2016年12月16日金曜日

天平時代の極彩色 東大寺三月堂 執金剛神

 この日、12月16日、東大寺三月堂の執金剛神が年に一度だけ開扉される。三月堂は有名な日光菩薩、月光菩薩を初め、巨大な不空羂索観音、梵天、帝釈天など、見る者を圧倒する須弥壇を形成する。
 その須弥壇の左右がこの日だけは開かれ、本尊の不空羂索観音の後ろへと向かうと、厨子に入った執金剛神が本尊と背中合わせに安置されている。

 今から44年前の12月16日、期末テストの最終日、滋賀県高島郡今津町(現高島市)からバスに乗り (当時はまだ湖西線はなかった) 大津へ向かい、京都駅から近鉄特急で西大寺を経て近鉄奈良に到着。興福寺の境内を抜けて三月堂まで走った。たぶん4時までの開扉だったが着いたのはほんの数分前。係員が笑って迎えてくれたのを今でも記憶している。

 学生服にカバンのまま、近鉄奈良駅の交番前にある行基菩薩の池の前で一息。まぁ家出と見間違えられても不思議ではない状態。家に帰り着いたのは10時過ぎだったろうか。

2016年12月15日木曜日

小田原

 月初に届いた喪中葉書で友人の死を知った。最後に話したのは5年以上も前。享年60歳。これからまた昔のようにいろいろ話が出来るかと思える時にあっさりと死んでしまった。

 辛いことというのは重なるものなのか、ちょっと精神的なダメージが大きい。

2016年12月13日火曜日

最後の忠臣蔵

 原作者の池宮彰一郎氏はすでにこの世の人ではない。司馬遼太郎氏の作品に影響を受けたとは言え、盗作の疑惑もあり、一時期この作者の書籍は店頭から姿を消した。こうしてアマゾンにまたあるということは、書店にもあるのだろうか。

 この作品と並んで、映画では高倉健が主演した 『四十七人の刺客』 は映像の美しさも記憶に残り、月並みと言える忠臣蔵の季節に新鮮な物語を提供されたように思われた。
 
 瀬尾孫左衛門は脱盟者の一人で、寺坂吉右衛門も脱盟説と密命に従ったという説に分かれている。瀬尾の使命感とストイックな生き方。どうも忠臣蔵はみんなかっこ良すぎて・・・・・と思いながら、つい見てしまう。


2016年12月9日金曜日

二つの随筆

 一つは 『九十歳。何がめでたい 佐藤愛子』 もう一つは 『大人の流儀6 不運と思うな 伊集院静』。簡単に分類しちゃいけないとは思っても、陽と陰、男の感性と女の感性、方向性は似ていて、伊集院静もあと少し年を取れば佐藤愛子みたいなことを書くのか、と思ってしまう。

  今の若い者は・・・・・この言葉はエジプトの落書きにもあるらしく、年寄りの常套句のようなものだが、今の年寄りはろくなもんじゃない・・・・・という意見もある。年寄りがのうのうと年金暮らしで若者の就労意欲を奪っておきながら、今の若者は覇気がない・・・・・今の世の中を作ったのは、お前ら年寄りだろって言われてどう反論するのか。

  とは言っても、ある一面で今の年寄りはかわいそうと言えばかわいそうな状況で生きている。ガラ系の携帯にやっと慣れたと思ったらスマホ。テレビのリモコンのキーも多すぎて、どれを押していいかさえわからない。便利と思える商品ほど複雑なものが多いだけでなく、落とし穴さえ潜んでいる。何より一番大きいのは、経験則が生きない。情報量は圧倒的に若者の方が多く、簡単に言うと、夕方空を見上げている老人に明日の天気を聞くようなバカな若者はいない。


 

2016年12月7日水曜日

草むしり

 
 雑草 (雑草という草はない・・・・・と言われたのは、昭和天皇であったか) は肥料がいらない。手を掛けないのにしっかりと成長する。ふとトマトのことを考えると、今のトマトは品種改良が進んだせいもあって甘みが強い。確か桃太郎とかいう品種があって、これが甘いのだが病気に弱い。今はもっと品種改良が進んだのだろうけど、20年ほど前から、雨避け栽培などと言ってなるべくハウス内で水を控えめにして、ギリギリの栽培をする。

 ところが、トマトでも原種に近いと言われるミニトマトは栽培が容易で、ほったらかしでも大丈夫。鉢植えでも大丈夫だし、雨なんか当たって腐ることもない。適度に肥料を与えれば皮も軟らかめになり、それなりに甘みも増すように出来るのだが、ミニトマトの魅力はやはり手のかからないこと。ただし、いい気になってほったらかしておくと、ワサワサと藪のようになってしまうので気をつけないと。
 
 今年は芝の刈り込みに刈り払い機を購入。今まではブロック塀や石段、レンガとの境界線の刈り込みにハサミを使っていたのだが、随分と楽になった。本当はエンジン式のがいいのだが、限られたスペースでの使用であれば、パワーも十分だし、断線さえ気を付ければさほど支障はない。草むしりや庭掃除は、考え事をしていると危ないこともあるのだが、無心になったり思索が深まったり、ふと色々なことに気付くことがある。だからやめられない。

 

イスラムについて 1

 イスラム教というと、どうしても原理主義者イコールISということになって、過激な部分ばかりが強調される結果となってしまう。ひどい場合はイスラム教徒イコールテロリストという人もいる。それほどに日本においてイスラム教はわからない。奇異なものであって、理解の範囲を超えている。

 入国審査の書類に宗教を問う部分があって、NONE ない!と書くと変に思われるから、仏教と書いておいた方が無難だからと言われて、Buddhist と書いていた。今までがそうだったから、これからもそう書くだろうが、たぶん Moslem と書いたら、いくら日本人でもどこかの国では入国審査で手間取るように思える。

 いくつかの勘違いや思い込みもあるかも知れないが、その辺は指摘していただければと思いながら書き進める。

 貸金の利息を取らない。イスラムの法の中に、この一章は間違いなく存在する。この一章だけでも欧米との価値観の違いや、経済の成り行きが違う方向に向かうように思える。サラ金の業務を引き継いだような今の日本の銀行では、収益の建てようもないのではと思われる。ではイスラム系の銀行は何で収益を得ているのかというと、投資した企業からの収益の分配。もちろんそれだけでは営業の継続は難しいだろうが・・・・・基本的なスタンスの差は歴然としている。


 

2016年12月5日月曜日

客家の人に会いたい。

 街中のコンビニのレジに外国人のアルバイトが増えている。中国、ベトナム、バングラディシュ、インドネシア。大手町にある日本語学校に通う生徒たちであろうが、異国で過ごす彼らのバイタリティには頭の下がるものがある。ましてや日本語の壁を乗り越えなくてはならない。その学生にどこの国?と聞いて中国と答えがあると、客家人かと聞くのだが、未だに客家の人には会ったことがことがない。池袋だと多いのかなぁ。

  先ほど、インフルエンザの予防注射の帰り、近くのスーパーでカメルーンの人に会った。まだ日本に来て3か月、なんでまた前橋なんだとは思うけど、それなりの事情もあることだろうし。

 ちょっと話がそれてしまった。客家 (はっかと日本語入力するとこの漢字が出てくるのにはちょっとびっくり。北京官話ではクーチャーと読むらしい。)  は元々中国中原の民族で、時代とともに南下を続け、広東、福建、広西省あたりを中心に居住している。言語も北京官話、広東語以外に客家独特の客家語を話す。この辺は高木経蔵氏の著書 『客家 中国の内なる異邦人』 から。

 孫文も、鄧小平、李登輝、リー・クワンユー、文天祥、鄭成功(奥さんが肥前松浦の人)、客家の人々は、中国という国では少数民族でありながら、有名な人達を輩出している。

 この本を読んでいると、中国や東南、東アジアの歴史を全く違う角度から眺めることができる。一方で言語もさることながら、民俗的には閉鎖的な面も持ち合わせているようで真の交流は難しいのかもしれないが、客家の人に会ってみたいという思いはつのる。

腕時計はセイコー5

 左の写真は今持っているセイコー5、値段は1万円を切るくらいだった記憶がある。今から20年以上も前に、エジプトのポートサイドで買ったもの。これまでの修理は二回。一回目は11年前、学生寮の全自動洗濯機で1サイクル回してしまった後にオーバーホール。二回目は一昨年、SEIKOのエンブレムが落ちて、曜日と日付を表示する窓に引っかかってしまったとき。

 一万円そこそこの時計に、すでに一万円以上の資金がかかっている。画面ではわからないが、ガラス面は細かい傷だらけで、そろそろ交換したいと思っているところ。いろいろな思いが詰まっている時計なんだと最初に見抜いたのは、茨城県は水戸市の中澤時計店の店主さん。そんなところまで見抜くのは、卓越した技術とその人の人間性だろうか。

 イギリス製の高級車に乗って、キンキラキンの時計をした某氏に、『○○よう、あめよこで買ったような安い時計はめてんじゃねぇよ、どこで買ったんだぁ?』と聞かれて、『エジプトのスエズ運河の入り口の街、ポートサイド』 って答えたら、黙っていなくなってしまった。


鯵の塩焼き

 日本海は新潟、寺泊港直送という魚屋さんで鯵を買う。塩焼きにするんで、ワタを抜いてくださいと手間を惜しんだのが運の尽き。

 氷を入れて大事に運んだので大丈夫だろうと思って開けてみると・・・・・袋の中が血だらけになっている。開けてびっくり・・・・・これは明らかに切れない包丁で、しかも俺以上の素人が腹を裂いたことは間違いない。切り口はギザギザ、えらの手前で刃が逸れたらしく・・・・・単に乱暴なだけか・・・・・ワタも血もかなり残っている。えらのところもきれいに水で流して、準備完了。

 全体に塩をして、しっぽのところには飾り塩。処理が早かったせいか生臭さもなく、大根おろしがちょうど良かった。カボスを用意したのだが、必要もないくらいで素人調理としては満足の部類。

 だけどね、もしあれをそのまま焼いたらどうなるか、処理した人間は知っているのだろうか。まぁ処理費用を取ってないわけだからしょうがねぇか・・・・・とは思うけど、もう少し丁寧に仕事しようよ。魚嫌いが一人、また一人って増えていくよ。

2016年12月4日日曜日

煙草について

 車の中でも自宅でも、煙草を吸うとその空間全体を汚していくのがわかる。一年もしないうちに壁紙がうっすらと茶色に変化してゆき、換気扇に至っては油と一体化して、掃除などしようものなら新品の雑巾があっという間にどす黒くなってゆく。

 我が家の車は禁煙で、一度成田にある一般の駐車場に一週間以上預けて、空港の到着便に合わせて運んでもらった時に煙草の香りがかすかにしてムカッ腹が立ったことがある。自分で吸っていながら他人の喫煙に対しては寛容ではないわけで、かつて新幹線に乗る時は、禁煙車両に席を確保していながら喫煙のたびに移動したこともあった。あの喫煙車両の臭いは、長旅には決して快適なものではないことも認める。

 それでありながら、紙巻き煙草、煙管で吸う刻み煙草、パイプ、葉巻 (キューバとの国交回復で、高級なハバナ葉が安価に入手できそうだ) と、たき火も含めて大好き人間。これほど世間の風当たりが強いと、禁煙という文字が目の前をチラチラとかすめる時もある。

 司馬遼太郎氏が、『街道をゆく ニューヨーク散歩』で、この国ではダメな奴は煙草を吸うと言われている。私はダメな奴だから煙草を吸うというような事を書いていた。司馬遼太郎氏がダメな奴なら、日本に世界にどれくらいまともな奴がいるのかはわからいが、司馬氏もも含め、チャーチル、吉田茂、愛煙家と言われる人々の存在は、禁煙などという言葉にゆらゆら揺れてしまう自分を叱咤激励してくれるとともに、この本に書かれている、禁煙運動の元祖がヒットラーだという言葉に、極度の嫌煙主義者の異常性に納得するものがある。


2016年12月2日金曜日

ラジオ英会話

 時間もあるので、NHKラジオ講座のテキストを買ってきた。レベルはB1と 結構下げたつもりが意外と難しい。ちなみにB1とは、社会生活での身近な話題について理解し、自分の意志とその理由を簡単に説明できるレベル。このラジオ英会話の他に、入門ビジネス英語、仕事の基礎英語を合わせて3本がこのレベルにある。コツコツと勉強することも苦手で、語彙力、単語の習熟に著しい劣りを感じる。

 しかしよくよく考えると、ラジオがない。ど~しようかと思っていたら、 らじる★らじるNHKネットラジオなんて物があって、ラジオがネットでそのまま聞ける。地震とか緊急の災害の時にもラジオは必要だなぁとは思っても、この群馬という所、地盤の安定と、ぐるりと三方を山に囲まれているせいか災害の少ないことこの上ない。台風でさえ避けて通るのではないかと思うくらいに影響が少ないし、坂東太郎(利根川)がすぐ側を流れているのに洪水らしいものもない。

 この利根川、昔はよく氾濫したらしく、前橋城(厩橋城)も流されたらしい。暴れ川をここまで治めた先人への感謝も忘れてはならないんだろうなぁと思いながら、月曜日からのラジオ講座に備えて、予習開始!

2016年11月27日日曜日

11月の雪

積雪から2日後、まだ余韻の残る散歩道を歩く。記録上はこれほど早い積雪はなかったようで、50年以上のことらしい。

 2年前になるのか、70cm以上の積雪を記録した前橋は、1週間以上も町が機能しなかった。それでも会社に出かける人たちが早朝の雪道を歩いていた。参加することに意義があるというのはオリンピックだが、この雪道の出社は参加しないとその人の仕事に対する情熱も疑われる。

 私のように、これ幸いと会社を休み、ぬくぬくと布団にくるまれているような社員は当然の如く上の覚えもめでたくなく、責任ある仕事など任せられない。

 さてと、今回の冬も雪だけは少なく、スタッドレスタイヤなど必要のないことを祈って、ノーマルタイヤで過ごす。

 ノーマルタイヤです・・・ってのは、やる気はありませんと宣言しているようなもの・・・らしい。

2016年11月25日金曜日

龍 の湯麺

前橋市西片貝の中華料理『龍』。店でも人気の湯麺は、醤油味に具材が豊富、仕上げはあんかけで広東麺風。

 小さいころに、青森県八戸市内にあった『夜来香』の五目そばを思い出す味。

 あのころに向かいの映画館でサウンド・オブ・ミュージックが公開されていて、主演女優を中心とした大きなイラストの看板が記憶の中に焼き付いている。

 小学校の5年間(入学したのは宮城県黒川郡の小学校)を過ごした八戸。卒業した根岸小学校はその後の十勝沖地震で裏山が崩れ、校舎は以前運動場のあった場所に新築されている。東日本大震災の影響はわからないが、津波の影響がなかったはずはない。

 陸、海、自衛隊の敷地に隣接した元米軍の居住地を改築した官舎は、芝生とアスファルトの道路と石畳みの通路。 あの頃の日本にしては異次元の空間だったかもしれない。

 新産業都市として発展したその周辺は、砂浜と松林が第二八戸港として変貌し、官舎もすべて新しいものとなっている。夏の夜、水平線に並ぶイカ釣り船の漁火は今も健在なのだろうか。

2016年11月22日火曜日

散歩道


    歩くというのは身体にいいとはわかっていても、続けることは難しい。雨が降ったり風が冷たかったりすると、何か言い訳しながらさぼってしまう。新緑の時、紅葉の時、景色を楽しみながら、季節を自然を感じながら歩くのは楽しいのだが、健康のためとか体調を維持するためにという義務的なものを感じると嫌になってしまう。

 さてと、そんな散歩の時には、なるべく楽しいことを考えながら歩くようにはしているが、時折嫌なことも考えながら歩くこともある。今日は歩きながら日銀のことを考えていた。

 物価2%上昇を目標値としていた日銀。日銀ってのはそんなことも出来るのかい、とかその時は思ったのだが、案の定、私の在任中は無理とか総裁が言っていた。そんな時に渡の船とかで、トランプさんの大統領当選。株は上がるわ円は安くなるわ。運も実力のうちとは言うものの、余りにお粗末な結末というしかない。

 市中に豊富に資金をつぎ込むとかでチョコマカ動いている日銀も、我々貧乏人の可処分所得が増えるということには無頓着らしい。税金は上がるわ社会保険料は上がるわついでに給料は上がらないわで、どうやって景気なんか良くなるものか。今回の物価目標の流れは、日銀の無能さを証明した、ほんの氷山の一角と思えるんだけど。

粕川 獅子連顕彰碑





 群馬県前橋市粕川町近戸神社にある、県指定無形民俗文化財、月田近戸神社の獅子舞顕彰碑。

 600年、連綿と続くこの獅子舞は、神社の由緒書きによれば最初の記録が西暦1433年、室町時代で6代将軍足利義教の時代。神社の創建が西暦794年ということから、獅子舞の奉納が数百年遡るのではないかとも思われるが、関東に多い風流系の獅子舞の起源さえ明らかではないため、記録以上に遡ることは無理なようだ。

 獅子舞の起源だけでなく、神社の由来などを調べていくと限がないのだが、近戸神社の祭神は大己貴命(大国主命)と豊城入彦命(10代崇神天皇の皇子)。これは赤城山を御神体とする赤城神社と重複する。

 この獅子舞の存続に、何か手伝えないかと考える日々。

 

2016年11月15日火曜日

前橋・三俣町 中華 鳳凰の餃子

先日、横浜の中華街を久々に訪れ、その街並みの変化と料理の品質の低下にガッカリした。それだけでなく、値段ばかりがバカ高い。かと思うと、安い食べ放題の店と呼び込みの声。あの横浜にあって、場末のイメージはあまりにももったいない。
 店先に佇み、ニコニコと笑顔で話しかけてくる中国語のおじさんもいなくなってしまった。あまりにも長い時間のブランクがあったのか。

 さてと、あんな所へ行くのなら、前橋は三俣町の鳳凰へ。写真の餃子は二人前900円。すぐ近くには餃子の王将、またちょっとしたラーメン屋さんでは、ラーメンを注文すれば餃子は100円なんて所もあるのに、堂々と一人前450円の単品商売。食べてみれば納得するはず。関西にはない厚めの皮にはしっかりと焼き色が付き、表面はカリカリ具はぎっしり。本日はこの餃子に塩ラーメンで早めの昼食。麻婆麺、担々麺、などの麺類もお薦めです。
 
  

2016年11月9日水曜日

前橋市粕川地区産業文化祭

 11月6日(日)、粕川小学校校庭で地区の産業文化祭が開催され、近戸神社の獅子舞も披露された。晴天でも風が強く、舞台上で演じられる獅子舞が遠く、撮影は遠望だけになってしまったので、夏祭りの獅子をアップロード。
 
 神社以外での演舞は後ろ側に囃し方が居並び、獅子が霞んでしまうように感じられた。この獅子舞、一見緩慢な動きが続き飽きてしまいそうになるのだが、演舞の意味や節目節目の転換など、見る者の理解度も必要なことは言うまでもない。

 ふと、どれくらいの文書があるものか知りたくなってきた。夏祭りと神事が重要なわけで、当然娯楽の要素も含んではくるだろうが、獅子舞の全貌を知りたいという思いが強まる。

 600年続いたこの獅子舞、この先1000年の時を数えるまで続けていく方策を練らなくては先行きが危ういことはどこの無形民俗文化財でも同じで、国の指定、県の指定、市の指定によってどれほどの保護政策がとられるものかはわからないが、一つまた一つと消えてゆくのはあまりに寂しい。そんな事を考えながら舞台上の演舞を見続けた。

2016年10月31日月曜日

希望と妄想

 昨年テレビドラマ化された 『銀漢の賦』 の著者葉室麟の随筆集 『柚子は九年で』 の中で、三国志の英雄曹操の詩の一説が紹介されている。
 老驥は櫪に伏して 志は千里に在り 烈士は暮年にして 壮心已まず ・・・・・馬小屋の床に寝たままになっている老いた駿馬は、夢の中で千里を走っている。烈士は晩年になっても勇壮な心が消えない・・・・・ということらしい。
 なるほど、男たるものこの世に生を受けたからには、かくあらねばならぬ・・・・・とは思うのだが、老い先短い私には、過去を振り返って感慨にふけっている余裕など全くない。ましてや自分のこれまでの努力不足を反省するなどもっての外であると思う。
 老いた駿馬が千里を走る可能性は、全くのゼロである。しかし、老い先短い私がジャンボ宝くじに当たる可能性は限りなく低いとはいえ、1000万分の1くらいは間違いなくある。図らずも当選といいう時は、泰然とその現実を受け入れ、大量の現金と共に生きる道を模索しなければならない。これはこれで大変だとは思うのだが。

2016年10月26日水曜日

木之本町邦楽器原糸製造保存会

 富山県が出身の母は、小さいころによく 木之本の地蔵さん の話をしてくれた。どうやらこの木之本の地蔵さんは声を出すらしいのだが、話の詳細は忘れてしまった。当時は木之本町がどこにあるかもわからないまま聞いてはいたが、中学から高校にかけて父親の仕事の関係で滋賀県の北西部に住むことになり、地図の右上、滋賀県の北東部にその町があることを知った。
 実際にその時宗の寺、浄信寺、木之本地蔵院を訪ねたのは成人してからのことで、その規模の大きさと、7世紀天武天皇の時代の創建と知って驚いたのを覚えている。
 その木之本町から前橋に、邦楽器に使う絹の原糸製造保存会の人々が訪れ、繭から糸を手繰りだす実演が披露された。
 ヤマダグリーンドーム前橋サブイベントエリアで開催された『日本の技体験フェア』。やけに駐車場が一杯で車を止めるスペースが足りず、河川敷の駐車場に止めて歩く・・・・・風が強くてけっこう辛い。なんのことはない、日曜日、前橋競輪の開催と一緒で車が一杯だったことに気付く。
 おばちゃんが、鍋の中で茹でられた繭から糸を手繰りだす。最後に残った薄膜の中にある蛹は乾燥させて粉末にして魚釣りの餌にもなる。スズメバチの幼虫のようにたべられるかどうかは知らない。
 

深谷を行く

 平清盛の異父弟、薩摩守忠度。吉川英治作、新平家物語(新潮文庫)鵯越の巻に、『熊野育ちの美丈夫である。黑糸おどしの鎧に、赤地錦のひたたれ、白月毛の駒、遠雁の紋を打った鞍にまたがり、兜はかぶらず烏帽子姿・・・・』 源平一の谷の合戦の場においても眼につく風貌の持ち主と語られる。
 歌人藤原俊成に師事した歌人としても知られ、千載和歌集の『詠み人知らず』、さざなみや 志賀のみやこはあれにしを むかしながらの やまざくらかな は忠度の作として知られている。
 一の谷の合戦で坂東武者、岡部忠澄六弥太に討ち取られた際には、その箙から出てきた、ゆきくれて このしたかげを やどとせば はなやこよいの あるじならまし という歌で忠度の身元が割れている。武勇もさることながら、歌人としても優れていることは、後の勅撰和歌集に10首以上の歌が取り上げられていることでも明らかである。
 
 さて、その薩摩守忠度の墓、遠く坂東の地岡部にあるのは、一の谷で忠度を討ち取った岡部忠澄が慰霊として建てたもの。一の谷以降の恩賞と名声による一族の繁栄に対する感謝の念もあったのだろうか。