白昼、市内のスーパーマーケットに刃物を持った男が押し入り、店員二人にケガを負わせた。年齢は60~70歳。包丁二本を持っていて、脅しのつもりと言われても、殺意がなかったとは言わせたくない状況だろう。以前、万引きの疑いで拘束されたことがあって、その際の恨みが動機だと聞いたが、詳細は明らかになっていない。
事件の2~3日後、このスーパーの社員から話を聞く機会があって、『民度』という言葉がでたのでこの言葉を調べることになった。どうやら明確な定義はないらしく、事件や行事、ニュースなどで公開される人々の行動を、それぞれの価値観で感じるようなものらしい。どこを捉えて評価するかは、よほど広い視野と豊富で正確な情報を公平な目で見ない限り正確とは言えないと思うのだが。
さて、このスーパーの社員が言うには、店舗によって状況は異なるが、価格が他のスーパーよりも低めであるということで、生活レベルと民度の低い客が多く、クレームと怒鳴り声、それによる騒ぎは日常茶飯事だとか。
社員にすれば被害者的な発想になるのはやむを得ないとは思うが、顧客側の意見はまた違うものがあって、あのスーパーの店員の対応はとにかく悪いこともあるらしい。まぁあれもこれも立場が違えばそうなるか程度のもので、売る方も買う方も、最低限のマナーという、これさえ定義がはっきりしないものを守っていないために起きる齟齬ではないだろうか。それを民度の低さというのか。ただ社員の感じ方は、貧しさを民度の低さと言ったようにも思えたのだが。
サッカーのワールドカップで優勝したフランスでは、歓喜した群衆が、シャンゼリゼで暴徒化して略奪に走ったという。歓喜して暴徒と化するかどうかは別として、これをしてフランス国民の民度の低さと言ったらどうなるか。同じワールドカップの観客で、政治的横断幕を出して場違いな主張をした国の民度はどうか。つらつらと考えてはみるものの、社交的な奥様のおかげで高級官僚が退職したり、空転する国会を擁する首相を持った国民の民度の低さも相当なものだ。
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