2018年7月8日日曜日

藤原氏の正体

 百済の義慈王の子・豊璋(章)が中臣鎌足(藤原鎌足)であるというこの説。大化の改新の時に、蘇我入鹿を殺した中大兄皇子(後の天智天皇)とその忠臣中臣鎌足。ところが、入鹿暗殺直後、古人大兄皇子は『韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ』と述べている。ただし日本書紀の分注には、『韓政=朝鮮半島をめぐる外交問題』が原因でと記している、らしい。

 大化の改新、中大兄皇子、中臣鎌足は歴史の教科書では、悪漢蘇我入鹿を滅ぼし、新しい日本を築いた英雄的なイメージなのだが、その大化の改新自体が従来のイメージとは異なるものであったことを資料を駆使しながら類推してゆく。

  歴史を全く違う方へ自分の認識を持ってゆくことは至難の業と言わざるを得ないが、この綿密な考証はなかなか説得力がある。天智天皇はその諡号も魅力的であって、民衆の支持もあったであろうと思っていたのだが、その強烈なまでの百済救援政策は民衆の反発を招き、また近江への遷都も反対論が根強く、民衆が各地で暴徒化したという。さて、豊臣秀吉も藤原氏を猶子として名乗ったのだが・・・


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