2019年8月30日金曜日

櫻守

 台湾にある烏山頭ダムと飛騨の御母衣ダムに共通する、ロックフィル工法を調べていると、御母衣ダムを造る時に移植された、『庄川桜』の話しが載っていた。 (Wikipedia) その当時で樹齢400年以上のエドヒガンザクラ (アズマヒガン)。

  さらに、帰雲城 (かえりくもじょう・きうんじょう) という幻の城があったことも。この城は、天正13年 (1586年) の天正地震で帰雲山が崩落し、城主内ケ島一族や家臣、領民も含めて他領にいた数人を残して埋没、全滅。未だに城の場所は特定されていないだけでなく、内ケ島氏の領内に金山があったことから、埋蔵金伝説があるなど、歴史へのロマンも広がる。

 埋蔵金はまた後日、本日はその御母衣ダムにまつわるエドヒガンザクラ移植の話を題材にした、水上勉の小説、『櫻守』。このブログでも書いた埼玉県北本市のエドヒガンは、樹齢200年程度。開花寸前にはつぼみが淡いピンク色に染まり、開化の後は白い可憐な花をつける。

2019年8月14日水曜日

香港の戦い

 香港で若い人たちが戦っている。彼らは天安門のことも知っている。警察は、軍隊は、本来庶民の生活を守るために存在しているはずなのだが、日本にいてもその歴史を見れば、そうでないことを誰でも知っている。

 99年間の時間を経て、香港は中国に返還された。豊かな人々は、その時に合わせて国外に脱出した。香港はすでに共産主義社会の物となっている。一国二制度という幻想は次第に潰れかかっている。普通選挙などない。自由だった場所が、一党独裁の国に返還と言う名のもとに飲み込まれていくのか。

 集会に参加している若者が警察と衝突し、こん棒で力一杯殴られて引きずられていく映像に、何とも言えないやるせなさを感じる。がんばれとも言えないし、これ以上頑張るなとも言えない。自由を守るということは、これほどに凄惨なものかと思う。


 

2019年8月13日火曜日

韓国についてどう思いますか?

 と聞かれると困るのだが、では韓国へ行ったことがあるかと問われれば、ある。初めての時は、ソウルから慶州まで高速バス。翌日仏国寺で、イギリスのサッチャー首相とはちあわせ。僧侶とボディーガードに囲まれて、参道を降りてきた。サインしてもらえば良かったなぁと今になって思う。釜山からセマウル号でソウルに戻って、帰国。その次は、韓国人留学生の自宅を訪問。地下鉄3号線?のスーユー駅から徒歩5分。お母さんがキムチを作ってくれて、味見・・・これが美味しい。あの当時、朝鮮総督府跡はあったのか、良くは覚えていない。観光らしい観光はなく、夜の居酒屋、犬の肉・・・ま、日本でも食べたことあるし・・・。帰りにお父さんが、『またきてください』と日本語で・・・3回目はそのお父さんのお墓参り。次は留学生のトラブル等で、その次は、ドイツまでのトランジットで数日、二か月後帰りに数日。その次は今度こそ観光をということで、釜山から慶州仏国寺、セマウル号で大田、ソウル。アマチュア無線の知り合いのタクシー運転手(模範タクシーではない普通のタクシー)には、青瓦台の近くまで連れて行ってもらったり、日本語を話せない通訳とお互いかたことの英語で色々案内してもらったり・・・という程度。知り合いの留学生が、帰国出国の際に軍に届けをしていることが平和ボケしている自分には異様に映り、時に警報が鳴って、交通が止まるという休戦中の国の緊迫感を味わったこともある。

 今では差別用語となっているのかどうかはわからないが、群盲象を評すという諺がある。ニュースを見て、本を読んで、観光でちょろりと行ける所だけ行って、少しばかり現地の人と話をしたりで、どうこう言えるものではないのだが、日本を敵視した時の発言が舌鋒鋭くなって、その会話の中で使われる単語が言い方が、想定問答集の答えように同じとなると、教育に問題があるのではと思ったことがある。日本の教育がいいとは思わないのだが。

 今韓国についてどう思うかと問われると、色々なことが頭をよぎる。日本のビールは飲まない!なんていうのを聞くと、おいちいよ!って言ってあげたいし、まぁとにかく軟弱なことを言うと、『それは加害者だから言えることだ』とこれも想定問答集のように答えが返ってくる。『侵略者は未来志向と言う言葉を使いたがり、過去を忘れようとする』ものらしい・・・が、この言葉は、実はベトナム政府が、韓国政府(李明博政権のときかな)に対して言った言葉なのだ。別に、一緒じゃねぇかというつもりは、・・・少しはある。

 儒教の体系はほとんど知らないが、こんな話がある。江戸末期、アメリカに行った日本人が一番驚いたことは、電気でもないし、蒸気機関でも、武器を含めた最先端の技術でもない。 いい年をした大人がボール遊びをしたり、台所に立って歓迎の食事の手伝いをしたり (もちろん使用人もいて、それなりのことはしているのだが) することだったという。武士の心得としては、あくまでも若い頃から老成することを最善とすることで、支配階級の人間としての基準は、日本も儒教であったことは間違いない。しかし、そこは日本、学問としては受け入れたが、それ以外に庶民を含めた生活規律としては取り入れなかったように思える。良いか悪いかの問題ではなく。

 冊封について語られることは少ない。新羅、高句麗、百済の時代は唐、豊臣秀吉の加藤清正の侵攻を止めたのは明、朝鮮戦争の休戦に至る時は中国共産党軍。中国の影響を無視しては半島の安定はなかったわけで、かといって、漢民族以外のより民俗的には近いはずのモンゴル、女真族の冊封には親近感を持ちえないという複雑な感情があるのだろうか。

 仏教寺院を破壊したのは、清正であり、朝鮮民族の文化を破壊したのは倭であると言われるが、元(モンゴル)については、あまり騒がないのはなぜだろうか。儒教の下で破壊された仏教寺院も多いはずだが・・・などなど、他国のことを考えるのは、このところの韓国と日本の関係悪化があるからと、暇なせいでもある。韓国はどこへ、もちろん日本もそうなのだが、どこへ向かおうとしているのか。自由ということは言葉では簡単だが、制約のない自由は計り知れない怖ろしさもあり、かといって独裁国家の恐ろしさもある。民主主義も形ばかりと言う民主主義は、偽善国家と言っていい。政権維持のために、選挙を見据えて政策を作り、怒りの矛先を他者に向けて自省を怠ると、大事な基盤を失っていくこともある。 


  

2019年8月12日月曜日

酒と煙草

 酒で失敗した政治家を挙げると、後味の悪さでは故中川昭一農水相が筆頭に挙がるのではないだろうか。酩酊状態の現職大臣が、記者会見で醜態をさらした。それでも正三位旭日大綬章。落選した選挙で、断酒宣言をした(Wikipedia)くらいだから、酒の害は十分認識していたことと思われる。

 深夜に飲みに出て、飲食店の女性に暴行した疑いで逮捕され、処分保留で釈放された埼玉県の幸手市長、これは単なる田舎者。こんな市長を選んだ幸手市民のレベルの低さは計り知れないと言われてもしようがない。公職にあるということは、そういうことではないだろうか。知事公舎に女性を連れ込んだどこかの知事も似たようなものだが・・・。

 かつて自民党に、二階堂というおじさんがいて、高そうな葉巻を吉田茂のようにくゆらせていた。こちらは従二位勲一等旭日等価旭日桐花大綬章。その吉田茂の孫の麻生太郎も葉巻大好き人間。それがどうしたと言われても困るのだが、煙草、葉巻、パイプで失敗したという話はなかなかない。

 明治天皇の時代、皇居に参内した蜂須賀公、来客用に置いてあった煙草を余分に取ってポケットへ・・・明治天皇に見られて、『出自は争えぬな』という意味のことを言われたらしい。(なんの本に書かれていたかは不明)。 豊臣秀吉が若いころに所属していた?野盗の頭、蜂須賀小六が先祖の蜂須賀公、恥を漱ごうとしたらしいが・・・。煙草の失敗と言うとこれくらいしか思い浮かばない。だから・・・なんなのだ・・・。

2019年8月7日水曜日

坊主丸儲け

 先日、niftyのニュース一覧にあった東洋経済の記事『お寺の経営が大変』というのがあった。また、最近は継承者がいないという理由で墓じまいが進んでいるというニュースもあった。時代の変化と言う言葉で締めくくるのは簡単だが、仏教も寺も、本来の姿に戻る時だという考え方もあるようで、では仏教の、寺院の、お墓の本来の姿はと問われると、明確に答えられない。

 肉山(にくさん)という言葉を御存じだろうか。簡単に言うと儲かっている寺を指す。たくさんの檀家を持ち、住職は高級外車に乗り、愛人を囲い・・・それでもお布施などの所得税や、広大な寺域と建物の固定資産税は無税・・・。全ての宗教法人がこの特権を手放すはずはない。お経を読んで戒名を付けて収入を得るわけだが、その収入に所得税がかからないから丸儲けと言われるのだろうが、これは特権中の特権と言える。

 坊主、僧侶と言うのが正式なのだろうか。僧侶が葬式を営むようになったのはいつの頃からか、また一般の人までが墓を持つようになったのもいつの頃からなのか、そして普通の人達までが戒名を持つようになったのもいつの頃からなのだろうか。
 
 特に戒名は許せないものがある。いわゆる院殿大士号、100万からかかると聞いた。ちなみに謀有名寺院の高僧が、『鵞翁若燕居士』という戒名をいたずらに私にくれた。私が死んだときに家族がその旨を僧侶に伝えると、多分がっかりするだろうからと言われている。それほどに、僧侶にとって戒名は儲けの最大の物であることがわかるし、人の死を商売にしていることに腹立たしいものを感じる。寺院の中に塔頭を建てたわけでもないのに〇〇院殿などと付けたり、在家の覚者でもないのに居士などと付けられても有難くもなんともない。戒名を見て、あ~お金持ちなんじゃろなと思う程度である。その人が極楽に行ったかどうかは、調べようがない。

 

京扇子

 滋賀県高島市、安曇川町(あどがわちょう)の農家の庭先に、乾燥される京扇子の扇骨が並ぶ。この辺りが京扇子扇骨の9割近くを生産していると聞いたのは、今から50年ほど前のことになる。

 この旧高島郡安曇川町の名前が消えずに残っていることに嬉しさを感じる。たった半年、この町の中学に在学したことがあるからだが。記紀にも登場する阿曇氏 (安曇氏)の名を冠する町で、旧町内の三尾里には、第26代継体天皇の胞衣(胎盤)塚があり、その北西方向の山には、彦主人王墓伝承地(継体天皇の父)がある。また陽明学中江藤樹の生誕地でもあり、藤樹書院、玉林寺には墓所もある。高島市名産の鮒ずしはちょっと苦手。

  さて本題。携帯扇風機はやめようよ。やっぱりここは京扇子で。男が持つとちょっとキザだが、情緒と言うことを考えると、やはり京扇子。

  

2019年8月6日火曜日

蛍草 葉室麟

 葉室麟の小説がまたTVドラマとなって放送されている。双葉文庫の字は大きい。少し荒っぽいのだが、半日で読み切る。

 テレビ化しやすいのだろうか、『銀漢の賦』以来この作者のファンになってしまった。映像と文字の世界が融合する、配役に無理がないせいもあると思う。


2019年8月4日日曜日

歴史というもの 

 相変わらず北方謙三の『三国志』を読んでいる。
   中国の歴史書三国志は、西晋(265~316)の陳寿により、呉の滅亡280年~297年までの間に書かれ、その中の魏書30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条を、魏志倭人伝という。この三国志の作者『陳寿』は、蜀漢と西晋に仕えた官僚(年譜はWikipediaから)。

 魏の曹操(155~220)を多少悪く書くのは、蜀漢の劉備や関羽、張飛、趙雲に対する思いだろうか。曹操の次男曹丕の長男曹叡(魏の第二代皇帝204 or 206年~239年)から、邪馬台国の女王卑弥呼(生年不明 推定死亡年242~248)は親魏倭王の封号を受ける。

 広開土王(好太王374年~413年)碑は、中華人民共和国吉林省にある、高句麗第19代広開土王の業績をたたえた石碑。このうち倭に関する記述は、391年(辛卯)、399年、400年、404年。

 後漢書巻85東夷伝、建武中元二年(57年)倭奴国が朝貢、光武帝が金印(漢倭奴国王) を与えている。また西暦107年、後漢に朝貢した倭国王帥升の記述がある。

 沈約(441年~513年)の宋書列伝第五十七夷蛮伝に 倭の五王から朝貢があった事が記されている。

 日本の『大化の改新』 は西暦645年。後漢書東夷伝の建武中元二年から600年近い年月が経過しているが、国外の記録に残るもので、倭と朝鮮半島の出来事は好太王碑くらいしかないのだろうか。

 百済、新羅、高句麗、この時代に今の韓国と日本の確執の元があるのでは、といつも思う。枚方市の百済寺、百済王神社、三井寺の守護神新羅明神、(新羅三郎というのは甲斐武田氏の祖で、南部氏が青森に定住し、ここに長者山新羅神社を建立)、埼玉県の日高地方には高麗神社。潰しあう三韓の人達が日本に居住している記録は、日本書紀などにはある。

 天智天皇の時代、白村江で日本は大敗する。大化の改新に連なる人々の中で、なぜ蘇我入鹿は悪人にされてしまったのだろうか。

 正史と言われるものは、本当に正しい歴史なのか。日本書紀や古事記は嘘のかたまりである、なんて言うと大変なことになるし、ましてや明治、大正、昭和、平成の歴史など、真実を追求すると、触れてはいけない部分が多すぎる。ましてや学校で教える歴史などを鵜呑みにすると、みんながみんな韓国人のようになってしまう。 韓国の人々が答えられない歴史の問題、いつから韓国の人達は中国人のような名前を名乗るようになったのか?

 そんな前のことは知らない、と言うのが一般的な答え。中国漢民族だけではなく、モンゴル、ツングースなどの圧迫を受け続けた韓国の歴史は、正視することが耐えられないのではと思うことがある。
  

 

2019年8月3日土曜日

消費税の軽減税率についての提案

 何度聞いてもわからないというか、バカらしくて耳に入らないのか、バカにはテイクアウトが何パーセントで、そこで食べると何パーセントなのかがわからない。コンビニの外で煙草を吸うと10%で、持ち帰って家で吸うと8%ならすぐわかるのだが・・・。

 高祖劉邦のように法三章とは言わないが、法律は簡便さを追求しなくては民の支持は得られない。消費税の問題は、税の逆進性にある。食品などは低所得者に配慮して、なんて面倒なこと言わないで、はっきり貧乏人は貧乏人とわかるようにして、消費税を払わなくていいようにすればいいじゃないかと思う。

 九品(くほん)という、物質や人の性質を3×3で分類する方法があって、上品・下品(
じょうひん・げひん)の語源となった分類がある。(詳しくはWikipedia)上から3つは、上上品、上中品、上下品、中上品、中中品、中下品・・・と続く。

 九品に分けるのは面倒だから、一番貧乏な人を上貧、中くらいを中貧、そうでもないけど貧乏な人を下貧と分けて、どれにも当てはまらないお金持ちを、貧(ひん)の無い人というのはどうだろうか。ICカードでも印籠でも発行して、レジで提示すれば消費税免除。これくらいがわかりやすくていい。

生コン圧送作業

 仕事もせずにプラプラしていると、外聞も良くない。かといって仕事もないのでプラプラしていると、ちょっと仕事してくれないかという話も時にはくる。

 いきなり3.5トンの圧送車を運転してくれないかという依頼。圧送車がわからない。聞いてみると、生のコンクリートをミキサー車で建築現場まで運ぶのだが、そこからがその圧送車の出番。小規模な建築物の基礎くらいなら、以前のように一輪車で何度も往復してコンクリートを施設するのだが、この圧送車があれば、あっという間にクレーンの先からコンクリートが排出され・・・要はポンプ車かい?・・・ああそうだということで話がまとまり、お仕事へ。

 暑い・・・気温は37度とは言うが、40度以上あること間違いない。請け負った仕事は運転だけだから、圧送作業中は日陰でプラプラしていればいいのだが、やはり作業の様子が気になり・・・。 やはりここも外国人が多い。型枠に流し込んだ生コンクリートを均す作業は大半が外国人の受け持ちで、この暑さの中での作業は特に厳しい。

 そんな中、宇宙人のような作業服に身を包んだ作業員。仕上げのコテを何本か持って、表面を平に仕上げていく。次の日には、ベトナム人作業員がそんな服をきて作業に当たる。このベトナム人は多少リッチなのかとは思うが、翌日の作業員は普通の服を着ていて作業も辛そうだった。

 バッテリーで小型の扇風機を回し、宇宙服のように見える作業服。ヘルメットの上からフードも被り直射日光に耐える。普通の服でじっと作業を見守る監督さんが、一番辛そうだった。こんなものがあることにも驚くが、この暑さの中で作業をすること自体が異常と言えば異常なのだが、仕事だもんね・・・。