群馬県前橋市総社町光厳寺。『広報まえばし』で、天狗岩用水が世界かんがい施設遺産登録されたことを知り、初めて訪ねてみた。
前橋四公の一人、秋元長朝の名前は知ってはいたが、酒井、松平など他の三公ともども、前橋を見捨てた大名だと思っていたことが間違いであることを知った。
本堂横の霊廟の左側にある力田遺愛碑は、天狗岩用水完成から170年以上もの後に、農家一軒一握りの米を持ち寄って建てた秋元家への感謝の印であり、封建時代に領民が領主の業績を讃えたという全国でも珍しい物。(広報まえばし)
また光厳寺山門の横の宝搭山古墳の頂には、秋元家の墓地があり、秋元家の前橋に対する愛着まで感じられる。この古墳が方墳であることが別な興味を引き出すが、今日はこのまま秋元家の業績を偲びたい。
なお、天狗岩用水の名付けの基となった開鑿時代の難関、天狗が教えた大岩の除去については、2000年以上前の中国四川省都江堰の技法が使われており、この天狗の正体がしりたいところではある。
また国際かんがい排水委員会 (ICID)については、まだ歴史も浅いとは言え、日本人八田與市一が作り上げた台湾の烏山頭ダムと台南平野のかんがい施設が登録されていないようで、そのあたりも気になるところだ。
400年前に、年貢を三年間免除してこの天狗岩用水の開鑿に挑んだ秋元長朝。まだ参勤交代もなく経済的に余裕があったとはいえ、この業績と400年を経た今でも役に立つものへの投資は、もう少し賛美されても良いのではと思われる。前橋藩ではなく、総社藩であったことが引っかかりなのかとも思うが、同じ上野国の偉業として大事に守っていけば良いではないだろうか。