2019年12月27日金曜日

李登輝という人

 先日NHKのドキュメンタリーで、カンボジアの現状が紹介されていた。中田厚仁氏の殺害に関わることや、クメールルージュ統治崩壊後のカンボジア人民党議長、カンボジア王国首相フン・セン氏の動向を記録している。

 フン・セン首相は親中派で、もしやと思えば・・・やはり・・・プノンペン市内の中心部には、フン・セン首相の業績レリーフが彫られたモニュメントが立っていた。首相府ももちろん中国の援助で建てられている (Wikipedia)。独裁化が進む方が、中国にとっては便利であるということは言うまでもない。カンボジア救国党を解体したあたりから、この国の民主化は一歩、また一歩と後退していった。権力を持つということの恐ろしさと言うのだろうか。

 その権力というものを考える時、当時(1990年代であろうか)、総統という地位にあった李登輝総統は、司馬遼太郎の『よくそんな座におつきになりましたね』という質問に対して、『権力を自分にひきよせるのではなくて、まして自分が権力そのものになるのではなくて、ここ(机の上)に置いて、いわば権力を客観化して、・・・つまり実際主義 (プラグマティズム) でもって、権力から役に立つものだけをひきだせばいいと思っているんです』と答えている。

高橋真梨子



2019年12月26日木曜日

前橋を考える(4) 都市の景観

 ポルトガルの首都リスボンを訪れた時、友人の持っていたガイドブックを見ながら目当てのホテルに向かった。夕方、そのホテルと思われる場所にあったのは、通りに面した外壁だけ。本当に外壁だけで、後ろはその外壁の倒壊を支える建設資材と空き地。日中はともかく、暗くなって街灯が灯ったとしても反対側の歩道から見る限り建物は存在しているように見える。

 スペインのマドリッドも同じで、通りから見える外観は重厚で歴史を感じさせる石造りの建物であっても、一歩ドアを入ると近代的な銀行であったりする。ヨーロッパはどこもそうらしく、第二次大戦の空爆で壊滅的な破壊を受けたドイツのドレスデンの街並みも、気の遠くなるような作業を経たとみえて中世以降の威容が回復されている。他方、区画によっては近代的な建物もビジネス街には成長していた。

 ヨーロッパの街づくりの中心は教会であり広場であるが、その植民地となるとまた話は違って、街を政治商業地区と工業地区、住宅地区と区画したりする。もちろん、その他にスラムと言われる先住民の区画も存在する。日本では戦国時代以来の城や寺院を中心とした街づくりがなされるが、城さえあれば、寺院があればということでもないらしく、その地域の城主の人気や家臣団の頭脳の差が街並みに出るようだ。

   徳川氏による江戸の街づくりは少し違っていたようで、『江戸にまっすぐな道はない、という。関八州の広野の端、海辺の漁村に平城を構えた家康は、攻め手を防ぐ要害の代わりに土地の起伏や地形に合わせた掘割に沿って町並みを作った。そのため、切絵図では整って画かれている道が、実際にはうねりくねって方角の感覚が微妙に狂う。・・・池宮彰一郎 最後の忠臣蔵』

   街並みを作るということは、『意志』が必要だということを言おうとしている。その意思を感じられない前橋。

セイコーファイブ 

 再びこの時計の話し。およそ30年ほど前にエジプトのポートサイド、スエズ運河の入口の町で買ったセイコーファイブ。値段もこれくらい。ひっくり返しても、どこにもメイドインジャパンとは書いていない。

 このセイコーファイブを、今から20年ほど前に自動洗濯機で洗濯。この時は水戸の中澤時計店に依頼して、オーバーホールに1万円。それからしばらくして、今度はSEIKOのロゴマークがポロリ。文字盤のカレンダーのところに引っかかって、針の進行を妨げる。しばらく放置していたのだが、倉賀野に直してくれるおじさんがいるということで持って行ったら、20分くらいだろうか、おじちゃんは裏蓋を開け、リューズも引き出して、文字盤を出してアロンアルファ・・・小さなピチッ!という音がして見事にはまった。1500円。

 さらに今回は、SEIKOのロゴの下にある『5』がポロリ。またその倉賀野のおじさんの所へ。かみさんのグッチの時計の電池切れも一緒にお願いして、1600円。手順は前述のSEIKOのロゴの時とほぼ同じ。最後のピチッ!と言う音も一緒。手前で見ていて、詰めていた息がフーッと抜ける。今時、こんな修理を目の前でしてくれる職人肌の人はいないだろう。多分、最低でも作業料3千円から5千円が相場ではないだろうか。

 SEIKO 5 は、永遠の名作、と思うのだが。


2019年12月1日日曜日

葉加瀬太郎・高嶋ちさ子・古沢巌

 お勧めです。


桜を見る会

 何とも無粋な話ばかりで面白くない。春爛漫の桜の木の下で、田舎者が悦に入り、オラが総理と歓談する。そんな場に呼ばれたことを吹聴し、記念撮影をして孫子の代までの自慢話。ついでに総理のおっかぁが呼んだ仲間も一緒に。日本の首相のレベルはその程度かと嘆く。

 よほどまずいと思ったのか、官僚の書類処理の迅速さは、シュレッダーの処理能力も手伝って、超高速。腐った官僚を処理する能力は低いのだが、また運の悪い数人がどこかへ飛ぶんだろうなぁと思う。

 そんな所へ、中曽根元首相の訃報が届く。地元群馬県に住む者として、この人はすごいなぁと思ったことが一つ。地元の後援者の一人が、『中曽根さんはすごいんだけんど、地元にはあんまりやってくれねぇんだ』と言ったこと。

 政治家が、本来の政治家として生きることの難しさを感じるとともに、明治維新から日本を作り続けた長州政権の領袖でさえあの程度かと思うと、先が思いやられる。


2019年11月29日金曜日

IMF ! I would like to say FUCK YOU !

 クリスタリナ・ゲオルギエヴァが何者なのかは知らない。しかし、日本にもいる大多数の貧しい者の敵であることは間違いない。

 消費税を15%まで上げろとは、日本の実情を知らず、机上の理論だけを振りかざしているにすぎない。

 それともこいつは Impossible Mission Force ってスパイ大作戦の主人公が属する機関の回し者か。

2019年11月27日水曜日

120歳まで生きる! ロングブレス

 羽鳥慎一のモーニングショーを見て、家内が買ってきた長生きの本。これがけっこうきついので、果たして続くのかどうなのか。

 120歳までという寿命が、本当に自分にとって幸せなことなのかどうかは生きてみないとわからないが、今を生きるこの身体が少しでも快適であればということでやってみるかと思う。

 足腰が強い年寄りは徘徊の危険があると言われたが、本人としては気を付けようがない。ついでに頭も鍛えた方がとは思っても、この年では手遅れの感もある。さてと、頑張ってみるか。


2019年10月12日土曜日

煙草 わかば CIGARS

 煙草を吸っていると、まぁ嫌煙家からは嫌な目で見られるのはしょうがない。その潔癖症ではないかと思われる人々の蔑んだような視線は、人種差別、中世の魔女狩り的とも似たような嫌なものを感じる。あ、ヒットラーも嫌煙主義だったようで・・・

 煙草は癌、心臓病等の原因になると言うが、種々の病気を誘発すると思われるストレスを与える上司は世の中から抹殺されることもない。排気ガスについていえば、煙草の数倍の害を与えているとは思えても、その便利さと産業と言う面を考慮すると、これも削減抹殺はとんでもない。自動車の税金は軽減しても、煙草の税金を軽減するなどと言うことは天地がひっくり返ってもありはしない。

 ましてや煙草の値下げなどありはしない・・・と思っていたら、わかばシガーという新製品が登場した。わかばは廃版となり、葉巻型として再登場という粋な計らい。旧専売公社を見直した。味と香りは旧わかばとそん色はなく、それ以上に美味しいかもしれない。税金の関係で安いらしいのだが、旧わかばと同一料金で、20本入りが360円。なお、旧わかばは確か450円になっているはずだが・・・ 


2019年10月10日木曜日

前橋四公

 前橋を治めた大名家、酒井雅樂頭家、松平大和守家、秋元越中守家、牧野駿河守家を総称して前橋四公と言うらしい。 (前橋市HP) 

 この四公が何をした人なのかは 知らない。富山県高岡市の城址公園には、前田利家の長男、前田利長の像がある。この町の礎を作った人であることは、公園の規模と今でも市民の四季を通しての憩いの場所として大事にされていることでもわかる。それも四公にはない。甲府の駅前には、武田信玄が戦支度で座っている。それもない。

 利根川の治水を諦めて、城を捨てたのは誰だと言い募る気はないが、この四公に心を寄せる人がどれほどいるのだろうか。無理を通せば道理は引っ込む。

 

2019年9月27日金曜日

曼殊沙華 白花

   園芸用と思っていた曼殊沙華の白花、いつもの散歩道に咲いていた。以前、赤いヒガンバナが咲いていたので記録を撮り、Wikipediaで調べたことはあるのだが、園芸用に作ったものを誰かが植えたのだろうか。

 いずれにしても、この花は赤いものだと思っていた。球根に毒があるためか、小さい時に触ろうとしただけで怒られた記憶がある。Wikipediaには、稀に色素形成異常で、白みがかった個体もあると書かれてはいるが、白みがかったというよりもきれいな白色をしている。

2019年9月17日火曜日

デオコ・薬用ボディクレンズ

 三連休の最終日、家内の買い物に付き合って、近くの薬局とスーパーを目指して出発。薬局ではこのボディソープを含めて3点の買い物だったのだが、いつもの場所にこの製品がないのでもう一つの店舗へ。そこにもないので別な薬局へ行ってみると、そこにもない。他のボディーソープと違い、特売の対象になることもなく、どちらかと言うと値段も高めの設定だったこともあり、売れないから消えたのかと思ってはみたものの、違う店も含めて3店舗から一気に消えたことで、トラブルでもあったのかと思って帰ってから調べてみると・・・

 発売元のロート製薬のHPでも消えている! さらに検索を進めると・・・数か月前、今年の5月あたりに、『まるで女子高生のような匂いをまとえる』とブログに書かれたことで、おじさんたち!に売れている・・・という記事が。この製品は、女性用の加齢臭対策のボディーソープなのに。全くなんということだ!女子高生の匂いがどんなものかは知らないが、他の物のついでに買ってきたことがあって、『このおじさんも、いい年をして・・・』などと思われていたのだろうかと愕然・・・

 さらに今日も調べていると、ロート製薬の製品情報ページから、アマゾンへ・・・確か600~700円だったものが、高いところで1400円! 送料を安くするために3個買って、そうすれば1個934円・・・カートに入れる寸前に気付いた・・・! 私の名前で買うと、おじさんが注文!という変態リストに加えられるのではないかという不安。こりゃいかん・・・と言うことで、明日埼玉県のスーパーに行く予定があるのでそこでチェックして、あれば現金で買うことに。なければしょうがないから諦めてもらう。あとは家内自身が口座を開くしかない。面倒くさいなぁ・・・


2019年9月11日水曜日

ユヴァル・ノア・ハラリ

 今日 (9/8) の朝日新聞。(朝日新聞って嫌いなんだけど) 歴史学者・ハラリ氏の警告という記事が目についた。AI支配  大半が「無用者階級」に・・・という見出し。ハラリ氏は、『技術はいい方にも悪い方にも働く。いま国家や企業が市民を監視するために一方的に使っている技術を、市民が国家を監視するためのものとして開発すべきだ』と言う。


義足と歩む ルワンダに生きる日本人義肢装具士

 ルワンダに住み、義足とともに歩むルダシングワ・真美とガテラ夫妻の戦いを描く本の紹介。著者は松島恵利子。彼らの日々の生活を伝える『ワンラブ通信』も66号を数える。

 私たちがルワンダに行ったのは、15年くらい前だっただろうか。ナイロビから40人乗りくらいの飛行機に乗り、ビクトリア湖を超えると、緑に覆われた丘が続く。千の丘があると言われるほど、美しくなだらかな丘が続き、首都キガリへ。

 50万とも100万ともいわれる虐殺の影が残る街は、それでも復興へのエネルギーを感じさせるものがあったように思う。簡単には行けないところだが、ガテラ夫妻のいうマナーを守ってルワンダを訪ね 、彼らへの支援をお願いしたい。


風速の単位が、時速ではなく秒速なのはなぜですか?

 さすがは国土交通省気象庁のホームページ。この質問の答えは、『気象庁では、1886 (明治19年) に、風速を秒速で表記するよう定めました。現在秒速の表記は、気象分野だけではなく、風工学などの学術研究や耐風設計などの技術的な基準など、一般にも広く定着しています。なお、実際の風の強さをイメージしやすいように風の強さと吹き方という表を作成しています』 

 ちなみに今回の台風による瞬間最大風速、千葉市で約50m/sということは、時速に直すと180km・・・秒速50mと言われるよりも、時速180kmの風と言われた方が分かり易いし、いちいち表なんか見なくても想像はつくのではないだろうか。ついでに、一般に広く定着という時の一般とは何だろうか。

 

テレビ朝日 ニュースステーション

 久しぶりにテレビ朝日のニュースステーションを見た。スタッフが入れ替わり、これも若返りと言うのかなどと思いながら見ていたのだが、『次はこのニュースです』と言いながらCMに移る場面が多く、それも1本だけでなく、その次のニュースまでの間をイライラしながら待つことが出来ず、結局見ることを止めてしまった。年を取ると我慢強くなるはずなのだが、どうにも私の場合はそうではないらしい・・・。

年金改革 忘れられた社会保険庁の責任

 年金財政が破綻する、国民年金が枯渇する。年金の受取金額がどんどん減っていく。旧社会保険庁の中に、『私たちの最大の仕事は、天下り先を作ることだ』と、退職の際の文集に書いた国賊級の職員がいた。もうその文集は処分されたこととは思うが、旧社会保険庁の年金に対する犯罪は、もみ消されていった。今頃は、のうのうと高額年金を受け取りながら老後を送っていることと思われる。年金改革と言うならば、まずはこんなやつらの年金を取り上げ、極貧の中で私腹を肥やしたことを後悔させるべきではないのだろうか。

2019年9月6日金曜日

台湾

 連合国軍最高司令官マッカーサーは、中国・台湾の日本軍に対して、中国戦区最高司令官蒋介石に降伏するように命じた。当時重慶にいた蒋介石は、先発として陳儀を台湾省行政長官兼台湾警備総司令官に任命した。この陳儀、かつて福建省の主席時代、一省を汚職まみれにした札付きのアジア型の政客で、在任2年間台湾を私物化し、搾れるだけのものを懐に入れた。(台湾紀行・台湾)

 蒋介石の後継者蒋経国の最大の功績は、李登輝総統を副総統に指名し、後の李登輝総統を生む基礎を作ったことだと思われる。李登輝総統の時代に戒厳令は解除され、台湾の民主化が進む。

  台湾は、香港の情勢を対岸の火事としてはいられない。明日は我が身だと思う人が多いだろう。民主的な国家など、そう簡単には出来上がらないことは台湾の国民がよく知っている。選挙権も表現の自由も、一度失ってしまうと取り返しはつかない。

  

初代 海王丸 Kaiwo Maru

海王丸


  昭和5年 (1935年) 進水。平成元年 (1989年) 引退。伏木富山港海王丸パークに係留されている。1年に10回ほど総帆展帆と登檣礼が行われる。

海の貴婦人の名前は、未だに健在である。

2019年9月2日月曜日

ルクソール

 エジプトの案内書を読んでいたら、ルクソールの町から西岸の王家の谷へ至る道は、今はナイル川に橋が架かり、団体客もバスでそのまま行けるようになったらしい。初めて行った時は、ホテル前の貸自転車を借りて、観光用のフェリー (民生用もある) に乗って、船着き場の近くにあるチケット売り場で自分が行きたいところのチケットを購入してから向かった。

 ナイル川を背に、メムノンの巨像の前で一休み。突き当りを右折して走ると、道路の左側は遠くにハトシェプスト葬祭殿を見ながら砂漠が続き、右側はナイル川まで緑が続く。葬祭殿を過ぎると大きく左に曲がりながら登りとなり、両側が岩山の道をひたすら走る。突き当りが王家の谷。ここから自転車を抱えて岩山を登りきると、眼下のハトシェプスト葬祭殿に戻ることができる。近道といえば近道だが・・・。

  面倒なことや嫌なニュースばかりの日本での生活、ナイル川から吹き寄せる風にあたりながら走った感覚は、遠い過去のものとなっている。アラブの春を超えたエジプトは、今どうなっているのだろうか。

2019年9月1日日曜日

貝原益軒 養生訓

 こういう本を読みながら笑っているというのは、家人には異様に映るようで、確かに笑いながら読むような本ではないはずなのだが・・・

 この書に従って生活すると、人間はどうなるのか。考えるだけで怖ろしい。

 その巻第二総論下に、『華佗が言に、人の身は労働すべし。労働すれば穀気きえて・・・』と、またまた三国志の曹操に関わる華佗が出てくる。岩波文庫の養生訓には、和俗童子訓も併載されていて、これは江戸時代の教育論として広く庶民の間に読まれたらしい。この養生訓、健康長寿を保つための心構え、食餌法を述べて現代においても示唆に富む書となっている。(表書きから抜粋)

 さて、この養生訓に従って生活をしてみると、面白くもなんともない人間ばかりで、活気というかどうしようもない人間ばかりになってしまいそうな気がする。あの食生活では、相撲取りもアスリートも出来ない。酒を飲んで大騒ぎもなければ、美食のレストランがはやることもない。とにかく大人しくしていることが最善という感じで、若さも何もない年寄りばかりの世界が現出しそうだ。手遅れとは思っても、高齢者になってから、暇つぶしに読むには笑えて楽しいかもしれない。あ、養命酒はいいと思います。 (笑)

 

金持ちと貧乏人

 韓国の文在寅大統領は、両親が北朝鮮からの避難民であり、極貧の幼少期を送っている。 (Wikipedia) 

  かつて、首都圏の市議会議員から県会議員、出身地の市長を歴任した政治家に話を聞いたことがある。その政治家が言うには、『貧乏な人が政治家になるということは、大変なことなんだ。首都圏とはいえども一地方都市、こんな小さな町の市議会議員になったとたんに数々の誘惑が押し寄せる。案件によっては、今までの年収の数倍の金額が目の前にちらつく。手を出せばすぐ届くところで・・・』

 今、評論家としてテレビなどに出演している杉村大蔵などは、衆議院議員に当選した時に、『新幹線の、それもグリーン車にタダで乗れる』と言ってアパートの一室で喜んだほどに、議員とは貧乏人にとって夢のような世界なのだ。前述した政治家は、その地方都市では一番の資産家でもあり、地盤の強固さはもとより、潤沢な資金を保持していたからこそ言えるのだとは思うが・・・

 また三国志に戻る。劉備は故郷の涿県で筵 (むしろ) 織りを生業としていた。中山清靖王劉勝の後裔にあたるとは言っても、貧しい生活をしていたわけだが、劉備を支えていたのは天下を取り、漢王室を立て直したいという志。志を維持するものは血筋かよとも思うが、貧乏なうえに、誇れる血筋もないとなると・・・どうなるのかなぁ。

 文在寅大統領の経歴を読み、行動、表情を見ていると、ソウルに住んでいる韓国人留学生の知人を思い出す。『日本に住んで生活して、その苦しさや悔しさを忘れずに生きてみろ』と最初に会ったころに言ったことは、すでに忘れているだろう。歴史認識について議論をすると、最終的には全てを日本の統治が壊したと激高するところに落ち着く。日本の統治30数年を語る人は多いが、李朝の統治500年を語る人はいない。

 貧乏と金持ち。また話題が逸れてしまった。

 

2019年8月30日金曜日

櫻守

 台湾にある烏山頭ダムと飛騨の御母衣ダムに共通する、ロックフィル工法を調べていると、御母衣ダムを造る時に移植された、『庄川桜』の話しが載っていた。 (Wikipedia) その当時で樹齢400年以上のエドヒガンザクラ (アズマヒガン)。

  さらに、帰雲城 (かえりくもじょう・きうんじょう) という幻の城があったことも。この城は、天正13年 (1586年) の天正地震で帰雲山が崩落し、城主内ケ島一族や家臣、領民も含めて他領にいた数人を残して埋没、全滅。未だに城の場所は特定されていないだけでなく、内ケ島氏の領内に金山があったことから、埋蔵金伝説があるなど、歴史へのロマンも広がる。

 埋蔵金はまた後日、本日はその御母衣ダムにまつわるエドヒガンザクラ移植の話を題材にした、水上勉の小説、『櫻守』。このブログでも書いた埼玉県北本市のエドヒガンは、樹齢200年程度。開花寸前にはつぼみが淡いピンク色に染まり、開化の後は白い可憐な花をつける。

2019年8月14日水曜日

香港の戦い

 香港で若い人たちが戦っている。彼らは天安門のことも知っている。警察は、軍隊は、本来庶民の生活を守るために存在しているはずなのだが、日本にいてもその歴史を見れば、そうでないことを誰でも知っている。

 99年間の時間を経て、香港は中国に返還された。豊かな人々は、その時に合わせて国外に脱出した。香港はすでに共産主義社会の物となっている。一国二制度という幻想は次第に潰れかかっている。普通選挙などない。自由だった場所が、一党独裁の国に返還と言う名のもとに飲み込まれていくのか。

 集会に参加している若者が警察と衝突し、こん棒で力一杯殴られて引きずられていく映像に、何とも言えないやるせなさを感じる。がんばれとも言えないし、これ以上頑張るなとも言えない。自由を守るということは、これほどに凄惨なものかと思う。


 

2019年8月13日火曜日

韓国についてどう思いますか?

 と聞かれると困るのだが、では韓国へ行ったことがあるかと問われれば、ある。初めての時は、ソウルから慶州まで高速バス。翌日仏国寺で、イギリスのサッチャー首相とはちあわせ。僧侶とボディーガードに囲まれて、参道を降りてきた。サインしてもらえば良かったなぁと今になって思う。釜山からセマウル号でソウルに戻って、帰国。その次は、韓国人留学生の自宅を訪問。地下鉄3号線?のスーユー駅から徒歩5分。お母さんがキムチを作ってくれて、味見・・・これが美味しい。あの当時、朝鮮総督府跡はあったのか、良くは覚えていない。観光らしい観光はなく、夜の居酒屋、犬の肉・・・ま、日本でも食べたことあるし・・・。帰りにお父さんが、『またきてください』と日本語で・・・3回目はそのお父さんのお墓参り。次は留学生のトラブル等で、その次は、ドイツまでのトランジットで数日、二か月後帰りに数日。その次は今度こそ観光をということで、釜山から慶州仏国寺、セマウル号で大田、ソウル。アマチュア無線の知り合いのタクシー運転手(模範タクシーではない普通のタクシー)には、青瓦台の近くまで連れて行ってもらったり、日本語を話せない通訳とお互いかたことの英語で色々案内してもらったり・・・という程度。知り合いの留学生が、帰国出国の際に軍に届けをしていることが平和ボケしている自分には異様に映り、時に警報が鳴って、交通が止まるという休戦中の国の緊迫感を味わったこともある。

 今では差別用語となっているのかどうかはわからないが、群盲象を評すという諺がある。ニュースを見て、本を読んで、観光でちょろりと行ける所だけ行って、少しばかり現地の人と話をしたりで、どうこう言えるものではないのだが、日本を敵視した時の発言が舌鋒鋭くなって、その会話の中で使われる単語が言い方が、想定問答集の答えように同じとなると、教育に問題があるのではと思ったことがある。日本の教育がいいとは思わないのだが。

 今韓国についてどう思うかと問われると、色々なことが頭をよぎる。日本のビールは飲まない!なんていうのを聞くと、おいちいよ!って言ってあげたいし、まぁとにかく軟弱なことを言うと、『それは加害者だから言えることだ』とこれも想定問答集のように答えが返ってくる。『侵略者は未来志向と言う言葉を使いたがり、過去を忘れようとする』ものらしい・・・が、この言葉は、実はベトナム政府が、韓国政府(李明博政権のときかな)に対して言った言葉なのだ。別に、一緒じゃねぇかというつもりは、・・・少しはある。

 儒教の体系はほとんど知らないが、こんな話がある。江戸末期、アメリカに行った日本人が一番驚いたことは、電気でもないし、蒸気機関でも、武器を含めた最先端の技術でもない。 いい年をした大人がボール遊びをしたり、台所に立って歓迎の食事の手伝いをしたり (もちろん使用人もいて、それなりのことはしているのだが) することだったという。武士の心得としては、あくまでも若い頃から老成することを最善とすることで、支配階級の人間としての基準は、日本も儒教であったことは間違いない。しかし、そこは日本、学問としては受け入れたが、それ以外に庶民を含めた生活規律としては取り入れなかったように思える。良いか悪いかの問題ではなく。

 冊封について語られることは少ない。新羅、高句麗、百済の時代は唐、豊臣秀吉の加藤清正の侵攻を止めたのは明、朝鮮戦争の休戦に至る時は中国共産党軍。中国の影響を無視しては半島の安定はなかったわけで、かといって、漢民族以外のより民俗的には近いはずのモンゴル、女真族の冊封には親近感を持ちえないという複雑な感情があるのだろうか。

 仏教寺院を破壊したのは、清正であり、朝鮮民族の文化を破壊したのは倭であると言われるが、元(モンゴル)については、あまり騒がないのはなぜだろうか。儒教の下で破壊された仏教寺院も多いはずだが・・・などなど、他国のことを考えるのは、このところの韓国と日本の関係悪化があるからと、暇なせいでもある。韓国はどこへ、もちろん日本もそうなのだが、どこへ向かおうとしているのか。自由ということは言葉では簡単だが、制約のない自由は計り知れない怖ろしさもあり、かといって独裁国家の恐ろしさもある。民主主義も形ばかりと言う民主主義は、偽善国家と言っていい。政権維持のために、選挙を見据えて政策を作り、怒りの矛先を他者に向けて自省を怠ると、大事な基盤を失っていくこともある。 


  

2019年8月12日月曜日

酒と煙草

 酒で失敗した政治家を挙げると、後味の悪さでは故中川昭一農水相が筆頭に挙がるのではないだろうか。酩酊状態の現職大臣が、記者会見で醜態をさらした。それでも正三位旭日大綬章。落選した選挙で、断酒宣言をした(Wikipedia)くらいだから、酒の害は十分認識していたことと思われる。

 深夜に飲みに出て、飲食店の女性に暴行した疑いで逮捕され、処分保留で釈放された埼玉県の幸手市長、これは単なる田舎者。こんな市長を選んだ幸手市民のレベルの低さは計り知れないと言われてもしようがない。公職にあるということは、そういうことではないだろうか。知事公舎に女性を連れ込んだどこかの知事も似たようなものだが・・・。

 かつて自民党に、二階堂というおじさんがいて、高そうな葉巻を吉田茂のようにくゆらせていた。こちらは従二位勲一等旭日等価旭日桐花大綬章。その吉田茂の孫の麻生太郎も葉巻大好き人間。それがどうしたと言われても困るのだが、煙草、葉巻、パイプで失敗したという話はなかなかない。

 明治天皇の時代、皇居に参内した蜂須賀公、来客用に置いてあった煙草を余分に取ってポケットへ・・・明治天皇に見られて、『出自は争えぬな』という意味のことを言われたらしい。(なんの本に書かれていたかは不明)。 豊臣秀吉が若いころに所属していた?野盗の頭、蜂須賀小六が先祖の蜂須賀公、恥を漱ごうとしたらしいが・・・。煙草の失敗と言うとこれくらいしか思い浮かばない。だから・・・なんなのだ・・・。

2019年8月7日水曜日

坊主丸儲け

 先日、niftyのニュース一覧にあった東洋経済の記事『お寺の経営が大変』というのがあった。また、最近は継承者がいないという理由で墓じまいが進んでいるというニュースもあった。時代の変化と言う言葉で締めくくるのは簡単だが、仏教も寺も、本来の姿に戻る時だという考え方もあるようで、では仏教の、寺院の、お墓の本来の姿はと問われると、明確に答えられない。

 肉山(にくさん)という言葉を御存じだろうか。簡単に言うと儲かっている寺を指す。たくさんの檀家を持ち、住職は高級外車に乗り、愛人を囲い・・・それでもお布施などの所得税や、広大な寺域と建物の固定資産税は無税・・・。全ての宗教法人がこの特権を手放すはずはない。お経を読んで戒名を付けて収入を得るわけだが、その収入に所得税がかからないから丸儲けと言われるのだろうが、これは特権中の特権と言える。

 坊主、僧侶と言うのが正式なのだろうか。僧侶が葬式を営むようになったのはいつの頃からか、また一般の人までが墓を持つようになったのもいつの頃からなのか、そして普通の人達までが戒名を持つようになったのもいつの頃からなのだろうか。
 
 特に戒名は許せないものがある。いわゆる院殿大士号、100万からかかると聞いた。ちなみに謀有名寺院の高僧が、『鵞翁若燕居士』という戒名をいたずらに私にくれた。私が死んだときに家族がその旨を僧侶に伝えると、多分がっかりするだろうからと言われている。それほどに、僧侶にとって戒名は儲けの最大の物であることがわかるし、人の死を商売にしていることに腹立たしいものを感じる。寺院の中に塔頭を建てたわけでもないのに〇〇院殿などと付けたり、在家の覚者でもないのに居士などと付けられても有難くもなんともない。戒名を見て、あ~お金持ちなんじゃろなと思う程度である。その人が極楽に行ったかどうかは、調べようがない。

 

京扇子

 滋賀県高島市、安曇川町(あどがわちょう)の農家の庭先に、乾燥される京扇子の扇骨が並ぶ。この辺りが京扇子扇骨の9割近くを生産していると聞いたのは、今から50年ほど前のことになる。

 この旧高島郡安曇川町の名前が消えずに残っていることに嬉しさを感じる。たった半年、この町の中学に在学したことがあるからだが。記紀にも登場する阿曇氏 (安曇氏)の名を冠する町で、旧町内の三尾里には、第26代継体天皇の胞衣(胎盤)塚があり、その北西方向の山には、彦主人王墓伝承地(継体天皇の父)がある。また陽明学中江藤樹の生誕地でもあり、藤樹書院、玉林寺には墓所もある。高島市名産の鮒ずしはちょっと苦手。

  さて本題。携帯扇風機はやめようよ。やっぱりここは京扇子で。男が持つとちょっとキザだが、情緒と言うことを考えると、やはり京扇子。

  

2019年8月6日火曜日

蛍草 葉室麟

 葉室麟の小説がまたTVドラマとなって放送されている。双葉文庫の字は大きい。少し荒っぽいのだが、半日で読み切る。

 テレビ化しやすいのだろうか、『銀漢の賦』以来この作者のファンになってしまった。映像と文字の世界が融合する、配役に無理がないせいもあると思う。


2019年8月4日日曜日

歴史というもの 

 相変わらず北方謙三の『三国志』を読んでいる。
   中国の歴史書三国志は、西晋(265~316)の陳寿により、呉の滅亡280年~297年までの間に書かれ、その中の魏書30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条を、魏志倭人伝という。この三国志の作者『陳寿』は、蜀漢と西晋に仕えた官僚(年譜はWikipediaから)。

 魏の曹操(155~220)を多少悪く書くのは、蜀漢の劉備や関羽、張飛、趙雲に対する思いだろうか。曹操の次男曹丕の長男曹叡(魏の第二代皇帝204 or 206年~239年)から、邪馬台国の女王卑弥呼(生年不明 推定死亡年242~248)は親魏倭王の封号を受ける。

 広開土王(好太王374年~413年)碑は、中華人民共和国吉林省にある、高句麗第19代広開土王の業績をたたえた石碑。このうち倭に関する記述は、391年(辛卯)、399年、400年、404年。

 後漢書巻85東夷伝、建武中元二年(57年)倭奴国が朝貢、光武帝が金印(漢倭奴国王) を与えている。また西暦107年、後漢に朝貢した倭国王帥升の記述がある。

 沈約(441年~513年)の宋書列伝第五十七夷蛮伝に 倭の五王から朝貢があった事が記されている。

 日本の『大化の改新』 は西暦645年。後漢書東夷伝の建武中元二年から600年近い年月が経過しているが、国外の記録に残るもので、倭と朝鮮半島の出来事は好太王碑くらいしかないのだろうか。

 百済、新羅、高句麗、この時代に今の韓国と日本の確執の元があるのでは、といつも思う。枚方市の百済寺、百済王神社、三井寺の守護神新羅明神、(新羅三郎というのは甲斐武田氏の祖で、南部氏が青森に定住し、ここに長者山新羅神社を建立)、埼玉県の日高地方には高麗神社。潰しあう三韓の人達が日本に居住している記録は、日本書紀などにはある。

 天智天皇の時代、白村江で日本は大敗する。大化の改新に連なる人々の中で、なぜ蘇我入鹿は悪人にされてしまったのだろうか。

 正史と言われるものは、本当に正しい歴史なのか。日本書紀や古事記は嘘のかたまりである、なんて言うと大変なことになるし、ましてや明治、大正、昭和、平成の歴史など、真実を追求すると、触れてはいけない部分が多すぎる。ましてや学校で教える歴史などを鵜呑みにすると、みんながみんな韓国人のようになってしまう。 韓国の人々が答えられない歴史の問題、いつから韓国の人達は中国人のような名前を名乗るようになったのか?

 そんな前のことは知らない、と言うのが一般的な答え。中国漢民族だけではなく、モンゴル、ツングースなどの圧迫を受け続けた韓国の歴史は、正視することが耐えられないのではと思うことがある。
  

 

2019年8月3日土曜日

消費税の軽減税率についての提案

 何度聞いてもわからないというか、バカらしくて耳に入らないのか、バカにはテイクアウトが何パーセントで、そこで食べると何パーセントなのかがわからない。コンビニの外で煙草を吸うと10%で、持ち帰って家で吸うと8%ならすぐわかるのだが・・・。

 高祖劉邦のように法三章とは言わないが、法律は簡便さを追求しなくては民の支持は得られない。消費税の問題は、税の逆進性にある。食品などは低所得者に配慮して、なんて面倒なこと言わないで、はっきり貧乏人は貧乏人とわかるようにして、消費税を払わなくていいようにすればいいじゃないかと思う。

 九品(くほん)という、物質や人の性質を3×3で分類する方法があって、上品・下品(
じょうひん・げひん)の語源となった分類がある。(詳しくはWikipedia)上から3つは、上上品、上中品、上下品、中上品、中中品、中下品・・・と続く。

 九品に分けるのは面倒だから、一番貧乏な人を上貧、中くらいを中貧、そうでもないけど貧乏な人を下貧と分けて、どれにも当てはまらないお金持ちを、貧(ひん)の無い人というのはどうだろうか。ICカードでも印籠でも発行して、レジで提示すれば消費税免除。これくらいがわかりやすくていい。

生コン圧送作業

 仕事もせずにプラプラしていると、外聞も良くない。かといって仕事もないのでプラプラしていると、ちょっと仕事してくれないかという話も時にはくる。

 いきなり3.5トンの圧送車を運転してくれないかという依頼。圧送車がわからない。聞いてみると、生のコンクリートをミキサー車で建築現場まで運ぶのだが、そこからがその圧送車の出番。小規模な建築物の基礎くらいなら、以前のように一輪車で何度も往復してコンクリートを施設するのだが、この圧送車があれば、あっという間にクレーンの先からコンクリートが排出され・・・要はポンプ車かい?・・・ああそうだということで話がまとまり、お仕事へ。

 暑い・・・気温は37度とは言うが、40度以上あること間違いない。請け負った仕事は運転だけだから、圧送作業中は日陰でプラプラしていればいいのだが、やはり作業の様子が気になり・・・。 やはりここも外国人が多い。型枠に流し込んだ生コンクリートを均す作業は大半が外国人の受け持ちで、この暑さの中での作業は特に厳しい。

 そんな中、宇宙人のような作業服に身を包んだ作業員。仕上げのコテを何本か持って、表面を平に仕上げていく。次の日には、ベトナム人作業員がそんな服をきて作業に当たる。このベトナム人は多少リッチなのかとは思うが、翌日の作業員は普通の服を着ていて作業も辛そうだった。

 バッテリーで小型の扇風機を回し、宇宙服のように見える作業服。ヘルメットの上からフードも被り直射日光に耐える。普通の服でじっと作業を見守る監督さんが、一番辛そうだった。こんなものがあることにも驚くが、この暑さの中で作業をすること自体が異常と言えば異常なのだが、仕事だもんね・・・。


2019年7月27日土曜日

重鎮・大御所

 吉本興業のゴタゴタ。いろんなのが出てきて笑ってしまう。お笑い界の大御所が・・・っていうものだから、誰が出てくるのだろうかと思えば、志村けん。まぁ大御所という言葉の使い方も冗談もあるし、しょうがないとは思うのだが、有象無象と重鎮、大御所なんてのが出てくる。徳川家康が隠居したのにあれこれ口出ししたのが悪い例として残っているのかな・・・とは思うけど。もう少しまともな発言をすればいいものを、重鎮大御所という言葉だけが先走る。

 それはともかく、芸人と簡単に言ってはいるが、芸の世界の厳しさは凡人には伺い知れない深さがある。楽器にしても歌舞伎にしてもスポーツにしても、いわゆる名人という人たちは、3歳5歳という時期に始めていることが多い。下記に掲載した『風姿花伝』は、その芸の道の真髄とその厳しさを知る手がかりともなる。


2019年7月24日水曜日

加賀百万石の城下町

 短い時間ではあったが、金沢に滞在した。前回は8年程前だったろうか。北陸新幹線が開通してホテルが増え、平日にもかかわらず町は活気があるように見える。大通りにいると頻繁にバスが発着してゆき、夏休み前というのに観光客も多い。白人のバックパッカーもいて、近江町市場のあたりに外国語が飛び交うなどとは、30年前では考えられなかったように思われる。

 金沢から北鉄で内灘駅まで、金沢駅前から浅野川沿いに北上して同じ道を内灘へ向かう。日本でも有数の豊かな町で、かつて五木寛之の内灘夫人でも有名になった町である。40年以上前には海岸に米軍のトーチカが残っていて、米軍射爆場という物騒な海岸であったのが、商店街や住宅のある海岸線に変わっている。この町に用事があってきたため、街中の観光地には今回も縁がない。

  金沢を単純に前橋と比べることは出来ないが、同じ県庁所在地として見た時には、前橋はあまりにみすぼらしい。高崎と比べても同じようなもので、その歴史の古さと熟成された文化と、新しいものの流入のスピードも金沢の方が断然早い。300年に渡って積み上げられた100万石の豊かさは、これからの100年、200年で前橋が追いつけるものかと考えた時、無理だろうなと思う。

   

2019年7月21日日曜日

サンマが野菜が高くなる。

 今度は『サンマ』。イワシ、サバ(魚へんにブルーと書くらしい)に続いて、ついにサンマも高級魚の仲間入り。めでたいことです。イカなんかは、とっくに高い物になっていて、庶民の味方ではなくなっている。考えてみると、青森県八戸市に住んでいたころは、バスの子供の初乗り料金とイカ1匹の値段が変わらないほどで、箱ごと買って、刺身にしたり、塩辛を作ったり、さらに残ったものは干していたのを覚えている。

 今年の夏は梅雨が長引き、日照時間が平年の2割前後、照らなくても照っても上がるのは夏野菜。雨が降りすぎても上がるし、降らなくても上がる。夏までの間、順調に生育した春野菜や初夏の野菜は安かったので、そろそろかなぁと思っていたら、やっぱり値段は上がり始めた。きゅうりは2~3割増し、茄子も高い。連れ高というのか、ハウス栽培の野菜も上がっている。上がらないのはモヤシくらいか。

 今から何年前になるのだろうか、米が不作で、タイから輸入したりして国産米の入手が難しくなったことがあって、その時に気付いたことがある。別に米を食べずに死んだ人はいない。サンマを食べて死んだ人がいるかどうかは知らないが、サンマを食べないことが原因で死んだ者はいない。ウナギもそうだ・・・野菜不足で栄養が一時的に偏ることはあっても、そのうち季節が廻れば野菜の値段も下がることはある。高いと思ったら買わなければいい。そんな人が増えれば、品物はだぶついて値段は下がる。


2019年7月20日土曜日

クラインガルテン(Kleingarten) 別荘に替えて

 日本語に訳すと『小さな庭』だが、『滞在型市民農園』とも言われている(Wikipedia)。日本のクラインガルテンを検索すると、二階建てのしっかりとしたコテージ様の建物があって、その周りには家庭菜園がある、意外と立派なものが紹介されていて、推測ではあるが、普段の農園管理はここの管理者が行っているのではとも思う。

 ドイツの都市をまわっていると、近代的なビル群や中世の街並みを遠くに眺めながら、50~60坪見当の庭に小さなコテージ(小屋と言ってもいいくらいの)があって、その庭で数人がテーブルを囲んで昼からビールを飲んでいる。もちろん休日ではあるのだが。通常は都市に住みながら、その近郊にクラインガルテンを持って休日を過ごす。行きかえりに時間をかけず、日本のものよりも快適さでは及ばないのかも知れないが、住宅の延長上と考えることも出来るほど簡便なものに思える。

 別荘と言えば軽井沢と思う人が多いだろうが、一般的な人(この定義も問題ではあるのだが)が軽井沢に別荘を持つというのは絶対的に無理がある。年間を通して別荘を維持管理することと、到着から掃除、滞在中の必要なものの買い出し、調理、などを考えると、普段の生活かそれ以上に手間が必要で、それも快適に家事をしなくてもとなると、年間で数百万円以上の出費が問題ない人以外は手を出さない方が無難だ。ましてや軽井沢となると、東京から100km以上。行きかえりと軽井沢街中の季節の渋滞は、ストレス以外なにものでもない。余談ではあるが、軽井沢という所は非常に住みにくい。年間を通しての気温は岩手県の盛岡ほど。5月下旬からは湿度が高く、除湿器をかけ通さなければカビの発生がすごい。木が多すぎるからと言っても、勝手に陽ざし優先で伐採は許されない。明治以降、日本の夏の湿度に辟易したカナダ人が、避暑地として選んだ場所である。故郷のトロントと気候が似ているので、屋根のない病院と言った(Wikipedia)らしいが、私などあの陽ざしの少ない木々に埋もれた場所で生活を続けると、うつ病になりそうな気がする。

 さてと、今年の夏はどうやって過ごそうか・・・これだけ空き家が多くなっているのだから、首都圏といえども、クラインガルテンにできるような田舎はまだまだ残っている。手に余るものを持っている方もいるだろうに、バブル期の値段が忘れられず、背負いこんでいる人もいるのではと思う。なんとかならんかなぁ・・・。

  

 

 

2019年7月19日金曜日

ケント・ギルバートの本

 ケント・ギルバート、末日聖徒イエス・キリスト教会(通称:モルモン教)の宣教師か弁護士と思っていたら、いつの間にかこんな本を書く人になっていた。男子三日会わざれば、刮目して相まみえるべし(・・・刮目して以下は、見るべし、相待すべしいろいろある)。またしても三国志、これは呉王孫権の家臣、呂蒙、魯粛の逸話から出た言葉である。

 こんな言葉を知っていると、昔からの知人に久しぶりに会って、『お前も変わらんなぁ』とか言われるとがっかりするものだが、まぁそれはいい。ケント・ギルバート氏は見事に変わっていた。WGIP:ウオー・ギルト・インフィメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画)を指摘すると、アメリカに帰れなくなるという忠告に、彼は『かまわない』と答えた(Wikipedia) ということに彼の覚悟を感じる。まさに刮目してである。

 この中に、韓国の国技でオリンピックの正式種目となったテコンドーについての記述がある。『テコンドーは日本の松濤館空手から派生した・・・』発祥は1955年、チェ・ホンヒ(崔泓煕)という留学生が日本に留学中に学んだ空手に改良を加えた・・・。これがいつの間にか、空手は韓国が発祥の地で、そのおおもとの伝統あるテコンドーということでIOCに種目としての採用を申請したら、IOCの委員もすっかり信用して採用したらしい。

 まぁそれも、日本統治時代に全ての文化を破壊されてということにされるのだろうか。最近李舜臣も担ぎ出されて、国を守る軍神として・・・儒教に軍人を神様とする考え方があるのかどうかは知らないが、この李舜臣を戦の神様として礼拝したのは、日露海戦に向かう日本海軍であって、李舜臣は李朝では目立ちすぎて冷遇されていたはずである。その歴史認識に真実はどこにあるのか。まぁ何を言っても無理は無理。最近の経済産業省とのやり取りも、韓国側は嘘をつき通そうとしている。10年嘘をつき続ければ、嘘も嘘ではなくなるらしいが・・・

 

2019年7月13日土曜日

小村寿太郎のこと

 続いて司馬遼太郎の『アメリカ素描』から。小村寿太郎(1855~1911)という名前を知っている人は、今の時代にどれほどいるのだろうか。

 『日本慈善基金』は、今現在存在しているのだろうか。小村寿太郎の誠実さは、1980年まではニューハンプシャー州で日本慈善基金として生き続けていた。当初は『露日基金』という基金であったが、1917年のロシア革命後、ロシアからの利息(ロシア国債)が来なくなったため、またソ連に対して1961年、国債の復活を依頼したが返事がなかったため、1963年州議会で『日本慈善基金』と改称されたという。

 日本は、太平洋戦争中とその後の9年間、利息の支払いを停止していたが、1951年(昭和26年)から利息の支払いを再開し、支払いを停止した9年間を補填するため、9年間は倍額の支払いを続けた。

 生前小村寿太郎は、外交は誠実以外にないと口にしていたが、その誠実さは今も日本基金という名で生きているのか、確かめるすべはポーツマスの公立図書館に行くしかない。

2019年7月12日金曜日

南牧村 かあちゃん本舗

道の駅 なんもくから
群馬県の南牧村、かあちゃん本舗の『みそ紫蘇巻』を目当てに出掛けてみたが、日照不足のせいで紫蘇が育たない、ということで、帰り道の道の駅しもにたで購入。

 小さいころ、母親が作ってくれたものは、味噌に胡麻やみりん、砂糖などを加えて練ったものを紫蘇で巻き、フライパンで焼いたように記憶しているが、味噌の辛味が強くて、食べにくかったのを覚えている。

 数年前に、南牧村出身の人から頂いた『かあちゃん本舗』の紫蘇巻は、その母親が作ったものと同じような味がして懐かしかった。その南牧村出身の人の本が、下記の『木を変える』。この人が加工した大量の竹は、愛知万博で日本館の繭のような外観を作り上げることになる。南牧の道の駅は、まだ南牧村の取っ付きで、まだまだ山は深い。 

2019年7月11日木曜日

人手不足と言うけれど・・・

 同じ町のコンビニの店員。スリランカ、ベトナム、モンゴル、バングラディシュ、インドネシア、ネパールと国籍も色々。経営者は知っているのか、彼らの間では働く場所の状況はネットを通じて共有されている。コンビニならどこで働いても同じではないのだ・・・ということを彼らは知っている。

 高齢者の雇用も同じで意外なネットワークがある。悪い噂はあっという間に広まり、そんな所は人手不足とうそぶくことになるのだが、その時にはもう何をしても人は集まらない。そんな会社が辿る道は労務倒産でも何でもない、経営者、もしくは現場の責任者が労働者からNO!と言われたに過ぎない。

 よく仕事は選べるが上司は選べないというが、アルバイト、フリーターは上司を選べる自由がある。とは言っても、なかなかうまくはいかない。運不運は人生にはつきものではあるが、不運を嘆いても運は向いてこない。

ビール・発泡酒・第三のビール

 久しぶりにビールを飲んでみる。うまい!とは思うのだが、発泡酒と第三のビールとどこがどう違うのかと言われるとちょっと困る。ちなみに4~5種類のビールから第三のビールまで並べてどうだと言われると、判断の付かない時もある。微妙に後味が違うのか、コクとかよくわからなくなる。こんな奴は、安いのを飲んでいればいいのだとも思うが、どうにも腹立たしい。

 ちょいと家内に聞いてみると、厚みが違うらしい。私よりは酒にも強いし、調理師でもあるし、味に関してもうるさい所がある人だから、やはり違うのだろうと思う。厚みってのがよくわからないが・・・

 以前にも書いたことがあるのだが、司馬遼太郎は『アメリカ素描』の中で、小村寿太郎(1855~1911)の書生桝本卯平につて触れている。桝本卯平は駐米公使としてアメリカにいた小村寿太郎の紹介書を持って、フィラデルフィアの造船所で職工として働くことになる。職工の給与は安い。食事付きで週5ドルの下宿に住んだ桝本の給与は、下宿料を払ってしまうと週2ドル70セントしか残らない。しかし、わずか5セントを持って行くだけで、小売りの酒屋でビールがたっぷり飲める。それだけではなく、酒屋には大皿にたっぷりとビーフ、ハム、サンドイッチ、チーズといった、当時日本では第一級の御馳走が盛り上げてあり、いくら食べても無料であった。日本の明治30年代では、酒屋に紅ショウガや味噌が置かれていたころである。桝本は、この『タダ』ということを、『自由』と理解した。以下桝本は『その自由があるので、米国では労働者に不平が少ない』と述べる。

 そこまでとは言わないが、ビールくらいせこいことしないでいっぱい飲ませろよと思うし、ビールの税金を上げて搾り取る役人は『自由』の敵だと思う。  


 

三国志 (北方謙三著 巻5から)

余分な説明は省いて、成玄固と曹操の会話。
(中略) 自分(曹操)がどこかの戦場で果てたとして、心の中では生き続けている、と言ってくれる人間が何人いるのか。
「おまえは、自分の生を振り返ることがあるか、成玄固?」
「はい。そして、悔いてはおりません」
「そうか。ならばよい。わたしは、軍を退こう (中略)」
「ありがとうございます、曹操様」
「礼を言わねばならぬのは、私かも知れぬ。なにか、学んだという気がする。それがなにか、いずれ考えてみようかと思うが」
「御健勝で、曹操様」  隻腕の成玄固の潔さ・・・三国志は男気溢れる世界でもある。

2019年7月8日月曜日

あさドラ!

 浦沢直樹の久々の連載、ビッグコミックスピリッツの『あさドラ!』。すでに単行本が1冊出ているので、進行は早い。浦沢直樹の作品は、『パイナップルアーミー』に始まって、ほぼ全てを読んでいる。面白いし、描かれている女性がきれいandかわいい。

 ということで、もう一冊の作者は違うが『コウノトリ』という、やはり連載物で、これはモーニングに連載中。この漫画を読もうと思わない理由は、登場人物の表情が貧相であること。まぁ好き嫌いはあるのだろうが・・・


ライオンキング

 新聞の全面広告、『超実写版 8.9 劇場公開』。この作品はディズニーのものだが、手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作ではなかったのか・・・と調べてみると、問題が発生した後に手塚プロダクションが、『手塚治虫が生きていたら、自分の作品がディズニーに影響を与えたというならば光栄だと語っただろう』というコメントを出して鎮静化したらしい。(Wikipedia) まぁ大らかと言えば大らか・・・

2019年7月5日金曜日

笑府

 このところ、北方謙三の三国志を読んでいる。文庫本で全十二巻のうち、まだ五巻目だから先は長い。巻頭の地図の字が細かいので、拡大コピーが必要だと思いながらズルズル五巻目を過ぎ、それも何度か読み返すうちに、やっと中国の地名がすんなりとわかるようになってきた。今は呂布、孫堅、孫策、袁紹が消え、劉備玄徳と諸葛孔明が出会う直前。

 曹操、関羽、張飛などWikipediaで検索をかけながら読む毎日。北方謙三による名場面がちりばめられている。多少(いっぱいかも知れない) 日本人好みの脚色はあるとは思っても、それはそれ、中国の地理的なスケールの大きさに包み込まれてしまうように感じて読むことの妨げにはならない。

 中国という国は堅苦しさがあって、書物といっても漢字が並んでいるのをみると辟易としてしまうものだが、張飛を検索している際に下記のような本の存在を見つけた。『笑府』意外にも、この中には日本の落語の原題になった話が多いようで、 Wikipediaの張飛の項目に書かれている『落語 野ざらし』と同種の話しでも十分に笑えるものがある。岩波文庫では絶版になっているのか、中古しか手に入らないようで・・・


2019年7月3日水曜日

慈雨

 新聞の広告欄、『慟哭の人間ドラマ 時間と空間を超えたドラマは、驚きと感動の結末へ』 という見出しに、騙されてしまった。

  いわゆる刑事物は理想論のかたまりではあるのだが、やはり『驚き』『感動』とくると触手が伸びる。警察の本来の姿が理想だとしたら、ほんとの警察はどんなもんじゃろかと、やはり刑事物は、新宿鮫だなぁ・・・というのが読後の感想でした。


嵐山渓谷と本多静六

武蔵 嵐山渓谷
この京都の嵐山に似た景色を嵐山町と名付けるのは、本多清六という林学博士。造園家であり、株式投資家(Wikipedia)。その生涯は凄まじく、有名な日本の庭園のほぼ全てに関わっていると言っても過言ではない。

 嵐山町のHPを見ると、『嵐山渓谷は、岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織りなすみごとな景観と豊かな自然環境・・・』とあるが、左の写真の後ろは、河原一面バーベキュー場。近くのラベンダー畑の花の香りが最盛期を迎える時も、この河原一帯は豊かな自然も木々の景観も季節も関係なく、バーベキューの煙と肉を焼く香りに包まれる。

 本多静六博士の記念館は出身地の埼玉県久喜市菖蒲町にあり、生誕地には記念園、本多静六博士の森も整備されている。嵐山町にとって恩人とも言うべき本多静六博士。高齢者の雇用を推進しているラベンダー畑やバーベキュー場の是非を問う気はないが、博士が見てどう思うか。

2019年6月30日日曜日

ラベンダー園 武蔵嵐山

約5万株のラベンダーが咲き誇る『千年の苑 ラベンダー園』。場所は、埼玉県比企郡嵐山町。

 京の嵐山に似ているということでつけられたこの町の名前、あらしやま ではなくて、らんざんと読む。

 254号線から嵐山渓谷入口を苑に向かうと、途中から空気もラベンダーの香りを含んでいる。

2019年6月23日日曜日

中華人民共和国国家主席訪日でお願い

 かつて、江沢民国家主席が来日した際、宮中晩餐会でも非礼というそしりを受けながら、自己の主張を通したことはそれなりに尊重し得るものがあったと思う。政治の場では日本におもねることもなく、国家主席としての役割を十二分に果たした国家主席というイメージがあって、それが日本人の嫌中意識に拍車をかけたとしても、やむを得ないものと解釈している。

 しかし、この国家主席が滞在したあるホテルの従業員が一言、このおばちゃんは掃除婦であったのだが、『あんな嫌な奴はいないよ』これは看過出来ない。『えらそうにしてさぁ、ふんぞりかえっててなぁ』と続く。

 日本がいくら自由で平等の国だと言っても、身分の高い人は、車で二人をひき殺しても逮捕されないような、平等ってのが嘘くさい国。さすがに戦車でひき殺したってのはないけど・・・。そんな日本の身分の低い者に、えらそうにしたってしょうがないから、こんなおばちゃんに、『あれあれ、あの主席って人は腰の低い人で、おらみてえなもんにも頭下げてていねいにおひねりまでくれて、ありゃいい人だっぺよ』とか言わせるような態度で臨んで欲しい・・・のだが。

2019年6月16日日曜日

たかが通販屋の分際で

 上得意様というDMが届く。んなわけねぇだろ、一回しか買ったことないし。とかなんとか思いながら、お得ではないかと心が少し動く。プレミアム会員なんていうと、やはりそのお得さかげんを普段の買い物と比べてみることもある。

 それはいいのだが、点数評価などと言われると心の琴線に触れるものがある。琴線などという繊細なものは本来持ち合わせてはいないはずだが、それを黙って受け入れるほどの寛容さはもっと持ってはいない。

 たかが通販屋に、SNSの交友関係まで掴まれて、人間性を評価されるような無礼は許せないし、高得点を喜ぶ人間は軽蔑する。勿論僻みの感情も持ち合わせている。

 そのうち、スマホを持っていない人間は、最下級の集団にランクされ、位置情報を現さない人間は、犯罪予備軍としてマークされることになるのではないかという不安。何も生産しないGAFAと言われる会社の連中の思いのままに人間がランクされつつある今、抵抗するためには限りない不便さと孤独を味わうことになるのかとは思うが・・・

日本ミツバチ

 1999年初版発行の本書、その当時、日本ミツバチの存在さえ知らなかったため、知人と日本ミツバチの分蜂群を収容した後にこの本を購入したことを覚えている。知人はその群れを自分で飼育することはなく、日本ミツバチを飼育している人に連絡して譲るとい言っていたが、当時はその貴重さも生態も知らぬまま、ちょっと小ぶりのミツバチだと思った程度だった。

 後日、別な場所で(公民館であったと思う)営巣していた日本ミツバチを収容し、絞った蜜を頂いた。(今も私の家の棚にある) 濃厚な混合蜜。

 またこの本を読んで、日本ミツバチの生態を少し学んでみたいと思うし、当然のように、スズメバチの生態にも興味がそそられるだろう。

 などと書いているうちに、季節はスズメバチの営巣時期に来たようで、先日我が家の軒先に営巣を始めたコガタスズメバチの巣を、やむを得ず除去することになった。比較的おとなしいスズメバチで、その巣は初期は徳利をさかさまにしたような形態で、さほど大きくはならない。しかし、人の通り道とあっては・・・


2019年6月12日水曜日

免許返納 杉良太郎の決断

 数日前に朝日新聞が伝えた、俳優杉良太郎の運転免許返納。朝日新聞は何を語りたかったのだろうか。

 第一の疑問は、杉にとって、どれほど運転免許は必要なものだったのかということ。ゴルフ場にヘリコプターで行ける身に、必要なものなのか。偽善者というのはこういう輩を言うものかとも思う。見本手本にならぬ者を、どうして朝日は記事にする。

老後の2000万円

金融庁の報告書は、本当のことを書いて、時の政権に忖度がなかったことが大きな失敗だったのだろう。責任者の遠島申し付けは間違いない。厚生労働省の報告書のように、嘘をついてはいけないが、本当の事を言うのはもっといけないという事例ではある。

織姫 (おりひめ)

織姫
群馬県の小梅の主要品種。極早生で小梅の中では大玉系の品種。耐病性が極めて強く、自家受粉する。(Wikipedia)

 南高梅がまだ早いので、1kgだけ購入。小梅は手間がかかるので、試しに少量の漬け込みに挑戦してみる。

 すぐに漬け込んでもとは言われたのだが、もう少し熟すのを待ってから。塩分濃度は13~15%で、梅酢が上がってから紫蘇を加えて漬け込み。

2019年5月29日水曜日

ジャズを聴きながら

 知人の家に集まったアマチュア演奏家の演奏を聴く機会に恵まれた。ピアノ、アルトサックス、テナーサックス、ウッドベース、ギター・・・自分は、人と和することを学ばなかったとふと思う。

2019年5月26日日曜日

またもや松下政経塾

 丸山穂高議員、松下政経塾出身。1期生の野田は、命がけでマニフェストをと言いながら、選挙前に掲げたマニフェストを実行することもなく、消費税だけを上げて逃げ出した嘘つき総理大臣。その他の民主党議員も似たようなもので、松下政経塾出身者は戦時中の大本営参謀本部に似たものがある。最後は責任を取らず逃げる。

 元々、経営の神様と言われる松下幸之助には有名な名言があって、『うちにはソニーちゅういいけんきゅうしょがおましてなぁ』ということで、松下電器は、まねした電器と呼ばれたことがある。ソニーが必死で開発して販売したものを分解、研究して、ちょっと違うものを作って、大量に安く売りだす。開発費用はかからず、最も安易な販売方法ではないか。で、経営の神様。

 そんな神様が作った塾で、どんな人間が育つのか。と、考えれば、自ずと結論は出てくる。まずはじっくりと、酒の飲み方から始まって、嘘をつかないとか、基本的なことから教えて身体にしみこませるような授業をしてもらえないものか・・・と言ってもなぁ。

終身雇用について

 先ずは終身雇用の定義について。間違えやすいのは、終身というのは、定年まで雇用するということで、棺桶の蓋が閉まるまで働いて給料が貰えるという訳ではない。終身雇用を見直すとトヨタの社長が言ったことを簡単に言えば、いつでも企業の都合によって労働者を解雇できる体制を作るということ。

 こんな時代、そりゃ当たり前だろと思う一方で、日本の経済と、繁栄と安心を支えてきたのが終身雇用ではなかったのかとも思える。終身雇用と思えば、じっと我慢してきたことも無駄ではなかったと思う年老いた労働者もいることだろうと思え、これからは、そろそろ怒りとか日頃の思いを吐露する時代を迎えてもいいのかと思う。

 しかしながらあのトヨタの社長、嫌な奴だなぁ・・・能力はどの程度かは知らないが、あれだけ恵まれた 環境で育ちながら、穏やかな印象もなく、いつも不服そうな顔をしている。外見で人を判断してはいけないとは言うが、50を過ぎたらその人格は顔に現れるものだ。家族親戚で疎外されていたのか・・・なんとなく、カッコイイと人に言われたいという願望が叶わないまま不満を胸に生きているような気もするが・・・ラリーに出たりして・・・

 今回の終身雇用についての発言が、最大のミステイクとなってくれることを、心から願う。

2019年5月15日水曜日

俺にはできねぇ

 池袋元高級官僚暴走事故、車の操作ミスで妻と娘をひき殺されたご主人の会見を見て、なぜあれほどに冷静に、また優等生的な発言ができるのかと思ってしまった。

 今回の場合、妻だけでなく、子供までひき殺されてしまったことを思い合わせると、とても尋常な精神状態ではいられないし、相手が誰であれ、逮捕されることもなく、病院で手厚い手当を受けていることをどうして許せるのだろうかと思う。一言の恨みがましい発言もなく淡々と述べる言葉には、あまりにもストイックなものを感じた。

   紀元前1792年から1750年まで、バビロニアを統治したハンムラビ王によって発布されたハンムラビ法典は、『目には目を、歯には歯を』で知られるが、今回の出来事から検索を進めると、やはりというか、当然の如く、人種差別や宗教差別は見当たらないものの、身分階級によって刑罰には差があるらしい(Wikipedia)。

 今日(5月7日)滋賀県大津市で起きた幼稚園児2名死亡、重症1名、ケガ8名の事故は、事故に関わった2名の運転者がすぐに容疑者として報道されていた。さっさと容疑者としておいて、後日1名は釈放されていたが、それを考えると池袋の事故の元高級官僚の扱いはさすがに慎重を極めている。

 さらに注目すべきは裁判となる。もしも年齢まで考慮され、軽い量刑となってしまった時には・・・

2019年4月24日水曜日

群馬県前橋市 大胡城跡

大胡城跡 二の丸広場から右手に本丸跡
休日の午後、小雨の中を大胡城へ。元和2年(1616年)廃城となった。

 俵藤太の異名を持つ鎮守府将軍藤原秀郷の子孫、大胡氏の居城。池波正太郎の小説の影響もあって、上泉氏と箕輪城の城主、猛将長野業正との関係を調べていたのだが、Wikipediaにも記載はない。

 元の大胡城は、ここより西に数百メートルの養林寺あたりと推測され、現在の城跡は、江戸時代の牧野氏の縄張りと言われている。

2019年4月23日火曜日

白河ラーメン 賀乃屋 埼玉県上尾市

 二回目の訪店。今回は二人で、私はチャーシュー麺、もう一人はワンタン麺。どちらもぬるい。ぬるいラーメンはその時点で失格。三度目はない。

韓国を考える

 紹介する二冊の本は、1970年前後に連載されたもので、すでに50年近い年月が経過しているが、 韓国を考える時、この2冊を入門書とすることが一番いいのではないかと思われる。

  その著者の韓国に対する態度は、冷静で激することもなく、朝鮮半島出身の友人に対する暖かいまなざしと理解は、私のような凡人(凡人以下ではあろうが)には及びもつかない。ここは今起きている両国の問題に冷静にとは思っても、執拗で理不尽な要求には辟易とするものがあることは否定できない。

 そんなことを考えながら読んでいたら、以前からの疑問が一つ氷解した。いつの頃か朴正熙大統領は、ボクセイキ大統領からパクチョンヒ大統領になり、金大中大統領は、キンダイチュウ大統領からキムデジュン大統領と呼ばれるようになった。今まで疑問にも思わず読んでいた大統領の名前、日本式に漢字の読んでしまうと失礼に当たるのかと思いきや、漢字の故郷中国の毛沢東主席はモウタクトウ主席であり、鄧小平主席はトウショウヘイ主席のままであり、今までにクレームがあったとは思えない。

 なんのことはない、九州に住む、牧師の崔(サイではなく、チェと読む)さんが、『日本で放送される韓国人の姓名は韓国音でよむべきだ』と、訴訟にまで持ち込んだらしい。(耽羅紀行以下同じ) そして、キンダイチュウ大統領は、キムデジュン大統領となった。

 さて、韓国の人々は知っているのだろうか。なぜ中国の人々は毛沢東主席をモウタクトウ主席と読んでも何も言わないのかを。以下続く。

 

2019年4月2日火曜日

プレジデント 英語 そしてワイン

 表題に魅かれて買ってしまったのだが、意外にも日頃の疑問が氷解する。『なんで日本のワインはこんなに高いんだ』

 大前研一の日本のカラクリー218から。『欧州高級ワイン ぼったくり システム』を是非ご一読願いたい。『今日は5万円のワインノン飲んじゃって』などと言っている諸氏は、ぼったくられていることを理解して、怒りの声を挙げてほしい。

 大前氏の好きなワインは、サンジョヴェーゼという品種のブドウ100%で作られたブルネッロ・ディ・モンタルチーノ。値段だけの成金趣味的な会話はやめて、そろそろ品種やワイナリーにこだわった話を聞きたいと思う。


2019年3月29日金曜日

坂本龍馬

 坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝と言う剣術の熟練者である。事実かどうかは目録しか見つかっていないためわからないが、長刀の目録以上の実力者であったことは間違いないらしい。

 誰との会話かは忘れたが、たしか司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中で龍馬は、これからは剣術ではなくて銃だという相手に、これからはこれさ!といって『万国公法』を持ち出した という。この万国公法、キリスト教社会の思想を反映しているということで、東アジアでの受容に異論もあったことだと理解はしているが、いわゆる国際法というものに龍馬が注目していたことは間違いなく、日本の未来を模索していた龍馬にとっては、国際社会で通用する国家の理想像を知る手掛かりであったと思う。

  さて本題は、韓国徴用工訴訟の問題。日本人にとってはまたかと言う思いが強い。なにがまたかと言うと、また金を取るために解決済みの問題を掘り起こす。払ったところでまた解決していないと難癖をつける。また繰り返す。要はどこまでも終わることなく問題を出し続ける。慰安婦問題も同じで、国際法上では解決済みとなっていようがお構いなしと言う部分。

   サッカーの国際試合で、政治的なスローガンを掲げて顰蹙をかったサポーター、最悪の国連事務総長と言われ、歴代の事務総長(ちなみに国連事務総長は、開発途上国から選ばれる)とは違って中立性を維持しなかった潘基文は、自国の大統領選挙でもフライイング的に選挙活動を行った。このサポーターの動きも徴用工問題でも慰安婦問題でも、要は成文化されてはいないマナーとか、ルールとかあいまいな部分を含めて、国外に出た時に顰蹙を買うことを知らないという恥ずかしさを感じていないのだろうと思う。

 日本も同じで、事大主義にその国の命運をかけるしかない国が、他国の権威や軍事力をあてにして尊大な態度をとるというのはどうにもみっともない。それも他国の権威や軍事力が、果たして有事に役に立つかどうかの検証もなされないままというのも怖い。

前橋を考える(3)本町二丁目の交差点

 前橋の本町二丁目交差点は変則的な五差路で、走行帯の勘違いによる事故も多いらしく、国道50号を徒歩で横断することも難しい。前橋駅を出て北に向かい、赤城県道と大胡県道方面へ向かう道に国道50号が交差して、その交差点の手前に国道17号から枝分かれした道が合流する。

 この合流する枝道が曲者で、国道17号は、この合流地点の1kmほど手前で直角に左折して上越方面に向かい、50号の起点となる交差点に合流する。従って、国道17号線を高崎方面から前橋方面に向かって国道50号線桐生方向に合流するには、二か所の交差点のどちらかを通ればよいことになる。17号線の直角交差点は、手前から桐生方向と上越方向の各1車線を走行する必要があるように思えるが、もし桐生方向に向かう車が車線を間違えたとしても、すぐに50号の交差点にかかるため、それを知ってさえいれば高崎方向から桐生方向に向かう車は慌てて進路変更する必要はない。

 ただし、上越方向に向けて高崎方面から国道17号線(高前バイパス)を進行してきた車は、片道二車線の道路が1車線となるため、当然渋滞を引き起こす。大型車でさえなければ、国体道路を通って渋川方面に向かうことも可能だし、渋高バイパスを経由して国道17号線に合流することも出来る。前橋市内を通過するならば、迂回する方が賢明なのだが・・・。

 本町二丁目の交差点、この交差点を見ていると、『歩行者優先』という言葉の無意味さを感じる。『弱者に優しい』なんてとんでもない。前橋駅から中央前橋駅まで歩いていこうとすれば、歩道橋の階段を登れない高齢者や身体の不自由な人は、大きく迂回するか諦めてバスに乗るかタクシーを使うくらいしか手はない。

 歩行者優先などと言うなら、まず歩道橋はなし。渋滞が嫌ならば、街中に車では行かないで、前橋は迂回する。寄るな寄るなで、また前橋は寂しい街になる。

統計不正をしてまで守りたいもの

 GHQのマッカーサーが、『日本の統計は信用できない』というと、時の総理大臣吉田茂は、『統計が正確であれば、戦争などしなかった。もし統計どうりであれば、日本は勝っていた』と言ったらしい。(麻生太郎の原点・吉田茂の流儀)

 ということは、統計不正などというものは、日本のお家芸。当たり前のことであったと思うべきなのだろう。まだ表に出たものは適度な修正が加えられたとしても、問題は表に出なかった統計ということも言えるのではないかと下衆は勘繰る。

 旧聞にあたるが、かつて総務省または経済産業省は、高速道路の値引きによる経済効果を試算したことがある。10割割引、つまり無料にした時の経済効果を試算した結果は、予想以上のものであったという。それをそのまま発表しては、当時政権を持っていた民主党に利するだけではなく、高速道路を無料化した時に、莫大な損失を被る団体があった。道路施設協会がその団体。この後、この財団は名前を変え、名前を変え、同じ財団法人、国土計画協会と合併して消滅したのだが・・・さて、その利益はどこにいってしまったのか。
  この国土計画協会というのがまたわからん団体で、初代総裁は徳川なんとか。こうなるともう手はつけられないから、もともと根性などない民主党だから、あっさりと高速道路の無料化から手を引いてしまった。

 高速道路のサービスエリア、料金所、ETCに関わる権益など、この膨大な利権に食いついているのは、やはり退職したお役人様達なのだろうか。まぁ適度に統計というものをいじることが出来る人は、適度な収入を維持できる人たちなのだと思える。半値八割二割引くらいで統計を見るのが妥当であろう。


2019年3月22日金曜日

懲戒免職

 懲戒免職とは、法規違反や職務上の義務違反、職務懈怠、全体の奉仕者としてふさわしくない非行などを理由に行う(Wikipedia)らしい。

 今回の厚労省の幹部が韓国で行った行為は、これには該当しないようで、大臣官房付きという更迭処分。大臣監房ではない。

 さてと、この人、何をしにタイや韓国に出掛けていたのか。匿名で、動画の顔も隠されて、新聞やテレビの扱いも優しい。キャリヤ官僚だもんね。

2019年3月18日月曜日

夢の香り セント・オブ・ウーマン

 アル・パチーノの代表作と言えば、ゴッドファーザーを挙げる人も多いだろうが、私はこのセント・オブ・ウーマンを挙げる。

 ラストのスピーチも圧巻ではあるが、Gabrielle Anwarとタンゴを踊るシーンは見逃せない。ダメ男を自認するスレード中佐、ダメ男はここにもいるが、ダメ男にも品格があることを嫌というほどに思い知らされる。


2019年3月8日金曜日

禁煙 マナーからルールへ  厚生労働省

 今日の朝日新聞、総務省行政評価局が、厚生労働省内の『遵法意識の欠如』などが問題の根底にあると述べている。

 さて、その厚労省の意見コマーシャルが、この『マナーからルールへ』という禁煙の厳罰化にも繋がるような標語。

 遵法意識の欠如した人に、遵法精神を説かれても困る。泥棒に、あんた人の物を盗んじゃいけないよ!って言われてるみたいで。

2019年3月6日水曜日

南町公園の河津桜

河津桜
今年もこの季節がやってきた。退院から1月ほどの家内の体調も徐々に回復してきて、暖かい日は散歩に出るようにしている。

 1月前、病室に梅の花を届け、退院前の数日は啓翁桜を飾った。 昼の時間が長くなり、春を感じるというのはいいものだと思う。

 もう少しで埼玉県北本市にある、エドヒガンザクラが開花する。見どころは開花の数日前、全面ピンク色に染まる。写真を撮るには、午前中。太陽が南から西へめぐると、逆光になってしまう。

2019年2月6日水曜日

参議院予算委員会

 根本匠厚生労働大臣は日本語がわからいのかと思って、Wikipediaでその経歴を見ると、東京大学経済学部卒。

 適材適所という安倍首相の言葉を信じるならば、とぼけまくって論議の時間を引き延ばし、時間切れで採決という流れにする役割を忠実に行っているのか。あのぼーっとした印象は、正に千両役者・・・であるならばそれなりにすごいのだが・・・

 まぁ追究する元民主党員も似たようなものだから、どうこう言えたものではない。久しぶりに、役人の抵抗を受けて在任中何も出来なかった長妻昭を見た。質問の最後に、『やると言ったら、しっかりやって下さい』なんて言ってたのを見て、大笑い。お前じゃないか、何もしなかったのは・・・・・

 旧民主党の失政は、まだ尾を引いてる。高等教育を受けた人間の猿芝居は、下手なドラマより面白い。 その中で本日の秀逸な一言は、誰が発言したのかは忘れたが、『トム・ソーヤの冒険』を書いた、マーク・トウェインによって広まったの言葉の引用。『嘘には3種類ある。嘘、大嘘、統計』だそうで・・・

2019年1月30日水曜日

ダイキンエアコン S28VTCXS-W

 老朽化したマンションに住んでいて、昨年の暮れに風呂給湯機が壊れた。急いで東京ガスの下請け会社に連絡して、約1週間後には工事があり、より快適な状態で新年を迎えることができた。

 まぁ感じのいい営業マンだったので、さらに老朽化したエアコンの見積もりを年明けにお願いしておいた。その結果・・・

 表記のエアコンの工事費込みの総見積額が25万円。内訳は、エアコン本体が約35万円、取り付け費約2万円、部材費約7千円、旧エアコン取り外し費約7千円、他の経費合計約6千円、値引き約15万円で、だいたい25万円。

 で、あと2万円くらいは値引き出来ますので・・・ということで。

 昨年暮れに取り付けた給湯器の排気ダクトを取り付けている間に、ネットで検索。

 一番安いので本体代金が7万2千円で、工事費込みのものでも12万円前後。譲りに譲っても、15万円には届かない。その差額、約10万円。この価格が適正であれば、25万円ってのは・・・

 年末のガス風呂給湯器は、適正な価格だったのかは調べる気にもならない。気を付けましょうや・・・

いだてん

 なぜ歌舞伎役者を主人公に選ぶんだろう。あの発生方法は、歌舞伎では普通かも知れないが、映画とかテレビドラマでは大根役者並みかと思えるのだが。

 よく芸の肥しというが、歌舞伎役者にとっては他の世界を経験することが肥しになるかも知れないが、見る側にとっては、目の肥しにも、心の肥しにもならない。

2019年1月29日火曜日

厚生省の統計不正の構図

 原因を追究すると言っても、体質というものを語らないとどうにもならず、その原因がわかっても、身内を庇うために責任の所在は絶対に明らかにはならない。今回も、キャリヤだけは安泰で終わる。

 データの作成は、天下りの団体が担当者から全て請け負う。その団体のトップは天下りで、出社は良くて週に1回、悪ければついにアルバイトなどは半年以上顔を見ることもない。年金問題が浮上した際にOBの書いた文章によれば、お役人様の最大の仕事はこういう天下り先を作ることだったというように、不祥事があれば潰し、また違う法人を立ち上げる。誰も責任などとりはしない。

 毎月の調査など、前月との比較で大差がなければ問題にもならないので、適当に数字を上げたり下げたりを過不足のない範囲でまとめ上げる。それを続ける。どうせ代表者は長くても2年でいなくなる。給与はアルバイトでもそこそこ出るし、暇だから不満もない。なんのためにその会社が存在しているかは、みんな知っているから、異常は異常として感知されず、ただ漫然と日々を過ごしてゆく。・・・・・ということらしい。

2019年1月9日水曜日

前橋・初市



早い時間に前橋の初市、だるま市へ。日が傾くにしたがって人出も多くなり、寒風の中、だるまを求める人の波が続く。

今年の始めは

  この建物、現在修復中で、実は国宝。埼玉県にある、妻沼聖天山。本殿裏の奥殿は江戸中期の文化遺構で、日光の陽明門を彷彿させるような華麗な色彩と彫刻。

 祀られている聖天様とは、大聖歓喜天。所説はあるにしても、生駒(奈良)待乳山(浅草)と並ぶ、三大聖天の一つ。

 どの歓喜天も秘仏とされる理由は、象頭身人、または人頭身人もあるらしいが、いずれも男神と女神が抱き合った形状のためらしい。

 起源は、ヒンドゥー教の破壊と再生を司る荒神シヴァ神の子供 。何とも日本らしくない荒ぶる神様でなじみは薄いのだが、諸神諸仏に願っても叶わなかった願いを叶えてくれたりと、御利益もなかなかの神様ではある。ただし、禁忌なども多く、参拝は午前中に限る。午後は外出しているらしい。
 

2019年1月2日水曜日

元旦の朝

昨年亡くなった義母の喪中ではあるものの、正月飾りや年賀状もない正月というのはやはり寂しい。

 千葉の家内の実家で過ごす正月は、人も多く賑やかなばかりに、二人で迎える今年の正月は密やかなものとなった。

 服喪期間は御節料理さえ禁忌事項になるのだが、酒のつまみということで勘弁してもらおうか。

 今年の正月も快晴の空に恵まれ、群馬県は元旦恒例の実業団駅伝が行われ、一年のスタートを切った。昼過ぎには利根川沿いの道を散歩に出て、暖かな日差しの中、うっすらと汗をかく。今年こそ良い年にしたいと願う。