2020年4月29日水曜日

ホットケーキ

 納屋のようなところに放置してあったホットプレートを出して来たら、10年以上の年月にもかかわらず十分に機能する。テレビで広島風のお好み焼きの実演をやっていて、その通りに材料を揃えて作ってみると、なかなかの出来栄え。

 ということで、次は久しぶりに大好きなパンケーキを作ろうと思ってスーパーに行ってみると、ホットケーキミックスが全て売り切れ。 どうやらコロナウイルスの蔓延で、子供も大人も家にいて、おやつとしての売り上げが上がっているらしい。

 まいったなぁとか思いながら棚を眺めていると、上の方に『パンケーキミックス』と言うのがあって、全く売れていない。あ、あるじゃないかと一袋買ってきたのだが、後になって考えると、なぜこれだけ残っていたのか。理由は多分、パンケーキと言う名前が一般的ではなかったのではと思い至り、ホットケーキをWikipediaで調べてみたところ・・

 これから初夏を迎え、気温も上がればホットプレートの活動域も変わり、ついでにホットケーキの甘ったるさにも飽きて、またスーパーの棚にも戻るだろう・・・それまでの辛抱か・・・

2020年4月23日木曜日

人にものをあげるということ

 アベノマスクという言葉は、今回の国によるマスクの配布を多少なりとも揶揄する表現になっている。どこの国の人か、『もらえるだけでもいい、私たちの国は何もくれない』と言っていたが、日本の医師は、このマスクは機能的に『ないよりはましだろう』と言っていた。

 ないもよりもまし、という言葉を考えた時に、では『ありがとう』という言葉を言う時とはどういう時なのかを考えた。本来であれば『物』をもらった時には 、感謝の意を表すためにありがとうと言うのだが、『ありがとう』という言葉は、なかなかあり得ないこと、有難いことだという意味がある。

 ついでだからないよりはまし、と言うのはどういうものか家内に聞いてみた。BVDのトランクスを買いに行ったら、褌を買わされた。ビールを買いに行ったら、炭酸水を買わされた。そんな感じかねぇと言ったら、冷ややかな視線を浴びた。そんな時に、このアベノマスクの提案者の、灘高から東大へ行ったエリート官僚の写真がネットニュースに出ていた。佐伯耕三首相秘書官44歳。禿げ上がった後頭部に多少の毛髪が。あれもないよりはましというものかもしれない。

 人に物を、もちろんお金でも、あげてバカにされることほど情けないものはない。その人の育ちとか、性格や総じての人品を疑われる。海外でのチップでも同じで、その習慣のない(実はあったのだが)日本人は特に戸惑うことも多い。そんな人は、ホテルに入った時の007のチップの渡し方を見るのがお薦め。いずれにしろ、有難いことだと思われる贈り物をしてみたいといつも思う。

  

10万円の処理

 基本的なスタンスとしては、有り余るほどに現金があるならともかく、そうでないからもらって貯金する。これが信用できる政府、信頼できる役所の存在があれば話は別なのだが。

 この10万円は一時所得として来年の確定申告で申告することになるのだろう。東日本大震災の政府の膨大な支出を埋めるため未だに税金が付加されているが、恒久的なものになるまで減額はあり得ない。それに加えて今回のコロナ禍の財政支出の穴埋めは、必ずや増税という形で最終負担を求めてくるだろう。

 問題は、ガソリンに課されている暫定税率(まだその名前が付いているのかは知らない)のように恒久化されること。どうせそうする。モリカケで首相に貸を作った財務省は、消費税の引き下げ、もしくは暫定的な0%への移行も考慮せず、自らの安泰を計っているように一番安易な、簡単に取り返せる現金支給を認めた形になっている。

 多分、今後この10万円は倍返しくらいの金額で増税され、負担は増えていくと思われ、それに備えて貯金しておいても間に合わないくらいの支出増になると思う。 今の混乱の後に、アフターコロナの世代はさらなる重税に苦しまなければ良いのだがと思う。

2020年4月13日月曜日

知事の顔

 県知事・都知事・府知事・道知事は、戦前は勅任官であったが、現在では選挙で選ばれる(Wikipedia)。コロナ対策では、日頃なじみでない県知事までテレビ画面に映し出されることも多く、その能力を窺い知る発言も見られる。

 小池都知事は、知事選から都議会議員選挙のドタバタで一気にその価値を下げたように見られるが、ここにきてその力量はなかなかのもではないだろうか。ただ自民党の対応は、先の知事選挙の意趣返しの雰囲気がある。と思われるほど彼らは執念深く、コロナの問題で小池都知事に得点を稼がれることに嫌悪感を持っているようだ。

 一方、千葉県知事森田健作はこの危機に瀕して、多分何の役にも立たないだろう。北海道鈴木知事と比べてはかわいそうだが、一本筋が通っていないことはだれの目にも明らかで、千葉県庁内のフォローは大変だと思う。この鈴木知事を選んだ北海道民のレベルの高さに敬意を感じるが、森田健作を知事に選んだ千葉県民の民度の低さは、いずれ自分たちに災難として降りかかってくるだろうと思う。

 若い人たちが政治の世界でも活躍し始めている。二世議員でもない、実力を持った人たちがその持てる力を揮えるような日本でなければならないと思う。


2020年4月11日土曜日

高校講座 NHK第二

 さて、保健体育の真面目な時間がやってきます。水曜日午後8時から、NHKラジオ第二。壇蜜先生の高校講座。この裏番組、同じくNHKラジオ第一では、唐橋ユミさんの甘い声も捨てがたい。


ゲートボール

 新型コロナウィルスによる肺炎で、東京都が緊急事態宣言を出した翌日、群馬県前橋市の公園では、老人50人近くが集まってゲートボールをしていた。プレーしている人以外は、コートの端に集まって、ミニお花見状態。

 サンミツってのは、壇蜜もへぇってるんかい? あほだなぁおめぇは、財務省とか厚生省がホラべぇこいてることだんべや。おめぇこそあほだべや、ありゃあセンミツっていうんじゃねぇんかい。などという会話が交わされているのかどうかは知らないが、全くのんきと言う他はない。

 群馬県は災害に対しても、暢気に構えている。いわゆる危機感と言うものがない。台風も来ない。水害もない。津波も地震もない。平野部は雪も少ない。土砂崩れもない。冬場に風は強いが、住みやすいと言えば住みやすい。コロナウィルスの蔓延も、隣の埼玉が三桁を超えている時に、未だ二桁の半分以下。

 だからと言って、あのゲートボールはないだろう。と思ったのだが、残り少ない人生を窮屈な思いで生きたくないので、決死の思いで参加しているのだろうかとも思われる。関東のどん詰まり、山を越えれば越後と信州。物なりは決して良くなく、古くから小麦と蒟蒻の生産が主流で、コメの生産が不安定で豪農の育つ風土ではなかった。流行も豊かさも通り越して行く。コロナウィルスも通り過ぎて行くことを願うだけだ。

一茂に、バカ呼ばわれされた経産省官僚

 テレビ朝日のモーニングショーで長嶋一茂が、安倍首相の『一住所に2枚の布製マスクを配布する』という発言に対し、その提言をした官僚をも『俺もバカだけど、これほどのバカはいない』という意味のことを言った。その布製のマスクは、海外でもアベノマスクと揶揄されるような昔のタイプ。一枚200円だそうで・・・小池都知事のサージカルマスク姿と比して余りの見劣りと、今時このマスクをしているのが我が国の首相かと思うとがっかりする。

 ついでにこの官僚は『これで国民の不安はパッと消えます』とさささやいたという。この官僚の所属が正確には経産省なのかどうかは別として、首相にささやける官僚が、学力的には一茂なんかより上であることは間違いない。しかし、こんなバカが側近という首相の哀れさは、結局のところ首相も官僚もバカという言葉に収束していくのだろうと思う。

  問題は一茂と首相、二人のバカが片や首相であり、片やマスコミで堂々と意見を述べていることではないだろうか。この二人のバカの共通点は、大した能力もないのに七光りで世に出ているところ。時代は江戸時代そのもの。余談ながら、一茂と同じ番組に出ている石原良純も七光りでテレビに出て、『次の世代に何を残せるか模索している』とか言っている。

 血筋で凝り固まった世界は窮屈だ。中国も劉備玄徳の子孫を名乗る劉姓を未だに名乗っている人々がいるらしいが、劉氏一族は皆殺しの危難に襲われていて、確かな劉氏の存在は証明のしようがないらしい。競走馬のように管理された血統でさえ駄馬を生むこともあるが、人間の世界では、まして政治だ演劇だの世界までそれを大事にしすぎると、新しい血が求められる時代の必要性を感じる。明治維新は、その転換期ではあったと思うが、その血筋はまた新たな血筋尊重の時代を生んでしまったように思う。

2020年4月1日水曜日

安倍ちゃんも苦労するよなぁ

 ある日の我が家の会話。

 妻『安倍さんも奥さんぐらいコントロールできないのかねぇ』
 私『我が家もコントロールできていません』


都市の景観 馬印 のぼり旗

 武田信玄の武田家では、出陣の際に『御旗楯無御照覧あれ』と祈るらしい。これはTVか本で見た限りで確証はないのだが・・・

 この御旗、武田家に縁のある寺に残っていると思われるが、今はわからない。 また、武田家には有名な風林火山の旗もある。上杉謙信は毘沙門天の『毘』。戦場において、この旗の敵味方の兵卒に与える影響は大きい。

 しかし、都市の景観に与えるインパクトとなると話は違う。都市に限らず、合掌造りの白川郷の道端にも品の悪い旗がパタパタとはためいている。コンビニ、食堂、居酒屋に限らず、猫も杓子もという感じでどこにでものぼり旗がひらめく。

 やめませんかね。とにかく品がない。電信柱とのぼり旗、ついでに下品な色の看板。牛丼はすき家の味が好きなのだが、あの赤は気持ち悪い。ゆで太郎の看板は食欲をそそらないと思うし・・・


WHOとIMF

 最悪の場面に最悪の事務局長を頂くWHO。自国の保健衛生状態さえまともではない国から事務局長を選ぶ理由がどこにあるのか。その最悪のテドロス・アダノム事務局長は、中国の顔色を伺いながらの及び腰。その及び腰が『渡航制限にまでおよんではいけない』とか中途半端な声明を出したために、世界がパンデミックの様相を呈するようになってしまった。

 そしてIMF。これは女性の発言だが、『日本の消費税を15%に』。これほどのバカはなかなかいない。今の日本は金持ちと大企業優遇税制の真っ盛り。これをさらに消費税15%と言うことにすると、格差はさらに大きいことになる。日本のどこの金持ちが煽ったのかは知らないが、天下のIMFが金持ちの味方だとは知らなかった。 こんな大企業と金持ち側について内政干渉をするようなIMFは、敵だ。


カップヌードルの晩御飯

 失業者の夕食、『コンビニで買ったカップヌードル』を食べていた。その人が仕事を失ったことと、寂しい夕食を表現したのだろうが、これは贅沢と言うものだろうと思う。

 まず、コンビニのカップヌードルは最低でも180円くらいはする。群馬県で袋麺を購入すると、やすいもので5袋入りで税抜き180円くらい。メーカ物でも5袋入りで400円前後。さらに、3食入りの生麺のラーメンは、150円前後。カップヌードルは今や贅沢品なのである。


オイルショック時のトイレットペーパー、洗剤パニック

 昭和49年前後、私は千葉に住んで新聞配達をしていた。オイルショックの時期にガソリンや灯油の値段に関しての実感はなく、洗剤とトイレットペーパーの不足を叫ぶ世間にも冷めた気分を味わっていた。それもそのはず、不足していると言われた洗剤もトイレットペーパーも、会社の倉庫には山ほど積まれていたからである。さらに注文すれば、注文しただけ送られてきていた。朝刊を配り終えれば一休みして、日中からその洗剤を持って新聞の拡張に出れば、すんなりと契約は取れた。

 洗剤メーカーも、テレビでは生産は通常通りと言ってはいたが、後日、生産と在庫『調整』をしたことが明らかとなり、モーニングショーで謝っている姿が映し出された。全てがデマから始まったことで、それをマスコミが煽る役目を果たしたことも間違いではない。発端は大阪のダイエーであった。その大阪のニュースが全国に広まり、終息に約6ヵ月を費やしたと記憶している。ダイエーは潰れたが、片棒を担いだマスコミは未だに健在で、物価の値上げと消費者の混乱に貢献している。

パルミジャーノ・レッジャーノ


今、たべてみたいもの。

WHOのテドロス

 今年2月、このブログに『あいつは何しに中国へ』という記事を書いた。テドロスというWHOの事務局長は、世界にとって犯してはならないほどの失政を行った。それが今の世界の状態を招いたと言ってもいい。それも今となってはタラレバの話しで、取り返しはつかないのだが。

 しかし、彼の名誉を守るわけではないが、本当の原因を求めるならば、やはり中国の政策、戦略に関わらなければならないと思う。本来であれば国連とその機関への拠出金は、自国への有利な政策を導入するものではなく、さらに加盟国だけではなく、全世界的な視野に立って拠出されるべきもののはずだ・・・と言うのは理想論で、実は国連自体が第二次大戦以降の歪んだ体質を抱えている。

 WHOの事務局長の選出基準は何か? それがもし拠出金の多い国の意向で、なおかつその国に有利な政策を進めるとしたら、本末転倒と言うよりも世界的な犯罪に等しい。歴史時代も含めて中国という国は、君主のあるべき姿、民のあるべき姿をあらゆる面から知識として醸造してきた国だと思っているのだが。