2018年7月26日木曜日

スズメバチ

 油断していたら、久しぶりにスズメバチに刺された。ちょうどヤブガラシの花を訪れていたところらしく一匹だけ。手袋の上から刺されたためか、針も残らなかったので、冷水で絞るように洗って応急手当。黄色スズメバチにしては小柄かなとは思ったが、逃げられてしまった。

 腫れはすくないのだが、一応ステロイド系の塗り薬を塗って、少々のかゆみはがまんすることに。しかし一瞬アナフィラキシーショックのことが頭をよぎって、ひやりとはした。来週また現地へ行く予定もあるので、次回に備えて万全の体制を構築中。

 確かに危険な昆虫ではあっても、自然の中で共存できるのが一番で、近づけない、近寄らないという原則でという考えは変わらない。


白河ラーメン 賀乃屋

 埼玉県上尾市にある、白河ラーメンのお店。NHKで紹介された白河ラーメン
『とら食堂』で修業したという店主。ただし、何年修業したのかはわからない。

 口コミ評価は高いのだが、少々コクがないように感じたのは自分だけだろうか。同じ埼玉県の菖蒲町にある、大輝の方が知名度は大きくはないがおいしく感じる。

 期待が大きかっただけかも知れないが、秋になったら本家本元の『とら食堂』へ出かけて、帰りは宇都宮の餃子。一泊のラーメンと餃子の旅へ。

2018年7月21日土曜日

カジノ 博打の考え方

 アメリカ、ネバダ州ラスヴェガス。なんだかんだと言いながら3度も訪れて、少しはいい思いもしながら、しょぼしょぼと帰ってくる。悪いことにあの町は、楽しみに溢れているから始末が悪い。

 朝のうち、連れの社長さんも私も結構儲かっていて、二人の収支はプラス3万ドル以上。『お~い、夕食に寿司屋を予約しておけ』と言われてコンシェルジュにとことこ歩いて行って、レストランの資料をもらってまたカジノへ戻る。

 二人の夕食のメニューは、ビール、味噌ラーメンに餃子、野菜炒めetc. 疲れ果てて眠りにつき 、夜中に起きだすと、レストランでコーヒーを飲み、またカジノ。勝てるわけがない。

 伊集院静が言うには、『ばくち打ちは、自分のことしか考えない』そうで、ばくち打ちになることは、親不孝そのものであって、まっとうな人間のすることではないらしい。

 ところが世の中、そうはいかない。就職も結婚も全てが博打同然。株式市場もまた然り。若いうちから、いや、幼児期から博打の勘を磨いておかないと、とんでもないババを引いてしまうことになる。このババ、ジョーカーと言うと少しあか抜けて、ババ抜きでなければマルチユースのカードともなり得て、必ずしも不幸なカードではない。しかし、人生において、そんなカードを掴むことはまずあり得ない。

 さて博打の勝ち方にも、負け方にも、潔さと奇麗さがある。たとえ場末のチンチロリンでさえ、奇麗な勝ち方と汚い勝ち方、また同じように負け方もある。まぁそんなことはどうでも良くて、一つ、日本証券業協会のホームページから、株式相場格言集と言うのを探し出してみると面白い。明日から博打うちの心構えが変わるかも知れない。


2018年7月20日金曜日

ゴーヤのフライとサラダ

苦瓜、なんでこんなものが美味しく感じられるのかと思うくらいに美味しい。

 醤油、塩、抹茶塩、フライには必ずソースという人にも耐えられる味。春の王者をタラの芽とすれば、夏はゴーヤのフライが最高だろう。

 サラダは、レタス、ピーマン、ミニトマト、パプリカ、大葉、玉ねぎ、パストラミ、白ごま、ちりめんじゃこ。マヨネーズにドレッシングでもいいのだが、味ポンを少しだけでも。

 舌の構造は、先端で甘みを、酸味、辛味、苦みと奥の方に行くにしたがって難しい味を感じるようになっているらしく、確かに苦みを美味しいと感じられるようになったのはある程度の年齢に達してからだと思う。

 味覚は鍛えられるものらしく、鍛える時には錯覚も大事な要素となるらしい。しかし鍛えると思って食事をとることは苦痛を伴うだけで、ただその食事を楽しむという単純な姿勢で良いと思う。食事を楽しむ ということは、何と平和で豊かであることか。


2018年7月18日水曜日

民度

 白昼、市内のスーパーマーケットに刃物を持った男が押し入り、店員二人にケガを負わせた。年齢は60~70歳。包丁二本を持っていて、脅しのつもりと言われても、殺意がなかったとは言わせたくない状況だろう。以前、万引きの疑いで拘束されたことがあって、その際の恨みが動機だと聞いたが、詳細は明らかになっていない。

 事件の2~3日後、このスーパーの社員から話を聞く機会があって、『民度』という言葉がでたのでこの言葉を調べることになった。どうやら明確な定義はないらしく、事件や行事、ニュースなどで公開される人々の行動を、それぞれの価値観で感じるようなものらしい。どこを捉えて評価するかは、よほど広い視野と豊富で正確な情報を公平な目で見ない限り正確とは言えないと思うのだが。

 さて、このスーパーの社員が言うには、店舗によって状況は異なるが、価格が他のスーパーよりも低めであるということで、生活レベルと民度の低い客が多く、クレームと怒鳴り声、それによる騒ぎは日常茶飯事だとか。

 社員にすれば被害者的な発想になるのはやむを得ないとは思うが、顧客側の意見はまた違うものがあって、あのスーパーの店員の対応はとにかく悪いこともあるらしい。まぁあれもこれも立場が違えばそうなるか程度のもので、売る方も買う方も、最低限のマナーという、これさえ定義がはっきりしないものを守っていないために起きる齟齬ではないだろうか。それを民度の低さというのか。ただ社員の感じ方は、貧しさを民度の低さと言ったようにも思えたのだが。

 サッカーのワールドカップで優勝したフランスでは、歓喜した群衆が、シャンゼリゼで暴徒化して略奪に走ったという。歓喜して暴徒と化するかどうかは別として、これをしてフランス国民の民度の低さと言ったらどうなるか。同じワールドカップの観客で、政治的横断幕を出して場違いな主張をした国の民度はどうか。つらつらと考えてはみるものの、社交的な奥様のおかげで高級官僚が退職したり、空転する国会を擁する首相を持った国民の民度の低さも相当なものだ。

 

お笑いはいらない

 NHKの『人体』という番組、やはりタモリの出演で品が下がったと思う。サングラスの下からニタニタと笑っているキャラクターがなぜこの番組に必要なのかと思うのだが、難しい番組を親しみやすいようにという配慮なのかどうかは知らないが、目障りでならない。同じ形は同じ放送局の違う番組でも採用されていて、この男の必要性のわからない番組になっている。

 地上波をサーチすると、芸能人が集まって手をたたいて笑っている番組はどの局でもやっている。バラエティーとはよく言ったもので、国会議員になって、『新幹線のグリーン車にタダで乗れる』と喜んでいたような愚物が世相を評論したり、粉飾決算等で株式市場を混乱させた元受刑者が堂々と自前の意見を披露している。

  『今のテレビは、誰をも満足させようという不可能な希望を持ちすぎるために、誰をも満足させない結果になっている』これは、昭和36年に司馬遼太郎が書いた文章である。そして『製作の濃度を濃縮すれば、きっとテレビは面白くなる』と言っている。繰り返すが、昭和36年、1961年のことである。未だにテレビはそんな不可能な希望を持ち続けているらしい。


2018年7月13日金曜日

最高の長寿食

 長寿であることが良いことなのかどうかは別として、巻頭を飾るのは『細胞を長生きさせるブドウ、リンゴ』抗酸化物質が、寿命を決める「テロメア」の短縮を遅らせるという表題。そして最後から二番目の表題は、『緑茶がガンを抑制するはホント』。

 ただし無農薬であること、とは書いていない。 知人の女性で、ブドウを一粒、リンゴをそのままひとかじりしようものなら、呼吸困難に陥り命に係わる症状を呈する方がいる。アレルギーで著名な女医A氏は、緑茶、果物特にイチゴ、リンゴ、ブドウ、トマト等々ネオニコチノイド系農薬を使う食品によるアレルギー反応に警鐘を鳴らし続けている。

 このネオニコチノイド系農薬の影響は、蜂群崩壊症候群(CCD)の原因の一つと言われており、フランスでは大陪審がその使用を禁じているはずだ。果物の身体と人間の寿命に及ぼす良い影響も、農薬によるアレルギーとの共存はあり得ないものなのだが。


2018年7月12日木曜日

今年の梅干

今年の梅干 約3週間目
1年から2年に一度のペースで、梅干を漬けている。ここ数年は紫蘇を使わず、塩分20%の塩漬けの物を天日で干しあげていたのだが、今回は紫蘇漬けにして塩分も15%と控えめにした。

 塩漬けの後、1週間目に紫蘇を入れ、これで3週間目。中心部まで赤い色がついてはいるが、表面は多少色のむらがあるため、あと1週間くらいで天候を見て天日干しをした後にまた梅酢に戻す予定。

 塩分20%のものと比べて食べ易く、かと言ってカビの発生リスクも少ないので、これくらいが塩分濃度の限界なのかなぁと思っている。白漬けよりは、やはり赤いものが美味しそう。

 日本に住む外国人の大半は納豆、梅干が苦手なようだが、梅干に関してはいきなり1個を口に入れるような無謀なことさえしなければ、夏の暑さ対策としても見直すことが出来そうな気がする。ついでだから、『酸っぱいは成功の基』などと教えておく。

2018年7月11日水曜日

丸亀製麺 昼食を食べながら

 埼玉県の昼過ぎ、気温は35度を上回ると思われる時に、熱いかけうどんにネギをたっぷりと入れて、天ぷらを二品。七味唐辛子をかけて。

 食べていた場所が悪かった。カウンターの後ろから厨房の様子が見えて、新入りの従業員、正社員なのかアルバイトなのかはわからないが、30歳前くらいの男性が天ぷらの素材に衣をつけている。この男性は初日ではないかと思えるくらいに手つきが覚束ない。横にこれまた正社員かアルバイトなのかわからないお姉さんが付いて教えている。

 『これが終わらないうちは帰れないよ』とこのお姉さん。そのうち他のことを終えてまた戻ってきたお姉さんが、何かの道具のありかを聞いている。悪いことに、その男性のすぐ前にその目的のステンレスのパッドが隠れていた。男性はその道具の呼称さえ知らなかったようだ。目がおよいでいる。私なら一言、『しらねぇよ』ぐらい言いそうな場面なのだが、その男性はじっと衣付けを続けている。確かに手は遅い。

 感覚的なものでその場面を推測することは良くないとは思っても、自分の経験がそれを許さない。一か月後にまたこの店を訪れた時に、果たしてこの男性がいるかどうか。また店に入った時から食べ終えて出るまでの間に、行列ができるほどに込み合っていた店内から『いらっしゃいませ』『ありがとうございましたd』という声がほとんど聞こえなかったこと、従業員の顔がコマーシャルのように生き生きとしていなかったこと(あれはコマーシャルと言われればそれまでなのだが)がどうしても気になる。

 バブル崩壊後、失われた20年、25年(何が失われたかは主語がないのでわからないが)は、正常な労務管理と、従業員を大事にするという正常な感覚が失われた年月であったと思う。低い賃金と劣悪な労働環境であっても、使ってやっているんだという使用者側の姿勢はこの年月の間に定着して、当たり前のようになっている。これは最前線の従業員が、かつての日本軍の歩兵のように、兵站が枯れて満足な補給の無いまま使い捨てにされていく状況と変わることはない。ただ、この感覚から早く脱出した企業だけが、これからの経営に手ごたえを感じられるような気がするのは私だけだろうか。

 さて、丸亀製麺の教える側の女性は、誰に今日は仕事が終わるまで帰さないぞと言える権限を与えられたのか。また働く人たちが、どうしたら生き生きと働けるかを誰が考えているのだろうか。 後味の悪い昼食であったことは間違いない。

 

2018年7月8日日曜日

藤原氏の正体

 百済の義慈王の子・豊璋(章)が中臣鎌足(藤原鎌足)であるというこの説。大化の改新の時に、蘇我入鹿を殺した中大兄皇子(後の天智天皇)とその忠臣中臣鎌足。ところが、入鹿暗殺直後、古人大兄皇子は『韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ』と述べている。ただし日本書紀の分注には、『韓政=朝鮮半島をめぐる外交問題』が原因でと記している、らしい。

 大化の改新、中大兄皇子、中臣鎌足は歴史の教科書では、悪漢蘇我入鹿を滅ぼし、新しい日本を築いた英雄的なイメージなのだが、その大化の改新自体が従来のイメージとは異なるものであったことを資料を駆使しながら類推してゆく。

  歴史を全く違う方へ自分の認識を持ってゆくことは至難の業と言わざるを得ないが、この綿密な考証はなかなか説得力がある。天智天皇はその諡号も魅力的であって、民衆の支持もあったであろうと思っていたのだが、その強烈なまでの百済救援政策は民衆の反発を招き、また近江への遷都も反対論が根強く、民衆が各地で暴徒化したという。さて、豊臣秀吉も藤原氏を猶子として名乗ったのだが・・・


2018年7月4日水曜日

満中陰 四十九日の法事で

 日曜日、義母の四十九日の法事。脳溢血で倒れた義母は、約7ヵ月の闘病生活の後に他界した。一時はリハビリを行うまでに快復したのだが、その直後に肺炎を併発し徐々に体力を失い、眠るように亡くなった。

 さて、その法事の席で、住職の話しというのが噴飯ものであったので、以下にその要点を記す。

 この住職、兼任住職とはいえ、一応はこの肉山(裕福な寺をそう呼ぶらしい)の住職。『本来であれば、この戒名の方の回向をするのは私ではなく、私は院号以上の戒名をお持ちの方の導師をする者である』『今回特別に私が導師を務めるのは、今製作中の日蓮聖人の銅像建設に寄付をいただき、日ごろから講にも参加して、お寺の行事などにご参加お手伝いただいていることを鑑み、導師を務めさせて頂いた』『私はハワイにコンドミニアムを所有して、ハワイにはよく行っていた。当初、何人かで持っていたが、会員が減って負担が増えて....ブツブツ.....』『この町は名物もなく、人がなかなか集まることもなくさびれている。裏の山に日蓮聖人の銅像を作れば観光客も増えるだろうと、今寄付を募り、製作も頭部、胸部、胴体と進んでいるが、お金が足りなくて、台座ができない。』

 まぁ要点はこんなところだが、明らかにこいつはバブル時代のくそ坊主。年のせいもあるだろうが、日頃の鍛錬の少なさか、声も通らない貧弱な誦経(まぁ随僧がいたのでまだ良かったが)。あんな銅像で観光客が増えるなら、誰も苦労はしない。戒名などというもので死者の位が変わるとか、日蓮さんはそう教えたのか。

   この町は門前町として栄えた歴史もあるのだが、どこの地方都市とも同じで人口の減少が進み、町の衰退は火を見るより明らか。何とも後味の悪い法事、というよりも後味の悪い法話(あんなのは法話とは言えない)だった。