続いて司馬遼太郎の『アメリカ素描』から。小村寿太郎(1855~1911)という名前を知っている人は、今の時代にどれほどいるのだろうか。
『日本慈善基金』は、今現在存在しているのだろうか。小村寿太郎の誠実さは、1980年まではニューハンプシャー州で日本慈善基金として生き続けていた。当初は『露日基金』という基金であったが、1917年のロシア革命後、ロシアからの利息(ロシア国債)が来なくなったため、またソ連に対して1961年、国債の復活を依頼したが返事がなかったため、1963年州議会で『日本慈善基金』と改称されたという。
日本は、太平洋戦争中とその後の9年間、利息の支払いを停止していたが、1951年(昭和26年)から利息の支払いを再開し、支払いを停止した9年間を補填するため、9年間は倍額の支払いを続けた。
生前小村寿太郎は、外交は誠実以外にないと口にしていたが、その誠実さは今も日本基金という名で生きているのか、確かめるすべはポーツマスの公立図書館に行くしかない。
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