが注文!という変態リストに加えられるのではないかという不安。こりゃいかん・・・と言うことで、明日埼玉県のスーパーに行く予定があるのでそこでチェックして、あれば現金で買うことに。なければしょうがないから諦めてもらう。あとは家内自身が口座を開くしかない。面倒くさいなぁ・・・


2019年9月11日水曜日

ユヴァル・ノア・ハラリ

 今日 (9/8) の朝日新聞。(朝日新聞って嫌いなんだけど) 歴史学者・ハラリ氏の警告という記事が目についた。AI支配  大半が「無用者階級」に・・・という見出し。ハラリ氏は、『技術はいい方にも悪い方にも働く。いま国家や企業が市民を監視するために一方的に使っている技術を、市民が国家を監視するためのものとして開発すべきだ』と言う。


義足と歩む ルワンダに生きる日本人義肢装具士

 ルワンダに住み、義足とともに歩むルダシングワ・真美とガテラ夫妻の戦いを描く本の紹介。著者は松島恵利子。彼らの日々の生活を伝える『ワンラブ通信』も66号を数える。

 私たちがルワンダに行ったのは、15年くらい前だっただろうか。ナイロビから40人乗りくらいの飛行機に乗り、ビクトリア湖を超えると、緑に覆われた丘が続く。千の丘があると言われるほど、美しくなだらかな丘が続き、首都キガリへ。

 50万とも100万ともいわれる虐殺の影が残る街は、それでも復興へのエネルギーを感じさせるものがあったように思う。簡単には行けないところだが、ガテラ夫妻のいうマナーを守ってルワンダを訪ね 、彼らへの支援をお願いしたい。


風速の単位が、時速ではなく秒速なのはなぜですか?

 さすがは国土交通省気象庁のホームページ。この質問の答えは、『気象庁では、1886 (明治19年) に、風速を秒速で表記するよう定めました。現在秒速の表記は、気象分野だけではなく、風工学などの学術研究や耐風設計などの技術的な基準など、一般にも広く定着しています。なお、実際の風の強さをイメージしやすいように風の強さと吹き方という表を作成しています』 

 ちなみに今回の台風による瞬間最大風速、千葉市で約50m/sということは、時速に直すと180km・・・秒速50mと言われるよりも、時速180kmの風と言われた方が分かり易いし、いちいち表なんか見なくても想像はつくのではないだろうか。ついでに、一般に広く定着という時の一般とは何だろうか。

 

テレビ朝日 ニュースステーション

 久しぶりにテレビ朝日のニュースステーションを見た。スタッフが入れ替わり、これも若返りと言うのかなどと思いながら見ていたのだが、『次はこのニュースです』と言いながらCMに移る場面が多く、それも1本だけでなく、その次のニュースまでの間をイライラしながら待つことが出来ず、結局見ることを止めてしまった。年を取ると我慢強くなるはずなのだが、どうにも私の場合はそうではないらしい・・・。

年金改革 忘れられた社会保険庁の責任

 年金財政が破綻する、国民年金が枯渇する。年金の受取金額がどんどん減っていく。旧社会保険庁の中に、『私たちの最大の仕事は、天下り先を作ることだ』と、退職の際の文集に書いた国賊級の職員がいた。もうその文集は処分されたこととは思うが、旧社会保険庁の年金に対する犯罪は、もみ消されていった。今頃は、のうのうと高額年金を受け取りながら老後を送っていることと思われる。年金改革と言うならば、まずはこんなやつらの年金を取り上げ、極貧の中で私腹を肥やしたことを後悔させるべきではないのだろうか。

2019年9月6日金曜日

台湾

 連合国軍最高司令官マッカーサーは、中国・台湾の日本軍に対して、中国戦区最高司令官蒋介石に降伏するように命じた。当時重慶にいた蒋介石は、先発として陳儀を台湾省行政長官兼台湾警備総司令官に任命した。この陳儀、かつて福建省の主席時代、一省を汚職まみれにした札付きのアジア型の政客で、在任2年間台湾を私物化し、搾れるだけのものを懐に入れた。(台湾紀行・台湾)

 蒋介石の後継者蒋経国の最大の功績は、李登輝総統を副総統に指名し、後の李登輝総統を生む基礎を作ったことだと思われる。李登輝総統の時代に戒厳令は解除され、台湾の民主化が進む。

  台湾は、香港の情勢を対岸の火事としてはいられない。明日は我が身だと思う人が多いだろう。民主的な国家など、そう簡単には出来上がらないことは台湾の国民がよく知っている。選挙権も表現の自由も、一度失ってしまうと取り返しはつかない。

  

初代 海王丸 Kaiwo Maru

海王丸


  昭和5年 (1935年) 進水。平成元年 (1989年) 引退。伏木富山港海王丸パークに係留されている。1年に10回ほど総帆展帆と登檣礼が行われる。

海の貴婦人の名前は、未だに健在である。

2019年9月2日月曜日

ルクソール

 エジプトの案内書を読んでいたら、ルクソールの町から西岸の王家の谷へ至る道は、今はナイル川に橋が架かり、団体客もバスでそのまま行けるようになったらしい。初めて行った時は、ホテル前の貸自転車を借りて、観光用のフェリー (民生用もある) に乗って、船着き場の近くにあるチケット売り場で自分が行きたいところのチケットを購入してから向かった。

 ナイル川を背に、メムノンの巨像の前で一休み。突き当りを右折して走ると、道路の左側は遠くにハトシェプスト葬祭殿を見ながら砂漠が続き、右側はナイル川まで緑が続く。葬祭殿を過ぎると大きく左に曲がりながら登りとなり、両側が岩山の道をひたすら走る。突き当りが王家の谷。ここから自転車を抱えて岩山を登りきると、眼下のハトシェプスト葬祭殿に戻ることができる。近道といえば近道だが・・・。

  面倒なことや嫌なニュースばかりの日本での生活、ナイル川から吹き寄せる風にあたりながら走った感覚は、遠い過去のものとなっている。アラブの春を超えたエジプトは、今どうなっているのだろうか。

2019年9月1日日曜日

貝原益軒 養生訓

 こういう本を読みながら笑っているというのは、家人には異様に映るようで、確かに笑いながら読むような本ではないはずなのだが・・・

 この書に従って生活すると、人間はどうなるのか。考えるだけで怖ろしい。

 その巻第二総論下に、『華佗が言に、人の身は労働すべし。労働すれば穀気きえて・・・』と、またまた三国志の曹操に関わる華佗が出てくる。岩波文庫の養生訓には、和俗童子訓も併載されていて、これは江戸時代の教育論として広く庶民の間に読まれたらしい。この養生訓、健康長寿を保つための心構え、食餌法を述べて現代においても示唆に富む書となっている。(表書きから抜粋)

 さて、この養生訓に従って生活をしてみると、面白くもなんともない人間ばかりで、活気というかどうしようもない人間ばかりになってしまいそうな気がする。あの食生活では、相撲取りもアスリートも出来ない。酒を飲んで大騒ぎもなければ、美食のレストランがはやることもない。とにかく大人しくしていることが最善という感じで、若さも何もない年寄りばかりの世界が現出しそうだ。手遅れとは思っても、高齢者になってから、暇つぶしに読むには笑えて楽しいかもしれない。あ、養命酒はいいと思います。 (笑)

 

金持ちと貧乏人

 韓国の文在寅大統領は、両親が北朝鮮からの避難民であり、極貧の幼少期を送っている。 (Wikipedia) 

  かつて、首都圏の市議会議員から県会議員、出身地の市長を歴任した政治家に話を聞いたことがある。その政治家が言うには、『貧乏な人が政治家になるということは、大変なことなんだ。首都圏とはいえども一地方都市、こんな小さな町の市議会議員になったとたんに数々の誘惑が押し寄せる。案件によっては、今までの年収の数倍の金額が目の前にちらつく。手を出せばすぐ届くところで・・・』

 今、評論家としてテレビなどに出演している杉村大蔵などは、衆議院議員に当選した時に、『新幹線の、それもグリーン車にタダで乗れる』と言ってアパートの一室で喜んだほどに、議員とは貧乏人にとって夢のような世界なのだ。前述した政治家は、その地方都市では一番の資産家でもあり、地盤の強固さはもとより、潤沢な資金を保持していたからこそ言えるのだとは思うが・・・

 また三国志に戻る。劉備は故郷の涿県で筵 (むしろ) 織りを生業としていた。中山清靖王劉勝の後裔にあたるとは言っても、貧しい生活をしていたわけだが、劉備を支えていたのは天下を取り、漢王室を立て直したいという志。志を維持するものは血筋かよとも思うが、貧乏なうえに、誇れる血筋もないとなると・・・どうなるのかなぁ。

 文在寅大統領の経歴を読み、行動、表情を見ていると、ソウルに住んでいる韓国人留学生の知人を思い出す。『日本に住んで生活して、その苦しさや悔しさを忘れずに生きてみろ』と最初に会ったころに言ったことは、すでに忘れているだろう。歴史認識について議論をすると、最終的には全てを日本の統治が壊したと激高するところに落ち着く。日本の統治30数年を語る人は多いが、李朝の統治500年を語る人はいない。

 貧乏と金持ち。また話題が逸れてしまった。