幹事長は甘利。この1点だけをもってして、岸田政権の薄汚れた体制を感じる。そこに小渕優子ときたら、金の管理と金に汚い奴の名誉回復のための政権かと思う。
さて、岸田首相の何が人気のなさの原因なのかと考えていくと、垢抜けない優等生というキーワードがある。 残念ながら、垢抜けた優等生は、どぶ板を踏むようなことはできない。半面、今井などの垢抜けない優等生は、アベノマスクなどを見て、これは駄目だとは思わない (笑)
幹事長は甘利。この1点だけをもってして、岸田政権の薄汚れた体制を感じる。そこに小渕優子ときたら、金の管理と金に汚い奴の名誉回復のための政権かと思う。
さて、岸田首相の何が人気のなさの原因なのかと考えていくと、垢抜けない優等生というキーワードがある。 残念ながら、垢抜けた優等生は、どぶ板を踏むようなことはできない。半面、今井などの垢抜けない優等生は、アベノマスクなどを見て、これは駄目だとは思わない (笑)
菅前首相は就任直後、議員世襲制について否定する考えを述べた。それこそが自民党の有力者を敵に回す原因になったのではないかと思う。問題の根の深さを感じたのは、その件に関して意見を求められた麻生副総理が、『まだ引退の予定はないのでわかりません』と答弁した時。すでに70歳を超えた人間が先の事を考えないわけがないのだが・・・痴呆になっているのであれば別ではあるが。
同じような答弁は、菅前首相にもあった。たしかこれ以上コロナの感染者が増えた時にはどうするかと問われて、『仮定の設問には応じられない』と答えていたのには驚かされた。この国の中枢部門にいる人間は、現状を認識しいてこれから来る未来に対して備えるということを知らないし、考えないということなのだろう。
世襲制が色濃く残る日本は、民主主義国家ではない、江戸時代と同じ封建主義社会と言ってよい。福沢諭吉であったか、幕末に米国を訪れた際に、建国の父ジョージワシントンの子孫はどうされていますかと質問して、満足な答えをされなかったことに驚いていたが、当時開明派と思われている福沢諭吉でさえその程度である。結果的には福沢家でさえ、三菱の岩崎家などと姻戚関係を作り上げ、華麗な家系を作り上げている。
間違いないのは、この議員世襲制は早めに規制して、本来の民主主義を構築しなければ、ただのクソ国家になりかねない。
今、入院先から一時帰宅した。手術が必要な癌のための入院で、入院日時が今回の衆議院議員選挙公示日の翌翌日ということで、前日に期日前投票を夫婦二人で終えてからの入院となった。今頃縫い合わせた傷の痛みに耐えているころではあったのだが・・・
事は意外な展開で、手術室に入ってから心電図の接続時に不整脈が出たことで手術は中止となった。心電図は外来で一か月前から二度取っていて、どうやら命拾いであったかもしれない。人の役に立つようなことも何もしないで、迷惑だけは人一倍かけ、努力して医家として働く若い人々の世話になる。これはどうにもし難い。かといって命は限りなく惜しい。
さて、それはそれとして、病院にいても娑婆にいてもあの年寄りは何とかならんのかと自分を差し置いて思うことが多い。病室にいてルールを守らないのは、必ずと言ってよいほど老人で、病室に限らず、ロビーや談話室、外来、エレベーターと枚挙にいとまはない。一般時の行動をいちいち具体的には列挙しない。話は次に飛ぶ。
昨年の忘年会シーズンであったか、国民には忘年会等を自粛するように首相はじめ偉い先生方が依頼していた。ところがその首相の下にのこのこ出かけて行って忘年会をしていた老人は、世界のホームラン王、王貞治、通山の金さん、杉良太郎、etc. 人の見本になるべき男たち、早く表舞台から去れ!
時の副総理麻生財閥の坊ちゃんは、マスクが嫌いと見えて鼻丸出し。4人で会食するしかないなら6人家族はどうすんだ・・・などと文句を一杯言う割には例のアベノマスクは、黙認。この人の威張り方を見ていると、まぁ知性は低いのだろうが、金持ちの坊ちゃんを偉くしてしまうとこうなるという典型的な見本としか言いようがない。麻生財閥の御曹司らしいが、会社というのは本来的に独裁的であり、民主主義の形態には合致しないものだということを忘れている。金に飽かして留学などしてなまじ英語が話せるから、自分は頭がいいと思っている典型的に馬鹿な年寄りだろう。
もう65歳を過ぎたら、最前線からは撤退した方がいい。二階、菅、麻生、甘利、ついでだから、維新の虎之助ちゃん、志位さんはおいらと歳も一緒。陰で若い者を支え、決して表には出ないで、責任は自分が被る。金も地位も名誉も全部欲しがるのではなく、後から考えたらあの宰相は本当は誰々が育てたと言われるような年寄りになってほしい。あ、もう一つ。旧民主党の菅さん。これは情けない。恥というものを知っていれば、とっくに引退してるだろうになぁ。
何年前のサミットだったろうか、日本の首相がタラップを降りるのに、手すりを使いながらゆっくり降りてきたのに、イギリスの当時の首相はタッタッタと駆け下りてきた。その違いは、老若だけの違いではなく、政治体制そのもののような気もしたのだが・・・
保険、葬式、政治といたるところで使われるこの言葉。どうにもこの言葉を使われると、寄り添うだけではなく、いつの間にか背中に張り付かれ、ちゅるちゅると栄養を吸われ、何もかも持って行かれそうな気がする。
それも、金持ちから持ち去るのならばよいのだが、この言葉を使う時は、貧しいもの、弱いものに取りつくときに使わるように感じられる。菅さんが眠そうな目で言ったからかなぁ・・・
ソニーとパナソニック、その株価はパナソニックがソニーの10分の1。そのソニーのほぼ10年くらい前の株価は今の10分の1。何が起きているのかは別にして、それは当然の帰結だということを少し掘り下げてみたい。
パナソニックの創業者松下幸之助は、経営の神様と言われていて、晩年彼自身もそう言われることに嫌な顔はしなかったようだ。それだけでも馬鹿というにふさわしい人間であったと思う。松下幸之助はある時、彼の絶頂期と言ってもよい時期に、こう言った。『うちにはなぁ、ソニーちゅうええ研究所がおましてなぁ・・・』
ソニーが作った新製品、それをパナソニックの社員が買ってきて、分解してその良し悪しを検討し、パナソニックブランド、当時は松下電器の製品として新しく売り出す。これを強力な販売力で売るものだから、人は勘違いをして彼を経営の神様としてあがめるようになる。
その勘違いによる弊害は、後の松下政経塾において開花する。馬鹿神様を信奉する信者は有名国立大学等を卒業した頭脳優秀なる人間たち。かつてマニフェストという公約を掲げて民主党を立ち上げた人間たちで、あの野田首相を生んだ。その野田は、『マニフェストというものがあります。私はそれを命がけで達成する』と街頭でぶち上げた。そして今もこそこそと生きている。松下政経塾は野田がその一部ではなく、それが全てだ。その後の日本を検証すれば、松下政経塾出身者による無能無策ぶりが今の日本を作り、歴史を改竄し、国家の財産を使って地元の花見会を開催するような馬鹿首相を許すような状況に追いやった。
パナソニックは、今経営の再建に取り組んでいる。下がった株価を上げて時価総額を押し上げる試みに精力を傾けるより、本来の物作りの心意気をソニーに頭を下げて学ぶべきではないだろうか。そして、松下幸之助の神格化と政経塾の看板をソニーに献上して処分することが、将来の日本の為ではないだろうか。
一昨日の参議院予算委員会の質疑を聞いてしまった。別段期待したわけでもないのだが、時間的な余裕もあって聞いてしまった。
内閣総理大臣のうつろな目。うつむいたままで同じ文章を何度も読み上げる。蓮舫もわざとらしく悲痛そうな声を上げて、首相からその文章以外の言葉を引き出そうとするが、 無理無理。今日の朝日新聞によれば、その貧相な総理大臣は実に17回も同じ文章を読み続けたらしい。
あの貧相な総理大臣が我が国の総理大臣である。東北通信社にいたちゃらい息子の親父は、我が国の貧相な総理大臣である。かといって野党は嘘つき集団であって、たとえ政権を奪取したとしても(これは100%あり得ない)何もせずに終わることは、前回の民主党政権で証明済みの話。
従って、あの貧相な総理大臣を抱え、貧相な国会討論を聞くしかない。そんな貧相な国家がオリンピックなんてできるわけがない。
厚生省の全国の感染者とか死亡者、重症者の統計はどこまで信用していいものなのか。大本営発表とか、インパール作戦の時みたいだとか、今になっても太平洋戦争時代と同じ間違いを犯している国の姿勢を咎める報道もある。
まぁそれはともかく、国家の威厳など期待する方が馬鹿なのだろうが・・・あ、菅さんさあ、議員の世襲制を改めるって話はどうなった?
国家というものがあって、公正な選挙制度があって、民主的であること・・・この民主的であるという定義が難しいのだが、簡単に見分ける方法と言うと・・・日本で言えば、安倍政権打倒とか、菅政権打倒、安倍のおっかーを証人喚問に引き出せ!とか民間人が発言しても、秘密警察や自衛隊に引っ張られることがない・・・
そうである国とそうでない国。世界が大きくこの二つのパターンに集約して、冷戦時代のように対峙して軍拡競争や、対立を強める。もちろん最終的には戦争しかないのだが、次の大戦ではどの国も大きな損害を被る恐れがあり、代理戦争的な局地戦争さえ慎重にならざるを得ない。
今、韓国はかつての李承晩や朴正煕の時代に戻ろうとしているのか、その時代と窮屈な国家が好きなのか、『そうでない』国を目指しているように感じられる。長い歴史の中で、中国にヘコヘコしていた時の方が、他国にでかい顔をしていられた記憶が消えないのかと思われる。正に東方礼儀の国の再現である。
ミャンマーはよくぞ軍部が政権を手放したと思っていたら、あっさりと中国側に転んでしまった。しばらくは暗黒の時代に逆戻りとなり、人々の顔から笑顔が消えるだろう。
香港はもう後戻りはできない。周庭さんが無事に娑婆に帰ってこられるか、精神を破壊されてくるか、それだけが心配ではある。嫌ならばあの大国相手に戦うか逃げるしかない。台湾は黙っていると同じ道を歩み、日本もじわじわと追い詰められてゆく。
人種差別だとかヘイトスピーチという言葉はあるが、きれいごとばかりではろくでもない奴らの非合法な手段には対応できない。
中国やロシアの仲間になりたいか、欧米の仲間になりたいかの選択期間はそれほど短くはないように感じられるのだが・・・
オリンピック東京大会の開催で揺れる今、当初の東日本大震災からの復興をアピールする大会から、いつの間にか人類のパンデミックに対する勝利がテーマとなりそうな勢い。
その大会で金メダルが確実視されている体操の内村航平君が、いかにも向こう受けしそうな発言をした。『どうしたら開催できるかを考えよう』という、いかにも前向きな発言ではあるのだが、答えはワクチンと治療薬ではないだろうか。
観客を無くし、声援を無くしてまで開催する意義はどこにあるのだろうか。さらに事務局のドタバタ劇や老害としか言えないような政治家の醜態は、パンデミックに対する日本の先進国とは到底言えない状況を世界にさらしている。
内村航平君の発言は、太平洋戦争時代の日本の軍部の発想そのままに国民の我慢だけを強いて、無理な戦いに臨ませようとする不合理さを思わせる。ついでに言うのであれば、オリンピックに出場してメダルを獲得した人が、人格的にも優れているというような政治家やオリンピック事務局中枢への登用。柔道の山下などは、森の発言をうすら笑いで聴いていたような男である。少なくとも、最低限の学習をした後でやってほしいと思わせることが多すぎる。
オリンピック、今回はやめましょう。僅かなアスリートがいくら努力を重ねたとは言え、他の圧倒的多数の国民を危険な状況に追い込む必要はどこにもない。
コソ泥の疑いがあるということで、捜査関係者が捜査することになった。
ところが、当のコソ泥にも都合があるということで家宅捜索の日付が変更され、実質的な家宅捜索が行われたのは1年以上も過ぎたころだった。
1年の間に証拠品は持ち出されて処分され、何も見つからなかったということで、コソ泥の嫌疑はないとこのコソ泥は開き直った。
題名とは関係のない話でした。
群馬県前橋市総社町光厳寺。『広報まえばし』で、天狗岩用水が世界かんがい施設遺産登録されたことを知り、初めて訪ねてみた。
前橋四公の一人、秋元長朝の名前は知ってはいたが、酒井、松平など他の三公ともども、前橋を見捨てた大名だと思っていたことが間違いであることを知った。
本堂横の霊廟の左側にある力田遺愛碑は、天狗岩用水完成から170年以上もの後に、農家一軒一握りの米を持ち寄って建てた秋元家への感謝の印であり、封建時代に領民が領主の業績を讃えたという全国でも珍しい物。(広報まえばし)
また光厳寺山門の横の宝搭山古墳の頂には、秋元家の墓地があり、秋元家の前橋に対する愛着まで感じられる。この古墳が方墳であることが別な興味を引き出すが、今日はこのまま秋元家の業績を偲びたい。
なお、天狗岩用水の名付けの基となった開鑿時代の難関、天狗が教えた大岩の除去については、2000年以上前の中国四川省都江堰の技法が使われており、この天狗の正体がしりたいところではある。
また国際かんがい排水委員会 (ICID)については、まだ歴史も浅いとは言え、日本人八田與市一が作り上げた台湾の烏山頭ダムと台南平野のかんがい施設が登録されていないようで、そのあたりも気になるところだ。
400年前に、年貢を三年間免除してこの天狗岩用水の開鑿に挑んだ秋元長朝。まだ参勤交代もなく経済的に余裕があったとはいえ、この業績と400年を経た今でも役に立つものへの投資は、もう少し賛美されても良いのではと思われる。前橋藩ではなく、総社藩であったことが引っかかりなのかとも思うが、同じ上野国の偉業として大事に守っていけば良いではないだろうか。
仕事のある時は晩御飯は一人。今日はポトフ。ポトフにはソーセージ、ベーコン、キャベツ、玉ねぎ、にんじん、鶏肉、ジャガイモ、トッピングの緑はイタリアンパセリかな。
画面左から玄米ご飯、明太子と鮭、佃煮昆布、サラダはレタスにトマトと玉ねぎ、小皿は自家製松前漬け、漬物も自家製で、大根、胡瓜、生姜。グラスには焼酎のお湯割り、ほうじ茶付き。
そうそう、松前漬けなのだが、小さいころは青森県八戸市に住んでいて、松前漬けは冬の保存食であっただろうか。昆布とスルメを刻まされて、食べてもそれほどに美味しいとは思えなかったが、成人して自分で好みの味を追いかけるとともに好きになってきた。
味付けは醤油と酒のみ。昆布、スルメ、人参、数の子。白いご飯がふんだんに食べられるのであれば、味付けに余計なものはいらない。
あくまでも漠然とした見方かも知れないが、菅総理大臣を見ているとあの竹下・金丸時代と同じ雰囲気を感じる。その時によく耳にした言葉が、『粛々と』という意味の分からない言葉。後で辞書を引いたのだが、未だにこの言葉は『国民の意向を無視して』という意味だと確信しているところがある。
後に石原慎太郎が竹下を評して政治の天才と言ったらしいが、 何をしてそうまで言い切ったのかはわからない。金丸に至っては北朝鮮で土下座外交を繰り広げたということで、後に右翼団体に命を狙われるところまで行き着いた。今のようにネット環境もなく、正確な情報を流すこともなく政治の世界が進んでいたころの話で、政治の世界の混沌は計り知れないことが多すぎる。
また一つ、竹下・金丸時代に聞いたことだが、市議県議上りは大成しないということ。たしか竹下は島根県議から、地元の当時では日本でも有数の大富豪の援助を受けながら国政に進出した記憶がある。市議県議上りだからドロドロした中での生き抜き方は出来ても、国際感覚のなさや官僚の扱いが下手で、足を引っ張られることにもろいらしい。結果的に官僚に対しては威圧的となり、人事を掌握することで圧力をかけるしか手法がなく、結果的にサボタージュを含めた抵抗にこらえきれなくなるということなのだが、これは民主党の優等生たちさえも耐えられなかったわけであるから、単に市議県議上りということでは説明が付かないかもしれない。まぁどうでもいいのだ。
菅首相の評価として、暗いというのが多いらしい。国会答弁でも議場に笑いが起こったのは、河野大臣が、令和の運び屋となると言った時くらい。まぁスマートさ、明るさに欠けるのはその人の人間性もあるから何とも言えないが、あの人を見ていると、余計な苦労はしない方がいいのかなとか思ってしまう。
セントオブウーマンをこのブログで取り上げるのも二回目だろうか。アル・パチーノと言えばやはりゴッドファーザーに始まって、その個性的な演技は正に男も惚れるほどの圧倒的な存在感がある。
その中で、盲目の主人公がレストランで近くに座る女性の香りから、その姿かたちや年齢、育ちまで言い当てシーンがある。まぁ平たく言ってしまえば遊び人の女好きで終わってしまいそうなのだが。
なぜこの映画を思い出したのかと言うと、先日バスに乗ってきた凄まじい一団があった。一団と言ってもほんの数人。ところがその爆発的な匂いは、思わず顔をそむけたくなるような強烈なもの。正体はネパール人の女性の一団。その全てとは言わないが、彫の深い美人ぞろい。その目は、エチオピア人女性のような深い妖艶な輝きを持ち、思わず引き込まれそうになる。
ところが、日本人には決して受け入れられないのがその強烈なまでの香りを身に着けて外に出る理由。水が豊富で清潔を維持しようとする日本人には理解不能かも知れないが、入浴が日常的ではないということ。決してネパールだけの問題ではなく、草原や砂漠、熱帯亜熱帯極寒の地などを住環境とする人種すべてに当てはまるのだが、日本人ほど入浴頻度の多い国はそうそう存在しないのだ。
日本の常識は世界の非常識とは言われるが、残念ながらここは日本。その美人の一団は、小さいころからふんだんにある湯で身体を洗い、湯船に身体を沈めるなどと言うこととは無縁の生活を送ってきている。下手をすればシャワーなども月に数回、トイレの後は左手で・・・日本人が思う清潔な生活などとは無縁の生活を送っている。
柑橘系の本来爽やかな香りがより強烈であればあるほど、彼女らの汚さがクローズアップされていることを彼女らは知らない。さらに悪いことに、彼女らは公共の場であることをわきまえず、スマホを使っては話し続ける。うるさい汚い、このイメージを払拭することは、よほど日本を知らぬ限り無理であって、また自分たちの生活習慣を維持するのであれば、本国のイメージさえ悪いものになってしまうだろう。
さらに、若伊香保神社というさらに古い神社もあるようで、次回はこのあたりをうろうろとしてみようかと思っている。
群馬県は古墳も多く、物部氏や蘇我氏という上古に活躍した士族の影響が多かったように思えるものの、日本書紀と古事記くらいしか簡単に入手できる資料がなく、それは最終的に権力を手に入れた藤原氏の影響が大きく、蘇我物部両氏の出自や歴史を追うことは考古学的な資料も含めて極端に少ない。あとは想像力の問題でもあるが、神社伝承や祭神祭祀を手繰ってみると意外な上古の時代に触れることも可能かもしれない。
などと思いつつ伊香保神社へ向かう。いつの間にかこの神社の祭神は、十一面観音から大己貴命 (大国主命) に少彦名命の二神となっている。
NHKのニュースウオッチ9で、香港の周庭氏への判決、禁固10ヵ月と即時の収監が伝えられた。キャスターの何かできることはという問いかけに、何もできることは思いつかない。
このたどたどしいながら、深い思索までも日本語で話しかけることのできる若い女性に尊敬の念さえ抱く。収監時に見せた不安そうな顔や、泣き崩れるようだったという判決言い渡しの時。決して強靭な精神力を持ち合わせてはいない、普通の女の子が恐怖を前に必死に耐えている姿が浮かぶ。
たったと言えば申し訳ないが、たったこれだけのことで、漢民族と共産党の独裁国家である中国という国、習近平だけでなく、香港の林鄭月娥行政長官への憎しみが募る。この小さ香港島への対処の仕方で、中国、中華人民共和国という国とも言えない国の評価が、今後数世紀にわたって下されることに気付いていない愚かしさを感じる。
こうしている間にも中国共産党は、この地球上に、不良品とウイルスと汚職と汚れた空気と独裁の芽を輸出し続けている。 中国共産党員に、まともな奴はいないのかと思う。選挙さえまともにない国と言うにも言えないような国を信用することは出来ない。