日曜日、義母の四十九日の法事。脳溢血で倒れた義母は、約7ヵ月の闘病生活の後に他界した。一時はリハビリを行うまでに快復したのだが、その直後に肺炎を併発し徐々に体力を失い、眠るように亡くなった。
さて、その法事の席で、住職の話しというのが噴飯ものであったので、以下にその要点を記す。
この住職、兼任住職とはいえ、一応はこの肉山(裕福な寺をそう呼ぶらしい)の住職。『本来であれば、この戒名の方の回向をするのは私ではなく、私は院号以上の戒名をお持ちの方の導師をする者である』『今回特別に私が導師を務めるのは、今製作中の日蓮聖人の銅像建設に寄付をいただき、日ごろから講にも参加して、お寺の行事などにご参加お手伝いただいていることを鑑み、導師を務めさせて頂いた』『私はハワイにコンドミニアムを所有して、ハワイにはよく行っていた。当初、何人かで持っていたが、会員が減って負担が増えて....ブツブツ.....』『この町は名物もなく、人がなかなか集まることもなくさびれている。裏の山に日蓮聖人の銅像を作れば観光客も増えるだろうと、今寄付を募り、製作も頭部、胸部、胴体と進んでいるが、お金が足りなくて、台座ができない。』
まぁ要点はこんなところだが、明らかにこいつはバブル時代のくそ坊主。年のせいもあるだろうが、日頃の鍛錬の少なさか、声も通らない貧弱な誦経(まぁ随僧がいたのでまだ良かったが)。あんな銅像で観光客が増えるなら、誰も苦労はしない。戒名などというもので死者の位が変わるとか、日蓮さんはそう教えたのか。
この町は門前町として栄えた歴史もあるのだが、どこの地方都市とも同じで人口の減少が進み、町の衰退は火を見るより明らか。何とも後味の悪い法事、というよりも後味の悪い法話(あんなのは法話とは言えない)だった。
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