2017年12月20日水曜日

希望の党

 すっかり影の薄くなった希望の党だが、自分の中に未だに燻っているのは、旧民主党への思いだ。騙されたという思いは、細川新党以来の感覚だろうか。何かはわからないが、もしかしたら日本は変わるかも知れないという淡い期待、漠然とした期待という方が的確なのかも知れないが、ものの見事に打ち砕いたのが細川新党であり、民主党政権であったと思っている。

 ふと気になって細川護熙という肥後細川家の御当主の今を検索してみると、茶人、粋人として今を生きておられるようで、多分この人の中では、自分の無能さが国民の希望を打ち砕いたという罪の意識など存在し得ないのだろうと思われる。

 さて、旧民主党だが、民進党であろうと立憲民主党であろうと、顔ぶれは民主党と変わることなく、淡い期待を打ち砕いた張本人たちが看板を変えて中央の政界に居座っていることは許しがたい。その許しがたい者たちに、希望の党という隠れ蓑を貸した小池百合子は、姿は変えても同じ穴の貉であったと思えば諦めもつくのかも知れないが、その小池百合子も細川護熙の日本新党結成メンバーとあれば、諸悪の根源はこのあたりかとも思える。

一汁一菜でよいという提案

 こんな本を見つけた直後に、土井善晴の美食探訪という番組を見てしまった。神戸牛シャトーブリアンのステーキ、前菜等にはキャビア、トリュフ、フォアグラ・・・圧巻のシャトーブリアンに至るまでに、ため息の出るような品々が並ぶ。コースで3万円以上。そして築地市場の料亭に場面は移り、豪華な刺身の盛り合わせの後極上のアンコウ鍋に至る。 このアンコウ鍋、出汁に焼鯛を一匹丸ごと・・・

  さてと、瀕死の状態の東京芝浦電気、この東芝の社長で経団連の会長も務めた 『めざしの土光さん』 と言われた土光敏夫という人がいた。今となっては高値のイワシだが、当時はまだまだ安物で、EPAとかDHAなど知られてはいない頃、老夫婦がめざしで質素な食事をする姿が美談として世情に伝えられた。高級料亭などを歴訪し、さまざまな贅沢を尽くした後に行きついたのがめざしであったのかどうかは知らないが、全く贅沢を知らずに経団連の会長まで行ったとは思えない。その映像を見た後に、貧乏な我が家で土光さんもそうなのだからと、嫌いなめざしを無理やり食べさせられたことには閉口した。

 ついで、と言ってはなんですが、お釈迦さんは元々が釈迦族の王子で、酒池肉林かどうかは知らないが、人生と人々の苦しみに気付くまで、たいそうな贅沢をしていたのは間違いない。その贅沢の極限まで行って飽きてしまったかどうかは別として、多感な青年であったことは間違いないだろう。初めから貧乏であっては、決して仏教の悟りには行きつけなかったのではないかと思うのは下衆の勘繰りというものらしい。

 あの美食探訪という番組を見なければそんなことは思わなかったのだが、この本の題名にはもしかしたら、『あなたたちは』 とついているのではと再び下衆の勘繰りを入れてしまう。

2017年11月15日水曜日

樋口豆富店 高崎市剣崎町

池波正太郎原作の 『仕掛け人 藤枝梅安』。悪人相手の人殺し(仕掛け人)のと言ってしまえばそれまでだが、針医者と爪楊枝職人の複雑な人生を織り交ぜながら淡々と過行く時間を描いている。その合間に登場する梅安の手による料理は、素材のシンプルさと手軽さか、自分でも作れるような気がして、しかしながら期待した味に仕上がらないのは、自分のセンスの悪さなのか味覚の貧弱さなのか。

 この梅安の仕掛け人シリーズは、梅安が自宅を新築し始めるころに絶筆となって突然終了する。その頃の池波正太郎の随筆の中で、『豆腐も昔のような味が無くなった』 と、今の大量生産の豆腐の味を嘆く部分がある。さらに、豆腐だけではなく、その嘆きが色々な食物や、季節感の無くなった現在の食卓に及んでいたように記憶している。 

 さて、そんなところで紹介するのは、高崎で三代続いている豆富屋さん。ずっしりとした厚揚げ。今日は焼いてビールのつまみにして、明日は煮物に。油揚げは三枚購入して、今日は一枚をチンゲン菜とみそ汁に。寄せ豆富は薬味を刻んでそのまま。主菜は牡蠣と肉とにんにくの芽を炒めたものなので、副菜はあっさりと。 ちなみに厚揚げは午前中に売り切れてしまうこともあるので要注意です。

  

2017年11月14日火曜日

イスラムについて (7)

 前橋に外国人向けの日本語学校があるせいか、最近コンビニや外食チェーンのレジに外国人が多くなった。ベトナム、インドネシア、中国、スリランカ、ネパール等々。

 その中で、セブンのレジにヒジャブ(Hijab)を被った女性が深夜勤務をしているのが目についた。これがもし日本人がスカーフを被っているのであれば、当然ダメだと思われるのだが、イスラム教の経典に基づく宗教的な理由となれば、服務規程(就業規則)によって規制することも想定外であって、へたをすると人種差別などと言われる恐れもあってはあのままでというのが順当なところなのかと思う。

 ただ、このヒジャブは 『宗教的シンボル』 として、公の場所では着用禁止とされている国もあり、何より日本では異様と感じる人や、無礼と感じる人もいるかも知れない。日本は比較的宗教に寛容ではあるが、宗教経典が法律的役割を担う、または経典そのものが法律という国もあるはずで、日本はたまたま宗教に寛容であることで、相容れない価値観を受け入れざるを得ない状況に追い込まれているということも言えるのではないだろうか。

 

 

映画 関ケ原

 予想通りと言っていい退屈感。感動も何も残らない珍しい映画だった。司馬遼太郎の作品を映像化することは難しいらしく、かつてNHKの大河ドラマに取り上げられた 『竜馬がゆく』 などの視聴率は、多分当時の最低を記録したように覚えている。

 戦闘シーンなどは、ディカプリオの主演したギャングオブニューヨークの喧嘩シーンの方が迫力があったように思え、眠さに耐える映画であることが残念だった。空前のスケール(HP)というのはあんなものではないだろう。

 何が悪いのかは断定できないが、原作の三冊を読めばわかるのではと思う・・・・無理だよな・・・・・って。 二度とこんな映画を作らないことを願うだけ。

   

2017年8月17日木曜日

前橋を考える (1) 群馬県歴史博物館

  この表題に沿って書き始めるために、一気に古代、それも古墳時代の資料館などを訪ねることに。先日は渋川市にある県の埋蔵文化財調査センター発掘情報館。今日は群馬の森にある、県立歴史博物館へ。 

  前橋は県庁所在地としては全国でも人気のない都市らしく、そのランキングでは常に最下位を争っているらしいのだが、何を基準にしているのか、その出典を見たことがないのでなんとも言えない。

 ただ、かつて旅行会社に勤めていた人の話では、前橋が勝てるとしたら 『島根には勝てるかなぁ』 だそうで、感覚的なものであるのかも知れない。

  前橋に住んで12年余り、『だめだぁこの町は』 という人はいても、この町に誇りを持ち、この町を市民の共有財産だと思い大事にしている人に会ったことがない。東京などの大都市に対する劣等感、も強い。その劣等感が人々を卑屈にして、あらぬ方角へそのはけ口を求めているように感じられる。

 誰だろう、このブログをアメリカで読んでる人がいる。 もし私の心当たりが当たっているならば、このアメリカ人は、高校の英語教師として来日して、半年という短い時間で前橋を去った人かもしれない。寂しさと辛い日々の記憶が、前橋という町の印象と重なっていなければ良いのだが。

 

 

 

2017年8月2日水曜日

群馬県埋蔵文化財調査センター




前橋市と渋川市の境目、渋川市北橘町にある、県埋蔵文化財調査センターの発掘情報館と収蔵展示室。写真下は、渋川市金井東裏遺跡から見つかった、甲を着た古墳人の発掘状態がわかるレプリカ。
 隣の小児医療センター行のバスはあるものの、交通の便は悪い。しかし勾玉や土器の製作体験などもできる、夏休みに一度は行ってみたい発掘情報館。開館日は日曜から金曜まで。午前9時から午後5時まで。入場無料。



2017年7月20日木曜日

稲田大臣の話し方

 あの若さでこの話し方はないだろうと思うのは、前の言葉の語尾の母音を引きずる話し方。というとわかりづらいかもしれないが、あーとかうーとかが多くなり、故大平首相(第68代)などがこの話し方だったと記憶している。

 私は、あー、防衛大臣で、えー、そのことは、あー、主人も、おー、わかっていると、おー、思います・・・・・ってな具合。話し方としてはどうにも間延びしていてわかりづらく、当然のことながら女性が使うと色気などなくなってしまう。

 あんな頭の良い人に今更話し方でもなかろうとは思っても、あれだけテレビでモゴモゴやられると一言言ってあげたくなるのが普通だが、 早く視界から消えてほしいという思いの方が先に立つ。



2017年7月19日水曜日

蓮舫の言い訳が通るならば

 運転中に、制限時速を50kmも超えているなんて知らなかったもので、いやぁ申し訳ありませんでした。ってのも通用することになる。蓮舫は国外退去が相当だと思う。

忍びの国

 和田竜の小説がまた映画化される。文庫本の帯にキャスト一覧があって、それを見て一安心。前回の 『のぼうの城』 では、主人公の役を演じた狂言師が映画の全てを壊してしまった。歌舞伎役者や狂言師は、発声法が違うためなのか、異様に浮き上がってしまい他の役者達との違和感は拭いきれない。のぼうの城では誰が狂言師を主人公役に選んだのかは知らないが、原作を少しでもかじった者ならばあの選択肢はないと思った。

 さて、和田竜の忍びの国、司馬遼太郎の直木賞受賞作、梟の城と比べてはかわいそうなくらいに深みはないが、それは無理というもの。時間つぶしと思った方がいいくらいの出来で、映画が原作を超えてくれることを願うだけ。多分、これさえも無理だろうなぁ。


 

2017年7月18日火曜日

コンビニ トイレ考

  再編が進み、セブンの一人勝ち的な状況のコンビニ業界。先日のレジの担当者は、『アガトゴマシタ』 まぁ、ありがとうございましたの短縮形であろうという言葉をかけてくれた。忙しい中で何も言わないよりはましかと思うのだが、何とかならんものかとも思う。異国の地で言葉の不自由な中でのことだからここは寛容であれと自分に言い聞かせるが、このレジに外国人を多数採用しているコンビニは掃除が行き届かず、トイレの汚さはその臭気が入り口付近まで押し寄せるほど。

  飽和状態と言われてから相当な年月が経ったように思えるが、コンビニの数は増えているし、まだ空白地域(監視カメラの数も含めて) はあるようで、これからもまだまだ店舗数は増えそうでさえある。.

 24時間営業年中無休というのは非人道的営業形態だとは思っても、防犯上や、生活時間の多様化に対応するという意味では顧客の要望に応えたものとも言えるかもしれないと最近感じることもある。

 冒頭のコンビニにはあれ以来二度と行っていない。コンビニが淘汰される時期を迎える時、コンビニの商品力は当たり前として、機能面や看板よりも店員力が問われるようになるだろうし、清潔感は日本人の特質に訴えるものと肝に銘じておかなければ淘汰される側に回る覚悟が必要だと思う。



煙草のダンディズム

 アイコスという煙草まがいの商品が、煙草をやめられない意思の弱い男たちに蔓延している。勿論、愛煙家にもである。

 一か月もアイコスを続け、かかりつけの歯医者にでも行けば、『煙草やめましたか?』と聞かれるくらいに歯のヤニは消えているそうである。衣服や車内に付着する臭い(愛煙家は香りという)もないということで、副流煙などという心配もないらしい。

 本人にも周囲の人達にとっても健康に良いのかどうかは知らないが、かと言って吸っている姿はどうにもみっともない。ちょうど七五三の時期に子供達が千歳飴を舐めているような、ダンディズムとは程遠い姿。この際だから、多少割高ではあるものの、カロリーには気をつけて、千歳飴に変えるという選択肢も良いのではないだろうか。


2017年7月12日水曜日

卑しさか?

 首相夫人というのは何なのだろうかと、最近の政治の混乱を見ていて思う。自民党の政治にどうこう言うつもりはないが、政治の混乱を首相夫人が招いているという現状では、この公人か私人なのかわからない人物を通して政治というものを批判したくもなってくる。

 この夫人の行動は卑しさからかと思ったのだが、そうでもなさそうで、意外なところで森永製菓の創業者一族ということがわかって思考が止まってしまった。あの森永ヒ素ミルク事件。乳児1万人以上のヒ素ミルク中毒と同じく乳児100人以上の死者。15年以上に渡ってその責任を認めず、一人の死刑囚も出さなかった森永。その一族。

 首相夫人という肩書の他にもいろいろと欲しかったのか、学校の名誉職に名を連ねる卑しさは、とても首相夫人とは思えない。問題なのは、閣僚ならば更迭も可能なのだが、夫人となるとそうもいかないのか、離婚って話は聞こえてこない。こんなのに非常勤とは言え、数人の担当者を付ける無駄を省いて、自宅謹慎という処分をお願いできないものだろうか。
 

2017年6月27日火曜日

米国大統領、リンカーンの故事

 かつて民主党(現民進党)が政権を奪取するかという時、党首選の顔ぶれを見て妻が私に聞いてきた。 『野田さんてどうなの』 と。 『あれはだめだ、顔が悪い』 にべもない答えに妻は納得のいかない表情を浮かべたままだったことが記憶に残っている。

 今また幹事長として表舞台に出てきてはいるが、相変わらずの悪相に変わりはない。変わりがないのはその悪相と、その悪相が及ぼす影響を本人自身が自覚していないのも当時のまま。 『マニフェストというものがあります。これを命がけで実行する』 と公言して実行しなかった男と政党を国民は忘れていない。

 司馬遼太郎の随筆集に、こんな話が載っている。リンカーンが組閣の人選で頭を悩ませていた時、組閣参謀がある人物を推薦した。が、リンカーンはかぶりを振った。わけを聞くと、『顔がよくない』 『え?大臣を顔できめるんですか』 『人間、若い間はまだ生な顔だが、四十を過ぎると、その人間の経験、思想、品様の全てが第二の顔を作り始める。四十を過ぎた人は自分の顔に責任をもたねばならない』 (司馬遼太郎が考えたこと1 顔の話)

   さてそうは言いながら、先日証明写真を撮ったところ、自分の人相の悪さとジジ臭さにあきれてしまった。あまりにひどいと妻に見せたら、『そうでもない』 と言われたところをみると、私の悪相も板についてしまったようでショックだった。

2017年6月26日月曜日

梅雨時の過ごし方

 梅干を漬け込んで数日、澄んだ梅酢が上がってきたら重しを減らして梅雨明けを待つ。時折梅酢の濃度が均等になるように、ポンプを使って攪拌する。昔のような塩分濃度の高い梅干を漬けている分には心配はないのだが、10%前後くらいからカビの発生に気をつけないと取り返しがつかなくなる。

 久しぶりに時代小説を離れて、大沢在昌を読んでいる。新宿鮫シリーズは読み終えて、氷の森。今読み返しているのは、気になった個所を探すため。最後の数行に通じる個所が、パラパラとめくっていても見つからないので初めから。探偵ものになっても、なかなか新宿鮫の憂鬱から離れられないが、気分転換も含めてパラパラ・・・・・

 『人間って、木のようなもの。自分では好きなように動き回っているつもりでも、実際は簡単に動くことができない。都会は森。動いているように見えて、動けない人間たちが、ぎっしりとひしめき合っている。』 そして、

 『森があって、皆そこに集まる。鳥や虫たちが餌を取りに集まってくる。緑の葉が繁っていて、花も咲き、実もなっている。どれもが生きている木だと思って一本の木にとまってみたら、その木だけ、その一本の木だけが枯れ木だった。なのに外からは、枯れ木だということが少しもわからなかった。』 『その枯れ木が枝を伸ばし、光をさえぎり、他の木を枯らせ、腐らせていた。』

 読み返しながらこの部分を見つけ出し、やっと全体の様子が俯瞰できたように思えた。


2017年6月21日水曜日

考える台所

 日々の献立を考えるということの大変さを知ると、主婦の偉さがよくわかる。週に二回の休日に食事当番をしてみれば、さらにその偉大さが身に染みる。

 ということでこんな本に飛びついてみたのだが、考えないようになるためには相当な準備と経験が必要になってくることに愕然とさせられる。この本の述べていることは、剣術や禅の修行にも通じるものがあって、ひいては人生訓に近いものも含まれていることに気付く。

 考えてみると、毎日毎日同じものばかりを食べていればこんな心配は起きないもので、多種多様な食材や調理方法がネットやテレビで紹介されることによって食事は複雑化されたと言って良いのかもしれない。贅沢ここに極まれりということか。

 さてと、明日の献立はどうしようか・・・・・


2017年6月20日火曜日

イスラムについて 6

 ハラル・ジャパン協会のHPによれば、今はラマダン (5月27日~6月25日) 断食月の真っ最中。この間、日の出から日の入りまで飲食は勿論、煙草も、唾を飲み込むことさえはばかられる。酒は論外。

 最近NHKの番組で、医師、もしくは指導者の管理下にある状態での断食の効用や危険性について放送されたが、一般の断食と違ってイスラムの断食は、危険性と言えば砂漠地帯などで行う場合の脱水症状くらいだろうか。日没から日の出までの間に十分な給水と栄養を補給できるので、思ったよりは簡単と言っていいかもしれない。何しろ国王、王族から健康である人であればみんなが参加する行事でもあって、連帯感が苦痛を和らげてくれるところがある。

 それでも日中は辛い。日が昇り、これから夕方まで断食と思うと、数日間は禁断症状ではないが、急に飲み物や食べ物が恋しくなる。しようがないから、木陰で座っているか川辺で涼風にでもあたる。あとは読書くらいか。

 結局少々の違反はあったものの、約3週間の付き合い断食は終わったのだが、ラマダン明けの達成感というのか、連帯感は想像以上のものがあって、通過儀礼のようにその感動は心に残る。そのラマダン明けの食事に、ビールを一杯と思うのは悲しい性というのだろうか。

 

2017年6月8日木曜日

上野国分寺跡


  

 群馬県高崎市と前橋市の境にある上野国分寺の跡。写真は七重搭跡の基壇上から講堂の基壇を撮影。ここから東に数キロのところに、国分尼寺跡もある。

 駐車場から伽藍に向かうと、ガイダンス施設 『上野国分寺館』 があり、受け取った資料からこの伽藍の盛衰が読み取れる。天災の大きなものは、818年(弘仁9年)の地震(M7.9)、1108年の浅間山の大規模な噴火。人為的なものは939年(天慶2年)の平将門による上野国府の占領(この62年後に平重義が金堂に十一面観音像を奉納していることから、壊滅的な破壊はなかったのではと思われるが)と、1180年(治承4年)の足利俊綱による国府焼き討ちなど。

  また同じ資料には、1030年の 『上野国交替実録帳』 から、この時期には多くの建物施設がこの頃までに失われ衰微しつつある状況がうかがえる と記されている。ただ七重搭の記載がない所からまだ残存していたのではないかと推定している。

  

  

梅酒の季節がやってきた かみつけの里博物館

保渡田古墳群のうち、八幡塚古墳前方部にある埴輪群(復元)

  群馬県高崎市井出にある保渡田古墳群。博物館を備えた公園として整備されている。その中でも八幡塚古墳は後円部頂上に石室を備え、当時の形に復元されている。

 この八幡塚古墳の脇の駐車場に農産物直売所があり、季節になると地元箕郷町の梅が販売される。梅酒の季節は古墳群の見学が恒例となる。

 箕郷町の梅は白加賀、南高梅に押されて分が悪い。かと言って味に大きな差があるわけでもなく、良質な白加賀は南高梅を凌駕するほどの実力を持っている。ブランドとして仕上げた紀州の人達の戦略上の勝利と言うべきなのだろうか。

 今になって知ったことだが、アルコール度数20%以下の酒で梅酒を作ることは、酒税法に違反するらしい。国税庁のHPにもしっかりと書いてあった。あるところで日本酒で作った梅酒が一番美味しいと言った人がいたのだが、知っていて言っているのかいないのか・・・・・



2017年5月17日水曜日

日本農業実践学園 (2) 直心影流剣術

 日本農業実践学園、その創業者加藤完治は直心影流剣術の系譜につながることを知ったのは、卒業してから10年以上経ってから。 

  そして今の住まいから車で15分も走ると上泉伊勢守の居城跡がある。直心影流では上泉伊勢守を二代目としているが、分派枝分かれをしているので資料を読んでもよくわからない。ただ、この系譜には、薩摩藩の初代警視総監川路利良や、禅の大森曹玄なども並ぶ。

 柳生新陰流、薩摩示現流などとも繋がり、 剣聖と呼ばれるにふさわしい上泉伊勢守であり、正統論などはこの際横に置いて、剣術の歴史だけではなく、歴史との関わりや歴史上の人物などに思いを馳せたい。



 

2017年5月16日火曜日

外来種 根絶への戦略

桜の季節が終わると、この侵略的外来種ワースト100に含まれるニセアカシアの花の季節がやってくる。1873年に渡来したと、外来種では珍しく、明確に日本に 『侵入した』 年月まで確定されている。

 花は天ぷらに、葉には毒、蜜は味も香りも最高級品とにぎやかで、 小学校の頃に住んでいた街では街路樹として植えられていた。今では埼玉県北本市にある自然観察公園でも伐採が進み、利根川流域でも散歩道にある10m以上の大木が次々に倒れてゆく。

 主な被害は何かというと、アカマツ、クロマツ、ヤナギや、希少植物のカワラノギク、ケショウヤナギなどの生育を阻害し、その生育力で生態環境を変えてしまうらしい(Wikipediaから)。

 先日朝日新聞が科学の扉で特集したのは、北海道の無人島でのドブネズミの根絶なのだが、同じように生態系を乱すというこの花にそのドブネズミほどの悪さを感じられないのは、ニセアカシアの花の美しさと香りの高さ故か。 長い年月の間に景観が変わるということの善悪が実感としてわからないのは、長いスパンでの観察の欠如か、そもそも自然というものに対しての鈍感さなのか。

 いずれのしても、このニセアカシアは日本の景観の中に溶け込んでいるようで、美しさとその甘い香りと最高の蜜源植物であるということを思うと根絶ということを目指しては欲しくない。

2017年4月21日金曜日

さきたま古墳群


 久しぶりに訪れた 『さきたま古墳群』 は、桜も終わり、新緑の季節を迎えようとしていた。駐車場から石田堤を経て、かつて石田三成が本陣を置いた丸墓山古墳へ。

 丸墓山の頂上から見る辛亥名の鉄剣で有名な稲荷山古墳は、前方部の土盛りも自然な形に修復され、前方後円墳の形を取り戻していた。 また 丸墓山からは、行田市街と忍城が遠望でき、豊臣方の忍城水攻めの雄大さを想像できる。

 この忍城水攻めの攻防を描いた 『のぼうの城』 は、本屋大賞を取っただけあって面白い。でも、野村萬斎主演の映画はいただけない。あの野村萬斎の賢しら顔はどうにも 『のぼう様』 にはそぐわない。映画を壊す。

 もう一つ、この古墳群を世界遺産にという試みがあると駐車場の近くに大きな看板があるのだが、相当無理があるのではと思う。著名な出土品といえば辛亥名の鉄剣くらい。せっかく古墳公園として整備が進んでいるわけだから、、古代への思いを馳せる場として今後の調査や研究の進展を見守る程度で十分ではないかと思うのだが・・・・・
 

2017年4月5日水曜日

散歩道

桜の開花から4日目、暖かい日が戻ってきた。手前は坂東太郎利根川の流れ。

 この左右に橋があり、この間をトコトコ歩くとほぼ30~40分。こちら側は自転車道が整備され、埼玉県行田市から渋川までの67km。サイクリングロードマップが県のHPからダウンロードできる。

 ただ散歩は健康にいいとは言われても、続けることが難しい。当初一日30分以上と言われたことは、歩いてみるとわかって、真冬でもそれくらいで身体が温まってくる。ちょうど運動場から橋を渡って一周すると30~40分で、余裕のある時には一周400~500mの運動場を周回して距離を延ばす。雨の降りそうな時は運動場の周回(一周8~10分)だけで済ますこともあって、この運動場の存在が三日坊主の飽きっぽさをなんとかしてくれているように感じている。雨の日や風の強い日はお休み。歩かないことがストレスになりかけたら大丈夫なようで。

愛と哀しみの果て

 この本が郵送されてきた午後、BSで 『愛と哀しみの果て』 が放映されていた。ゴングヒルにあるカレンブリュクセンミュージアム、懐かしい景色とスワヒリ語。

 そのケニアに定年退職後に渡り、4年間の滞在を経てキクユ(ケニア最大の部族)語、マサイ語を習得、言葉やことわざをまとめあげたもの。悠々と、無限に、日々の暮らしという面のうえを反復し、旋回する・・・・・

 

2017年4月4日火曜日

だし巻き卵

この桜の季節に何をしているかというと、小さな卵焼き用のフライパンを買ってきて厚焼き玉子に挑戦。練習用に1パック100円くらいの玉子を買ってきていざ出陣!

 玉子3個にだしを入れ、酒と塩少々、砂糖を入れると焦げちゃうから、それは少し慣れてから・・・・・。

 玉子の混ぜ方もコツがあるようで、白身を切るように少しずつ・・・・・これも数をこなさないとよくわからない。

 NHKのきょうの料理や、数ある料理のHPを見ても焼き方がわからないけれど、ユーチューブが一番わかりやすく参考になる。動画を見ているとあっという間に出来上がるのは、熟練の技故であって素人はそうはいかない。

 最初は惨憺たるもので、暗闇で食べる分にはいいけれど、盛り付けを考えるとNG。何度かやっているうちに出来上がったのがこの写真。表面の滑らかさと、切り口のきれいさをさらに求めるならば、火の加減と作業の的確さが要求される。

 玉子の右側には、焼き明太子と大葉を添えて出来上がり。花冷えの夜に熱燗を添えて。

   

がんばれおじちゃん

 どうにも評判は悪いのだが、なぜか憎めない奴がいる。独特なヘアスタイルはヅラではないかとも思われるが、金はある、何人目かの女房はすこぶる若く、どうにも奇麗でしょうがない。握っている権力は地球最大。こんな男を嫌う奴らは、一にぶ男二に貧乏人と決まっている。女性にも評判が悪いらしい。そりゃそうだ、あいつは何で私を選ばずにあんな女を選んだのかと思うと腹も立つだろう。考えてみると、どれくらいの人間が、地球規模でこの男の失敗を望み、奈落の底に落ちていくことを願っているか。

 ただふと思うに、あれはどう見ても男の憧れを具現化したものではないか。もしそうであれば、何年か先にお亡くなりになった時には、神社に祭り、神として崇めても罰は当たるまい。神名は、西洋花札大明神。だいたい男として生まれたからには、ああなりたいというのが誰しもの本音ではないだろうか。がんばれおじちゃん、反動は大きいかも知れないが、あの国はまだまだ進化を遂げるであろうし、進化を遂げなくてはならない自由の象徴のようなくにである。


2017年3月27日月曜日

イスラムについて 5

 松本清張の 『砂漠の塩』 という小説がある。40年以上も前のことになると思うが、平幹次郎、佐久間良子の主演で 『愛と死の砂漠』 と題名を変えてテレビドラマ化された記憶が鮮明に残っている。

 この小説は昭和42年(1967年)初版、海外旅行はごく限られた人達の贅沢であり、航路に関してもアンカレッジ経由でヨーロッパへ向かうなど、今と比べると利便性も悪いことがわかる。

 この時代に、ダマスカスからバグダッドまで二人はバスで向かう。この平和な様子はなんだろうか。今ならさしずめISあたりに拉致されて、身代金の要求があり、大騒ぎという所だろう。

 エジプトはまだナセル大統領のアラブ連合、イランはパーレビ国王(モハマンド・レザ・シャー)の施政下、イラクも第二共和政下で不安定であることは不安定なのだが、こんな旅行が小説の上であっても可能であったことが今では奇跡のような感じがある。

  ふと思い出したことを追記: エジプトのムハマンド・アリモスクから市街地を眺めると、眼下に二つのモスクが並んでいる。そのどちらかがリファーイモスクだったと思うのだが、ムハマンド・アリモスクから見ると、右側のモスクの内部にイランのパーレビ国王のお墓がある。入り口で立ち入りを拒否されるが、ちょっとの心づけで入ることができた。イラン国旗がお墓の横に設置され、聖職者がコーランを唱える。神の力は偉大であろうが、金の力もなかなかである。

2017年3月6日月曜日

イスラムについて4

 イスラム教徒の結婚はちょっと大変。日常生活の規範はお祈りにしても厳格なものがあり、異教徒にとっては越えなくてはならないハードルがある。異教徒との結婚は禁忌であるから、必ずやどちらかが改宗することになるし、その日から生活は一変するものと思った方がいい。

 一般にイスラムは女性蔑視と思われがちだが、女性の立場を守ることに関しては厳格と言っていいかもしれない。結婚はその典型と言えると思うのだが、結婚契約書の内容は正にその考え方を具現化したものと思える。まぁ日本で言う結納に当たるものは、ラクダ○頭、羊が○頭・・・・・4~500万円くらいになるのだろうか・・・・・そして、最後の項目に仰天する。離婚の際はその3倍を支払う。勿論男性の方が、である。

 怖い話を一つ。友達の友達から(笑)聞いた話だが、あるバカな日本人が、映画館で手を握られてその気になってデートを重ね、ある日その彼女の家に連れていかれた。応接に両親がどっかりと座り、まぁ日本の床の間にあたる部分にはコーランと剣。結婚には改宗がと言われても、父祖の代からの真言宗豊山派は譲れないなどと訳の分からないことを述べ立てる。この日はお茶して帰っただけなのだが、この娘に対して不埒な行動に出ようものなら、この両親は先ず娘を殺し、その友人の友人を敵として追いかける。まるで日本の妻がたき討ちの様相を呈してくる・・・・・らしい。

 日本人は宗教に寛容であるなどというが、時として鈍感であることが命取りにもなりかねない。宗教が日常生活に密接につながる生活は日本人にはなじみがない。日本人の生活を律しているのは何なんだろうか・・・・・と話がとりとめもなくなってしまった。

   

2017年2月22日水曜日

台湾

 台湾は、今一番行ってみたい国の一つ。台北から台中、台南と南下して、花蓮などの東海岸の都市を訪ねながら北上して台北へ戻るルートを鉄道、それも普通電車で急がずに行ってみたい。

 どうしても立ち寄りたいのが、八田與一の業績烏山頭ダムとその慰霊碑。それと鄧麗君のお墓。あとはゼーランジャ城などなど。

 朝鮮半島と同じように日本の統治下にあった国であり、反日運動や抵抗運動もありながら、長い戒厳令の明けた後の急速な民主化と経済発展は 政治形態の変化とともに国家というものを考える格好の教材と言っては台湾の人々に失礼ではあろうか。
 

 

日本農業実践学園 (1)

 水戸市内原にある農業の専門学校。久しぶりにその母校のホームページを見て、懐かしさと変わってゆく姿に時間の経過を感じる。すでに卒業してから17年の月日が過ぎようとしていることに驚くとともに、伝統の行事も続いていることに少し安堵したり、この学校で過ごした楽しい日々を思い起こす。

 HPの沿革によると、昭和2年(1927)開校 、今年で90年を迎える。初代校長は加藤完治先生。戦中戦後を通じて、内原訓練所という名前で記憶している農家の方もいらっしゃるかもしれない。水田、蔬菜、特用作物、養豚、酪農、製茶、果樹など数部門に分かれて高等科、本科、研究科の生徒たちが農業の基本を学びそれぞれの夢に向かって日々を過ごしていた。

 春先、10月生の私たちにはちょうど中間期にあたるのだが、3月8日は恒例の『筑波強歩』。かつては筑波行軍と言われていたらしいが、戦後GHQの査問があったりして現在の強歩という呼び方に変わったらしい。当日の午前0時に学校を出発。早朝に筑波山山麓に到着し、朝食の後に山頂を目指して 登り、昼頃には下山。昼食と休憩をはさんでまた学校への道を歩き始める。総行程21時間90kmに及ぶ。到着は午後9時前後で、昨年は25名が参加して23名が完歩。天候によっては相当ハードで、私たちの時には、夕方6時くらいから雪が降り始め、学校到着時には10cm以上の積雪で生徒たちは雪だるまのようになって歩いていた。

 この学校は、創立者の加藤完治先生の事績で満蒙開拓と深いつながりがある。今となってはその時代を語る人達もいないだろうが、海外青年協力隊の研修などで在籍する人も多いなど、時代とともに違う役割を担っていることは間違いない。


   

2017年2月4日土曜日

河津桜

散歩道の河津桜。この一週間、暖かい日や北風の強い日が交互に訪れ、この木だけは複数の花が開き始めていた。

 今日は風が少しあるものの、30分も歩けばうっすらと汗ばむほどで、花を見るとさすがに春の息吹を感じる。

 靖国神社の開花宣言は、ソメイヨシノの標本木が5~6輪咲いた時をいうので、これはまだ本格的な開花とは言えないようで、まだ何度かの寒い日を超えてからということになりそうだ。

 これから河津桜が咲き揃い、エドヒガン桜が咲き、ソメイヨシノが咲く頃が一番いい季節なのかもしれない。春が待ち遠しい。

カーリング

 初めてこの競技を見た時には、ただただ笑ってしまった。大の大人が氷の上で、デッキブラシでゴシゴシと氷を磨いているような、そのコミカルな動きが笑いを誘った。

 テレビ中継を見ていて思ったのは、競技中の選手の会話が無線機を通じて聞こえていることが効果的だということ。他の競技ではありえないし、指向性のあるマイクを通して聞こえる場内の声に混じったものとも違う。

 ルールは未だによくわからないのだが、氷上のチェスと言われるほど深いものがあるらしい。ストーンの重量は20kgで、あれほどのスピードでぶつかっても割れないのは余程特殊な石だろうということで、しばらくはWikipediaでお勉強・・・・・

 15世紀にスコットランドでということで、ゴルフのようなセルフジャッジ。フェアプレイ精神。コーチ、監督との相談も限られているところは、ラグビーのような基本的な姿勢も。イギリスってのはすごいなぁと思う。スペインの無敵艦隊を破り、制海権を握って海洋進出を進め、大英帝国として地球上の大半を傘下に収める英国の国民性の基本をこの辺に見てしまう。

 などと考えながらまたテレビ中継を見ているのだが、よくわからん。

2017年1月31日火曜日

隣国、韓国 1

 トランジットの往復も含めて、韓国への入国は数回に及ぶ。初めて行った時はソウルから入国して高速バスで釜山、慶州の仏国寺ではイギリスのサッチャー首相とすれ違うという幸運にも恵まれた。釜山からソウルへは、特急セマウル号。慌ただしい数日の旅は、移動と食事と宿の手配である程度の労力を消耗して終わってしまう。

 その後日本への留学生と知り合うことでその留学生の実家を訪れたり、亡くなった留学生の父親の墓参りに訪れたり、もちろんその家族を日本に招いたりして交流が深まった時もあったのだが、それもいつの日か消えてしまった。

 拭い去れない価値観の違いと簡単に言っていいものか、加害者と被害者の違いと言われてしまうと返す言葉もなくなってしまう。100年、200年、300年と歴史を遡られては、互いに未来を語る機会さえ失われ、400年も前の豊臣秀吉の侵攻から最終的には日本の文化は1000年以上も遡り我々韓国が伝えて今の日本があることに感謝と畏敬の念を抱けと言われても、我々凡夫には無理としか言いようがない。

 では近い所で日韓併合による太平洋戦争までの弾圧や、日本軍の残虐さについてはどうかとなるのだが、言われているだけでは悔しいので、じゃあベトナム戦争の時の ライダイハンはどうだと聞くと、そんなことは知らないとくる。小さいころから偏った情報を繰り返し繰り返し頭の中に叩き込まれていることを感じるのは私だけではないと思う。だからと言って日本の侵略を正当化するものではないのだが・・・・・

 侵略者は未来志向という言葉を使いたがり、過去を忘れようとする。これは李明博大統領の時代に、韓国政府を批判したベトナム政府の言葉である。(Wikipedia ライダイハンから)

 

2017年1月22日日曜日

イスラムについて 3

 イスラム教徒は酒を飲まない・・・・・飲まないわけではないが、戒律では飲めないわけで、この辺りは豚肉を食べてはいけないということと同列には語れない。

 エジプトではビールを作っていると聞いたのだが、ステラという銘柄で、これは輸入ではないのかとは思ったのだが、エジプトのキリスト教徒と一緒に飲んだ時にそう言われた。深酒はどこでも良くはないが、別れた後このキリスト教徒は街をふらついていたらしく、警察に連行され数日そこで過ごしたらしい。こうなると、法律なのか戒律なのかよくわからない。

 簡単には言えないのだが、イスラム教は人間は弱いものだというところに根差しているようで、衆生本来仏なりという仏教や、人は罪深いものであるというキリスト教との違いであるように思う。だから、人間は弱いから酒を飲むと飲まれてしまうから酒はいけないということになるのか。

 酒でなければ、 はらせぬ憂さがある。酔うことで、心の澱を流す。これが、酒の役割だと儂は思っておる。胃の腑を温め、食欲を増し、そして気分を昂じてくれる。それが酒の効能だと、奥祐筆立花併右衛門は語る。(上田秀人 奥祐筆秘帳)

 

 

2017年1月19日木曜日

地球タクシー ロンドンを走る

 NHK BSの地球タクシー ロンドンを走るは面白かった。ロンドンタクシー(クラッシックな黒いタクシー)の運転手(キャビー)になるには、過酷な勉強が待っている。通常でも3年から4年はかかると言われているが、ちなみに日本の東京で運転手を目指すと、地理試験などを経てほぼ三か月で一人前として街中に放り出される。地方に至ってはほぼ一週間。

 そのロンドンでも格安なタクシーが業界を侵食し始めていて、キャビーのような難しい試験もない、道も知らない、有名な建物の由来も英語さえ出来ないドライバーがいるというのでちょっとびっくり。日本でも似たようなもんだと言うと失礼かもしれないが、道など知らなくてもナビがある。配車システムは格段の進歩を遂げて、知らない街の知らない家までも案内してくれる。都内のタクシーの配車係はタクシーの経験なんかいらなくて、経験としては通販のテレホンアポインターが最高だろうか。またスマホ配車の迅速さは時代の変化の速度をも感じさせてくれる。ナビの進化で人間が退化するという言い方も出来るが、必要のない苦労はしなくてもいいと解釈するか・・・・・。

 この番組ですごいなぁと思ったのは、キャビーではない運転手の中で、バングラディシュからきたドライバーかな・・・・・英語は十分話せるし、雰囲気もいい。何よりも母国に、子供たちの為に病院を作りたいという夢。こんな夢を持っている日本人のドライバーなんていないだろうし、何でもあるもんなぁ日本は・・・・・。まぁキャビーでも同じようにバングラディシュのドライバーのような壮大な夢を持っている者はいないだろうと思う。

 タクシーに乗ると、その国のその町の品位というか、民度の高さがわかるような気がする。まぁ大英帝国の品位なんか奴隷制度で豊かになった国の成れの果てという意見もあろうが、キャビーの操るロンドンタクシーはタクシーの理想像ではないかと思う。

 

2017年1月16日月曜日

狐狸庵先生の本

 久しぶりに狐狸庵先生、遠藤周作の本を読んだ。下旬に公開される映画にも行こうということになっているので読んだのだが、ちょっとこの暗さは辛いかなぁ。

 神道というのは宗教ではないという説を聞いたことがある。では宗教とは何かというと、教祖、経典、戒律等々が揃っているものらしいのだが、それは西洋の宗教学であって、基督教の矛盾を覆い隠す為に、また基督教の絶対優位性を確立するために出来上がった学問による分類ではないかなどということも言われている・・・・・らしい。

 神道を沈黙の宗教と言ったのは誰なんだろう。九州は宇佐八幡、この神様は饒舌なようで御宣託をなさるらしいが、日本の他の神様は沈黙を守り続ける。どうせいこうせいとは言わない。だからというか、必然的に神道からこのような小説は生まれない。


 

2017年1月14日土曜日

大相撲初場所

 小学校に上がる前後から、本場所が始まる前には必ず大相撲の番付が送られてきていた。当時の横綱というと大鵬、柏戸の時代で、他の力士のしこ名はというと、ほとんど覚えていない。送り人の名前は春日野清隆。それが栃錦という稀代の大横綱と知るのはまだ先の話で、相撲に対する興味もなかった。

 宮城県黒川郡大和町にある、陸上自衛隊大和町駐屯地、 昭和31年に開設されたこの駐屯地に栃錦を初め春日野部屋の一行が訪れ、横綱土俵入りや巡業形式の興業を行ったことがあって、栃錦が戦車に乗った写真が記憶の中にある。

 この春日野部屋との交流は、後に父親と栃錦が江戸川区にいたころから続いていたことを知ったのだが、相撲というものはどうにも異次元の世界にしか見えなかった。

 時代小説を読むようになってからだろうか、相撲とその伝統を意識して見るようになったのは。日本人の横綱不在が続いているが、モンゴルの人達が席巻している今の状況を苦々しく思うことはない。ナーダムでもわかるように、モンゴルは相撲の発祥地ではないかと思えることもあって、本家帰りしているのだろうかというくらいに思っている。日本人がその競技に精神性を持たせ、築き上げ磨き上げたた伝統と歴史は学ぶ所が多いと思えるが。

 一つ気になるのが遠藤、照ノ富士、逸ノ城の三力士。故障が多いのと一時期の勢いが無くなってしまった力士達だが、その勢いのある時に同じ会社のCMに登場したというのは偶然なのだろうか。

2017年1月12日木曜日

今欲しいもの

 今何が欲しいかと聞かれれば、金!と即答するだろうが、金があればどうするかと重ねて聞かれれば、答えは自分の浅はかさを思い知るだけのものとなりそうだ。以前読んだ伊集院静の随筆大人の流儀に、ばくち打ちがダメな理由が滔々と書かれていたのだが、ばくち打ちでなくてもそれは当てはまる。要は自分のことしか考えていないということなのだが、自分のことで精一杯と考えれば決して悪いことではないとも思えたとしても、やはりそれは大人の人間ではないということなのだろう。悲しいことにこの年になって、自分のことばかりで他人の為に生きたことなどないと思えるのはちょっと辛い。

  禅宗の僧侶が友人にいて、その生活を若い時から少しずつ垣間見ていると、物を持たない、所有しないということに凄さを感じてきた。妻もいない。僧堂の中で修業を積み、その僧堂で20年を過ぎたころに琵琶湖のほとりの小さな寺の住職となった。檀家が少ないので年収は36万円。米や野菜など日常の食材や水道光熱費は檀家持ちと聞いてはいたが、貧しさは感じられずその飄々とした生き方には尊敬の念さえ覚えたものだ。

 一度身の回りの物と最低限の食器など残して全ての物を捨てたことがあるのだが、5年10年と経つうちにまたまた荷物は増え、簡単には引っ越しもままならないようになってしまった。それからさらに10年、さてと引っ越しでもするかと思った時には、20年前の状況よりもさらに悪化していることを悟り、いかんなぁとは思っても取り返しはつかない。豊かさとも言えないし、無駄と思うのも癪に障る。 もう一度、使わないものいらないものを整理して、ちょいと身軽になってみるか・・・・・

 

 

暇つぶし・・・・・上田秀人、奥祐筆秘帳

 時間があっても難しい本を読むのは辛いとき、やはり時代小説に手が向いてしまう。 この小説、何度か読み返すうちに主人公が修業する剣術道場の主、大久保典膳の教えとその生き方に魅かれるようになった。付箋など付けていけばきりがないのだが、大久保典膳の言葉に付箋を付け始めるとチクチクと自分の生き方の非違を咎められるような部分があまりに多すぎるのに気づく。

 長編もこれくらいまでだろうか、佐伯泰英の居眠り磐音あたりになると長すぎて、12か13巻くらいで飽きてしまった。

 

2017年1月6日金曜日

ラジオ英会話

 入院したばかりに英会話はしっかり中断してしまった。日常的に英語を使うわけでもないし、必要に迫られていないためもあってなかなか上達もしない。かえってコンビニにいるベトナム人に簡単な会話を習う方が進展が早い。

  とばかり言ってられないので、今日はこんな本の紹介。著者は白熊の写真家としても有名な女性。日本語も堪能なので、日本人の感性に対しても理解があると思われる。


イスラムについて 2

 入院していて久しぶりに麻酔から目覚める時と、病室での目覚めを経験した。アザーンが響く。その声で朝を知る。カイロのICUもカーテンで仕切られたベットの上で目を覚ました。ここはどこだろうかという問いに答えるようにアザーンが響く。

 不自由な身体を動かして周りを観察しようにも、暴れたせいかベルトなどで縛られている。下の方から衣擦れのような音が間断なく聞こえるのだが、その音の正体がよくわからない。やがて視界の中に人が立ち上がるのが見えた。お祈りだ。不寝番の医者が小さな敷物の上で朝の祈りを捧げている。メッカはあの方角か、などと思う。

 本当なのか、5人の信者の前で信仰の告白をすればイスラム教の信者になれるとかで、十人近い人の前でわけのわからない言葉を言わされ、よ~しこれでお前もイスラム教徒・・・・・ということで、異教徒は入り込めないモスク (今は違う言い方をするのか) の礼拝にも参加することになった。悪いことに、(いいことなのか) ラマダンの時期。日の出から日没まで断食。日の出前に知人の家に行き朝食を摂り、日没までは余程のことがない限り水さえも飲まない。当然の如く、午後にもなると動くことさえ嫌になってくるし、考えるのは飲み物と食べ物のことばかり。木陰のカフェにでも行きたいが、シーシャ(水パイプ)もだめ。

 ラマダン明け、実際は3週間ほどであったラマダンの経験は、普通のイスラム教徒の生活を知る上でいい経験であったと思う。これほど宗教が身近にあるという経験は日本ではなかなかできない。一緒に同じ苦痛だけでなく、食事の楽しさも、断食明けの達成感のようなものまで一緒に味わう。